伊都国東遷スレ 6
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html >>108
そう連呼してコミュニケーションを拒否するのが
コミュ障の人だよ
w >>118
>>107でいきなり全てのコミュニケーション無視して自説を述べるだけになってるからコミュ障なんだよなぁ
また自己紹介しちゃったのかな? >>110
>これによると、周尺六尺四寸は、六尺六寸の誤記で
それは昔からある通説だ
周尺は漢尺で9寸相当になる あああ、肝心なところで誤植だ
>>110の訂正
8寸の尺で換算する(歩=八尺)と、咫は八寸だからこのときは尺=咫となる
歩 周尺(八寸)* 咫(八寸)
1.35m 16.9cm 16.9cm
1.38m 17.3cm 17.3cm
*のところが(十寸)になってた >>112
全てのコミュニケーションを無視してるのは貴方では? おかしなひとは往々にして自分がおかしいという自覚がない コミュ障連呼の九州説の人は、>>109、>>110には反論ないの?
なきゃないでいいけどさ >>118
私はその話に関わって無いんだから反論も糞もねーよw >>116
九州爺さんは、ただ連呼して対話拒否を続けるコミュ障 >>119
じゃあ、咫=18.5cmだと言う主張にも関わらないの? "咫"とは何か?
基本
咫=8寸なんだよね?
尺=10寸なんでしょ?
つまり、尺の8割という概念が当時の日本で使用された可能性は否定できない
当時は、漢尺を日本では使用していた可能性が高いし
平原鏡は国産だよね?
可能性はあり、だと思うよ
後、咫は「中婦人手長八寸」であれば、
どんな基準で測るかわからないけど、私は尺みたいに親指から中指で長さを測る前提で、精一杯広げると18センチぐらいだったよ
中国の昔の人は大きかったらしいから、18.5センチもありえそうだな〜、と思ったけどね >>120
自己紹介しつこいよw
>>121
では、どこがコミュ障なのか論理建てて説明どうぞw >>125
じゃあ、平原出土超大型鏡が八咫の鏡だと言う主張にも関わらないのね? >>123
>つまり、尺の8割という概念が当時の日本で使用された可能性は否定できない
その「否定できない」が、「きっとそうだ」「そうに決まってる」に
脳内変換されるのがおかしいってことだよ
「咫」が当時、大陸での使用例が一切ない
その状況で「咫」が伝わること、さらに「尺の8割という概念」が伝わることの
妥当性、蓋然性が、著しく低い、ということを言っている訳だ
可能性は0ではないかもしれんが、それをもとに何かを言うのは無意味、
というレベルだよ
ラプラスの悪魔に、お湯を沸かしてもらうようなものだ
熱力学的な分子運動の揺らぎで、いきなりコップの中の水の一部が
沸騰する可能性はゼロではない >>109
お、新展開。正しくそうでなくちゃ。
> そしてそれは、尺=8寸とするか、尺=10寸とするかの解釈の変更
比率が問題なのだから、仮に古周尺と今周尺と便宜上分けたところで、今周尺が存在しないことにはならんよ便宜上の名前だから。
ただその実態がなんなのかが問題になるだけでね。
周末が東周という解釈はおかしいね。
前段で 古い周尺の方が短いことがわかってるんだし、
西周と東周は西周の方が古い歴史的事実がある。
新井論文は未見だから今から読むよちょっと待って。 >>126
関わってないよ?
俺はオウム返しの話からだぞw
そもそも私は神武東征は地方軍の遠征と思ってるからな
記紀にそう書かれてるし
でも伊都国は首都だろ? >>127
そうだね〜小さい方だし
調べると中国の昔の人は身長が高かったみたいで、ちょっとびっくりした >>134
ほら、連呼ばかりで他人と対話ができない
コミュ障そのものだ >>129
>前段で 古い周尺の方が短いことがわかってるんだし、
>西周と東周は西周の方が古い歴史的事実がある。
ここで既に間違っているんだってば!
解釈された時点が、古いかどうか、という話
以前の方が、周尺は短い(歩=八尺、含意として尺=八寸)という考えが広がっていた、
今は、周尺は以前より長く想定している(歩=六尺四寸、尺=十寸)
そして、尺=八寸というのは、東周の六国時で周末に始まった
その周末から続く時代=古い時代は、周尺=八寸と考えられていたが、
今では、周尺が正しく換算されて、周尺=十寸、歩=六尺四寸(六尺六寸)と
されるようになった
ということだよ >>135
こいつなんでひたすら自己紹介してるんだろう ていうかいつも言ってるが、中国の事は中国人に聞けよ
なんで中国人の書いた論文見ないの? あああ、さっきから間違えてばかりだ
>>128の訂正
× ラプラスの悪魔に、お湯を沸かしてもらうようなものだ
○ マクスウェルの悪魔に、お湯を沸かしてもらうようなものだ >>128
中国では使用された例(文献)はなくても、
実際、日本で八咫鏡での「咫」の字が使用されてる訳でしょ?
その日本の「咫」とは何なのか?が問題点。
「咫」が"8寸"の可能性が一番高いのは言うまでもない
平原鏡制作当時は漢尺を使用していた可能性が高い
可能性としてはそこまで低くはないと思うけど
長さではないならば、「咫」とは何だったのか?が問題になるが… >>136
>今は、周尺は以前より長く想定している(歩=六尺四寸、尺=十寸)
単純な間違い
王制では、今は一歩が六尺だが、それが周尺では六尺六寸だと言っている
つまり秦漢の一尺より、周の一尺の方が一割短い
>そして、尺=八寸というのは、東周の六国時で周末に始まった
これも間違い
東周景王代の銅尺には10寸が刻まれている >>141
根拠もなく「可能性が高い」と言い張られても、な >>136
?
東周の時代は、昔は西周と同じく
周尺八寸と考えられていたけど
今では東周の時代は周尺10寸だったと考えられている?ということ? >>109
6尺6寸にしたらちょっと大変なことがわかったかも。 整理するわ、、、、 >>141
>実際、日本で八咫鏡での「咫」の字が使用されてる訳でしょ?
それがいつ使われるようになったのか?という視点が抜け落ちてる
文献上、それが確認できるのは、8世紀の記紀の成立まで待たなければならない
8世紀の文献で、3世紀の器物の名称を推定するというのはいかにも乱暴
記紀を書くために、多くの漢籍を参照しているのはよく知られている
その中に説文解字があった、くらいの推定の方がずっと妥当性が高い >>142
>これも間違い
>東周景王代の銅尺には10寸が刻まれている
それ、春秋時代のどこの国の話?
葢「六國時多變亂法度」。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
「鄭意八寸爲尺。周末始有之。」與許說異。然許亦曰諸侯力政。
漢文は読めるかい? >>144
東周の時代に周尺が八寸だったとか
そんな考えが、どっから湧いてきたんだろう
??? >>144
周朝では、尺は十寸だった
東周=春秋戦国時代になって、諸侯が自立して王を名乗る頃になると、
国ごとの変乱法度が多くなり、その中で尺=八寸とするものも見られるようになった
それに「近い時代=古くは(古者)」、周尺=八寸とされていたが、
今は、周尺=十寸と考えられるようになった >>147
すまん、勘違いで景王代ではなく洛陽金村の東周墓
当時は韓か魏だな
しかし結論は変わらない
八寸を刻んだ尺はないだろう
後世の人の推測は根拠にならん >>149
?
西周時代は尺八寸と思われてたってことよね? >>151
後世の人の推測じゃなくて
平成の一部日本人の妄想 >>153
言い方変えよう
周末とは西周の末期って意味だよな? >>156
>周末とは西周の末期って意味だよな?
いいえ、違います
漢文読める?
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
ここで周末が諸侯力政の時代で、分爲七國って書いてあるだろ?
春秋戦国時代まで、周代だよ >>146
>文献上、それが確認できるのは、8世紀の記紀の成立まで待たなければならない
でも実際に鏡が出ているし。
で、畿内説は平原遺跡は2世紀末との主張はどうしたの?
卑弥呼の時代であることは認めるんだw
纒向も葛城も卑弥呼と同じ時代だけど、平原の方がかなり卑弥呼のと関係していそうだよねw
>その中に説文解字があった、くらいの推定の方がずっと妥当性が高い
あなたの主観的な判断で、根拠はないですね。 >>146
キナイコシのような言葉を用いるなら、
つまり、尺の8割という概念が当時の日本で使用されたと考えるのが妥当だということ。 >>158
>でも実際に鏡が出ているし。
どんな鏡が? >>158
>でも実際に鏡が出ているし。
相変わらず論理が通じないな
平原1号墓出土鏡の円周長が147センチだったとして、
「センチという単位」が日本に伝わる前に、「147センチ」とされることはない
最大限古く見積もっても、18世紀末より前に147センチと測られることも、
それに基づく呼ばれ方をすることもあり得ない
3世紀に「咫」が倭国に伝わったと考える妥当性はない
八咫鏡という文字記録が確認できるのは8世紀以降 >>158
>平原の方がかなり卑弥呼のと関係していそうだよねw
これが、徹頭徹尾、根拠がない
自分でも「関係していそう」としか書けない、単なる感想だな >>161
円周長を「換算すると」8.63咫の鏡がどうかしたのか? 記紀以前には日本には文字どころか言葉も無かったという事かー
原始人かな? 3世紀の伊都国には硯があったからなあ。
文字が使われていたことは確実。
そもそももっと前から漢と国交を結んで金印をもらうくらいだしな。
キナイコシの頭の中では筑紫の弥生人は文字を知らない原始人か何かなのだろうか? 意味不明なつぶやきを始めるトンデモ糸クズ爺
なにがしたいのだあろう 岡上とか、そういった人々って思い込みが異常に強いというか
事実だから根拠は要らないとか、とてもマトモと言えない感覚のもち主で
彼らの「事実」ーー思い込みなんだけどーーを否定されるとキレちゃって
コミュ障の正体まるだしになるね >>149
?まだわからん
事実と考察が(説文解字中の)違うということ?
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺
とあって
尺八寸にしていた時代があったかのように読めるが、事実は違って
是可證周未嘗八寸爲尺矣
西周時代東周時代含めて尺八寸だったことはなく、東周時代の戦国春秋期に一時期尺八寸だったことがある
と、いうこと? >>157
周末は西周の末期だよ?
戦国春秋の時期に各国で尺が異なることがあったってことはいいよ。
東周の末期にしてしまうと異なる時期がわずかすぎておかしくない? >>170
そう考察した後世の学者もいるが実のところ真偽不明ってことでしょ >>171
>周末は西周の末期だよ?
漢文読めますか?(3回目)
自分で漢文読んで確かめればいいじゃん?
何度も原文貼ってるんだから
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。
鄭意八寸爲尺。「周末始有之。」與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
日本でも、南北朝や戦国時代も室町時代のうちだろ?
六国時とか、分爲七國とか、諸侯力政とかで表現されている時期が周末だよ
勝手に西周末だと思い込まないように! 周代の尺の混乱は、「尺=十寸」と「尺=八寸」の異説があることと、
「尺=咫」と「尺と咫は別」の異説ががあることの
二段重ねで紛らわしくなっていることが原因
周朝では本来、
「尺=10寸(もとは男性の開いた手の親指から中指の長さの身体尺)」
「咫=8寸(もとは女性の開いた手の親指から中指の長さの身体尺)」
で区別されていた
それが周末の六国時に、尺=八寸としたものなど変乱法度の分国法が多く、
尺の長さが混乱し、さらに咫との関係も混乱した
尺=八寸ならば、尺=咫となる
この時の、「尺=八寸、尺=咫、歩=八尺」が、秦の始皇帝の度量衡統一前(周代)の状態として
認識されていた
これが「古者以周尺八尺爲步」
秦の始皇帝の度量衡の統一で、長さの単位の寸尺歩里が公定尺となり、身体尺の咫は
使われなくなった
使われなくなることで、混乱した周末の状態がそのままほったらかしになっていたが、
律暦志の編纂などを通して、周尺の正しい尺(歩)の長さが考察されて、
「今以周尺六尺四(六)寸爲步」と考えられるようになった >>143
いやいや、
つまり中国では
咫=8寸
だったのは確定なんでしょ?
だったら日本でも"咫=8寸"と考えられていた、とするのは当然の推測だと思うが?
ちなみに、平原鏡は漢尺で周長が8寸×8になるのは事実だね
咫八鏡の可能性が他の鏡より高い、程度ではあるがな
"咫"の意味の候補が他にあるのなら別だが、今の所これだけみたいだし >>176
>ちなみに、平原鏡は漢尺で周長が8寸×8になるのは事実だね
事実じゃないよ
8寸×7 余り7寸弱だ >>145
>6尺6寸にしたらちょっと大変なことがわかったかも。 整理するわ、、、、
整理はまだ終わらないのかい? >>173
>東周の末期にしてしまうと異なる時期がわずかすぎておかしくない? >>180
>東周の末期
末期を短期間にとり過ぎ
東周の時期を、春秋戦国時代とまとめて言うけれども
紀元前403年の戦国時代の開始頃から先が六国時であり
そこから紀元前221年の秦の統一まで、180年くらいある
この180年全てを周末というつもりはないけれど、それくらいの
時間幅を見てよい >>175
そうそうこういう話だと思うよ。
考古遺物の東周銅尺が10寸の目盛りで尺長も漢尺と一緒でしょ?
西周の尺が短かったかは取り下げるわ。
尺の混乱期での短かった尺を
古周尺と呼ぶことにしよう。
それなら矛盾は解消する。
>>172
ありがとう
>>174
そうだよね、ありがとう
>>175
改めてありがとう >>181
そんなら東周中は尺の混乱期であった、FAでよい? >>179
うん終わってない本業もあるからね。
大変なこととは、別口で
殷人はメートル法を使っていたのではないか?という話を目にしたことがあって
ここが6尺6寸だとなんだか
いわゆる10対8の大尺小尺とは別に、メートル法としての尺度がでてきて使っていた形跡が数字から見えてきたかも、ということです。 >>184
うお!秦漢代の公定尺長を決めた計算式がわかったかも。 >>182
逆だ
東周〜新が不変なんだから、その前の西周の尺が短かかったんだよ 東周銅尺を、周代の尺の基準として重視している人がいるけれど、
『中国歴代度量衡考』に、「東周銅尺 23.09cm 南京大歴史系文物室」と
いう記載があるところまでしか調べがつかない
現物の画像が見られるところとか、どこでどんな遺跡から出土したかとかの情報、
教えてもらえないかな? どっちみち咫が「中婦人手長八寸」だから
平原の鏡が八咫の鏡じゃないことは確定なんで
あとは余談のスレ消化だけどな >>186
>>187
ちょっともー
東周時代は変法で秦の度量衡統一になるっていう
>>175
と矛盾します。 【咫】
❶長さの単位。周の尺で八寸。約18センチメートル。❷短い・近いたとえ。「咫尺」❸わずか。少し。
(国)た。あた。古代の長さの単位。親指と中指とを開いた長さ。「八咫の鏡」 >>190
そりゃ>>175への反論なんだから
あたりまえだろう
きみは頭が異常に悪いの? 学研日本語大辞典
《意味》
{単位詞}周代の小尺における長さの単位。一咫は大尺で約八寸、今の約十八センチメートル。
▽小尺は、女子の指十本の幅を基準とした尺度。大尺は、男子の指十本の幅を基準にした尺度で、
その一尺は今の二二・五センチメートル。 >>194
>その一尺は今の二二・五センチメートル。
それ、学研日本語大辞典はどこで調べてきたんだろう?
周尺19.7cm説、というか、20センチ前後ってのが通説だけれどな >>196
古い世代の漢学者は清朝あたりの考証学者の誤解を引き摺ってるだけさ >>193
いや、西周の尺が短かったと認めてもらえたようだからあとはどうでもいいです。 >>199
証拠
鎌田 正 1911年(明治44年)1月7日生 >>110
改めてじっと考えてみたよ
>これをもとに10寸の尺(歩=六尺四寸)で換算すると、咫は八寸だから
歩 周尺(十寸) 咫(八寸)
>1.35m 21.1cm 16.9cm
この値に非常に魅力を感じる
16.95cmって尺が出土してたよね?
私の仮定は 今周尺 が 東周銅尺 = 漢尺だった
そうではなくて今周尺 ≠ 漢尺 だったということだね?
古周尺八尺=今周尺六尺四寸
周尺六尺六寸=漢尺六寸から計算すると
1.38mから21.1cmになる
古周尺八尺=今周尺六尺四寸を一歩とすると1.35mにちゃんとなるね。
たぶん、六尺四寸の記載で正しいと思うよ
もし古周尺八尺=六尺と書かずに敢えて周尺六尺四寸と書いたんだねきっと。
これ冒頭の16.9cmの尺があるという考古学的事実と整合するものだから、この論証は極めて妥当なものだと認めます。 商の骨尺 16.95cm 故宮博物院収蔵
(伝殷墟出土)
これだね。 中婦人手長八寸謂之咫。商尺也 なら、100点だったかもね(笑) 東周銅尺を十寸として基準尺としており、八寸=が咫として規定されたわけだ。 で、婦人の手長が咫であるという認識のみが残ったと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています