>>279
>東周の銅尺が10寸だったろ?

>>202のおかげで東周銅尺の素性が分かったけれど、
「戦国時代後半から秦代」にかけての年代と推定される金村古墓出土(盗掘)と
されているもののようだ
そして、その位置(漢魏洛陽城址の宮城北側)から戦国時代の韓(かん)の
墳墓と考えられている
その地は後に秦に併合される

そして、秦の中華統一前の大良造(役人)商鞅は、秦の国力を高めるために
商鞅変法を実施し、その中に始皇帝の度量衡統一につながる秦国内の
度量衡標準化を行っている
その基準となるのが標準量器の商鞅銅方升で、現存している
その銅方升から推定される尺23.2センチが、秦漢尺の基準

東周銅尺は、周代の尺ではあるけれど、周朝の尺ではなく、
「後に秦漢尺となる長さ」を示す遺物だと考えればよいと思う