伊都国東遷スレ 6
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1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html ちなみに私の力量では、<丈夫は、単なる男で169cm説での読み> でも、
A,B のようはカッコで文脈を補う文章を作ってみようかとも思いましたが、
私の力量では作れませんでした。本人もわかってないんじゃなかな?(笑) >>337
阿波さんも 上野武の女王卑弥呼の「都する所」を読んで見ては?
展開がちょっとクドイですけど、面白いですよ。 >>340岡上
>阿波さんも 上野武の女王卑弥呼の「都する所」を読んで見ては?
上野武さん?は「其山有丹」について、どのような見解? @阿波 へー、マイナーなんですかね。
けど、伊都国説って、5chではともかく、それを正面から唱える本って
見かけないから貴重と思いますよ。 >>344岡上
上野武さん?は「其山有丹」について、どのような見解? 避けて通れないですよ。 @阿波 まだちゃんと読んでいませんのが、避けて通れないどころか、
触れてもいないじゃないでしょうか?
基本的な論立ては、魏志と魏略の比較が全てですからね。 上野さんは編集のベテランさん
自分的に編集者目線からの意見なので非常に影響を受けた本だね >>322
皇室の鏡の名を流用?
悪いけど何が言いたいか意味がわからない 流用とは
使途の定まっているものを別の用途に使用すること。
誰も皇室の八咫鏡の名称を流用等してないだろ
それと、なぜ理由もなく関係が無いと断定するの?
論点がずれてんだよ
平原鏡と伊勢神宮御神体の鏡が、同型鏡であるかどうかの可能性の有無の話でしょ >>335
>A(周代の平均的な)人長は八尺であるから
平均的な身長っていうのは、ありふれた人だよな?
前スレ>883で
「>八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
一丈169cmなら、凡夫にしかなりませんね(笑)」
と言っていたのは、ただの恥ずかしい思い違いだったといういことでよろしいか?
前スレの想定は的外れだったと認めるってことで話を進めるんだな?
手のひら返しをして? >>354
>誰も皇室の八咫鏡の名称を流用等してないだろ
八咫鏡と言えば、普通の日本人は伊勢のご神鏡あるいはその形代としての
皇居の三種の神器の鏡を想定する
詳しい人だと、それ以外にも八咫鏡と呼ばれた鏡があるのを知っている人もいるが
そうした鏡は、皇統の神器とは無関係だ
その上で、平原1号墓出土鏡を八咫鏡と呼ぶのが、皇室の神器の名称を仮冒していることに
他ならないのは理解できるか?
平原に八咫鏡があったなどというのは、伝承一つすらないんだが? お鏡さんは>>15のこれを無視してごまかそうとしている
漢典の国語辞典では
身高一丈的男子。周朝以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺左右,故以丈夫為男子的通稱。
身長が一丈の男子。周朝では八寸を以って尺と為し、十尺を以って丈と為す
成年男子は高さ(身長)八尺左右(八尺前後)、故に丈夫を以って男子の通称と為す
周朝以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺「左右」
この「左右」が、八尺の左右、つまり八尺が平均的な身長だって意味なのは
「あの博識な岡上氏」なら理解できるよな?
周代でも漢代でも、成年男子の平均身長は169センチくらいだ
そして、八尺という件は
「周朝」以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺「左右」
と「周朝」でのことを書いている文章だぞ
漢尺の八尺を持ってきてどうする? >>354
>平原鏡と伊勢神宮御神体の鏡が、同型鏡であるかどうかの可能性の有無の話でしょ
可能性はないよ
八咫鏡の「本物」は誰が何と言おうと、伊勢の神宮の御神体の鏡だ
そして、その八咫鏡は見てはいけない鏡なので、実見記録はないがその入れ物については実見記録がある
八咫鏡は遷宮の際に、御桶代に入れた上で御船代に載せて、移動するが
「そのオケの大きさが平原の鏡と一致する」と主張する伊都国説の人がいる
しかし、神宮遷宮記文永三年御遷宮沙汰文には、その桶の中に 「黄金の樋代」があり、その大きさは高一尺七寸八分、口径一尺、 蓋口径九寸であると記録されているそうだ
また、明治期の国学者で「日本書紀通釈」を書いた飯田武郷氏も、明治四年の遷宮行事のとき、神体の容器を見た実見記録を残しており、
神鏡は舟形の「御舟代(みふねしろ)」の中に「御桶代(みおけしろ)」があって、 その中の「黄金鑵」のなかに納入されており、黄金鑵の高さは一尺三寸、円の直径は九寸としている。
この黄金鑵が、文永三年御遷宮沙汰文の「黄金の樋代」と同じものだろう
どちらも、口径9寸とあるから、平原1号墓の内向花文鏡は入らないな
八咫鏡は大鏡ではあるだろうが、直径2尺はない
八咫厨のいう「オケ」は、「黄金鑵」の外側の御桶代のことだろう
まあ、聞きかじりだと、いい加減なことを考えるってことだな
本物の伊勢の八咫鏡と、平原1号墓出土鏡は大きさが異なることが明らかであり、
その意味で平原遺跡出土の大型内行花文鏡は記紀において八咫鏡と呼ばれる鏡ではない じゃ、読めるお前が読んで見せたら?ほれ
人長八尺、故曰丈夫 >>354
>誰も皇室の八咫鏡の名称を流用等してないだろ
流用してないなら、八咫の鏡が王権の象徴だなんて予断は抱かないでしょ? >>360
「人長八尺、故曰丈夫」
男の身長は周の八尺ほどなので、丈夫(周小尺で十尺の身長=一人前の男)という言葉が生まれた >>363
>周小尺なんて説文のどこに出てるの?
>勝手読み乙
勝手読みじゃなくて、中国の「漢典」の国語辞典
http://www.zdic.net/c/8/3/6184.htmにも
身高一丈的男子。
「周朝」以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺左右,故以丈夫為男子的通稱。
って書いてあるだろ?
典拠はきちんと挙げてあるから、自分で確認してごらん
「故に丈夫を以って男子の通称と為す」のは、「周朝」でのことであり
周朝当時のことが語源だって書いてあるだろ?
漢文が読めれば、一発で理解できるな! >>366
別に書いてある必要ないし
周代に二種類の尺があれば区別が必要だ
それを大小で区別して悪い道理がないわ >別に書いてある必要ないし
はい、開き直りの勝手読み宣言頂きました。
周代に周大尺と周小尺があっていいなら、
漢代にも基準尺と小尺にあたる「咫」があった考えても全然いいな
別に書いてある必要ないんだしな 古代の単位は身体から生まれたってのは常識
手から生まれた尺、歩幅から生まれた歩、身長から生まれた丈、みんな別々に生まれた
それぞれの換算率が整備されるのは次の段階だ
発展段階ってもんがあるの >>369
辞書に書いてないのと律暦志に書いてないのと
一緒にしてはダメだな >>370
中婦人の手長と書いてあるから
漢の八寸を咫だと読むのは
勝手よみじゃなくて
ウソ読み >>369
王制に
「 古者、以周八尺為歩、今以周尺六尺四寸為歩」
とあるんだから
周尺に大小二種類あるとするのは
勝手読みでも何でもない >>369
説明文に書いてなくても、他の史料にあるなら勝手読みじゃないでしょ? >>376
どういう意味?
あなたの日本語がわからない >>366
>いやだから、説文のどこに書いてるの?
漢典の国語辞典の
身高一丈的男子。
「周朝」以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺左右,故以丈夫為男子的通稱。
は、
説文解字の
夫部「夫、丈夫也。从大、一以象簪也。周制以八寸為尺、十尺為丈。人長八尺、故曰丈夫。」
を大陸中華の人が解釈しただけのものだって分かるかい?
この解釈は、勝手読みでもなんでもなくて、大陸中華の人が説文解字を読めば、
こう読めるってことだよ
丈夫は周代の十尺一丈がもとの語源で、八寸を尺としたときの十尺、十寸を尺としたときの
八尺が男子の平均身長で、そこから成年男子を丈夫という
全部、周代のことだよ
漢尺の出る幕はない >>321
読み方が間違ってる
南至邪馬壹國 女王之所都
これは南の邪馬壹國までが全て女王の治める領域という意味 >>356
流用ではないだろ?
八咫鏡と同型であれば、八咫鏡でいいだろうに
まぁ、よくわからんが、君が気に触るなら八咫鏡の同型鏡でいいよ
もし、そうであったなら王権との関連性を論じれるが、まだその段階ではない
平原鏡は同型の可能性がある程度しかなく、根拠にはできないのは明らかなんだし
ただ、可能性は無い、と断定はできないね
籠神社の鏡が内行花文鏡だったことで、少し可能性が高くなったからね >>380
>八咫鏡と同型であれば、八咫鏡でいいだろうに
で、どれが八咫鏡なんだ?
なんの可能性が高くなる?
理由は? >>380
一つ確認しておきたいんだが
同型鏡という言葉は、意味がわかって使ってるんだな? >>358
その黄金の入物の記載はかなり後世の物でしょ
伝承記述には出てこない
祀られた当初にはあったかもしれないし、無かったかもしれん
鏡も当初の姿を保っているかどうか… >>358
それ、初代八咫の鏡が焼失後の偽物の話だから意味無いよ
八咫の鏡が萌えてる事は文献に書かれてる >>384
>それ、初代八咫の鏡が焼失後の偽物の話だから意味無いよ
>八咫の鏡が萌えてる事は文献に書かれてる
火災消失の記録があるのは、宮中賢所の鏡の方
伊勢の御神鏡の焼損の記録はないよ
あるなら出してくれ
すぐに日本の御神宝を貶めようとするよな >>380
>籠神社の鏡が内行花文鏡だったことで、少し可能性が高くなったからね
籠神社の鏡は、そんなに大きくないよな?
デカくて円周長が八咫だから、っていうのはもうどうでもいいことにするのか?
内行花文鏡なら何でもいいのか? >>385
伊勢神宮での火災だぞ
良く調べるんだな >>386
?
同じ内行花文鏡だから少し可能性が高くなったのは事実でしょ? >>388
そもそも伊勢神宮の文献に記載されてる八咫の鏡の形と違うから可能性0 >>383
>その黄金の入物の記載はかなり後世の物でしょ
だが、平原1号墓出土鏡と御樋代の内径がほぼ同じとか言ってたのと同じ古さの記録だよ
都合のいいことは信じて都合の悪いことは後世だというww >>387
>伊勢神宮での火災だぞ
>良く調べるんだな
そういって逃げるんじゃなくて、あるなら典拠を示してくれよ
東周銅尺はちゃんと教えてくれたよ? >>392
ググれば幾らでも出るものに逃げるもクソもねーよ
君は「ググっても一切見つけられなかった」のですかー?www >>393
>ググれば幾らでも出るものに逃げるもクソもねーよ
なら一つでいいから示してごらんよ
それ、宮中の鏡の記録だから
原田大六氏の著書の
「御鎮座伝記を読み解いてみると、約三回ほど内宮の火災があり」
これのことを言いたいのかも知れないが「読み解いて」ってところが実はごまかし
御鎮座伝記に、八咫鏡が焼損したって記録はないよ >>395
じゃ、お前が頑張ってその論拠を示すんだな
頑張れよw 商の牙尺 15.80cm 上海博物館収蔵
(伝殷墟出土)
商の骨尺 16.95cm 故宮博物院収蔵
(伝殷墟出土)
東周銅尺 23.09cm 南京大歴史系文物室
これらについて、順番に商尺 、古周尺、漢尺と呼ぶとする
15.8=16.95-1.15
商尺=古周尺-2.3/2=古周尺-漢0.5寸=古周尺-5/100漢尺
ここで古周尺は8/11漢尺=72/99漢尺≒72/100漢尺とみなすと
商尺=72/100-5/100 漢尺=67/100=2/3=8/12漢尺
12商尺=8漢尺
12商寸=8漢寸=1尺?
この12寸、8寸、10寸の関係は完全に説文解字の記述通りである。
この推測の仮定は東周銅尺が漢尺であることだけ
で、21.1cmという出土していない尺の事情と合致している。 >>398
12商寸=8漢寸=1尺?
東周銅尺は正しく周尺としたら
周尺八寸=咫において
実長として寸長23mmは固定だったことになる。 全部調査による出土じゃないのね
つまり古物市で見つかった鏡と同じ >>356
>平原に八咫鏡があったなどというのは、伝承一つすらないんだが?
しかし鏡が実在しているからな。 >>399
いや違うな
説文解字中での尺と為すという表現が、
基準長という意味ではなくて
共通の長さ、くらいの意味合いである可能性があるということか
12商寸=8漢寸=1尺=これは18.5cmくらい 無茶なゴリ押ししてでも平原のを八咫鏡にする必要があるんだろ
それだけが頼りなんだから >>399
>東周銅尺は正しく周尺としたら
>周尺八寸=咫において
>実長として寸長23mmは固定だったことになる。
東周銅尺については>>211、>>213、>>281にまとめたから、きちんと読んで!
東周銅尺は、「周尺ではなく秦漢尺」だよ >>404
>説文解字中での尺と為すという表現が、
>基準長という意味ではなくて
これは素直に読めば、基準長ではなく定義、尺と寸の換算率として書かれている
と読むのが正しいと思う
ただ、夏王朝、商(殷)王朝では、身体尺だから決まった長さはないと言えばないんだけれど >>404
いや、古周尺=8/11秦漢尺である以上
絶対値としての尺長16.9cmは確定しているので、18.5cmを咫とみなすことはできないはず、、、 つーか、物差しは調査による出土品じゃないんだから、真贋を疑うべきだろ まったくまとまってないものをまとめてる言われても困っちゃうよなw >>417
頭が究極まで悪いね。
>>398の通りだと、説文がいう周尺が、漢八寸であると認めるようなもんだぞ。
よく自分の書いたものを見てみ 説文解字の中に表現の揺れがあって
12,8,10の関係を記すところは、周尺=秦漢尺=23cmで計算されている。
一方で、歩の換算式からは周尺は21.1cmになる
歩を定めた時と説文解字の時点はかなり離れているから、後代の大尺小尺の関係のように
周大尺=秦漢尺=23cm
周小尺=21.1cm
二つが用いられていたということではないか?
あるいは説文解字の著者は周尺は秦漢尺と思って計算して各代の換算比率を記述した。 殷尺= 商の牙尺 15.80cm 上海博物館収蔵(伝殷墟出土)
周尺=商の骨尺 16.95cm 故宮博物院収蔵(伝殷墟出土)
春秋尺= 21.1cm(仮)
戦国尺= 秦漢尺 = 東周銅尺 23.09cm 南京大歴史系文物室 >>421
秦の前代までを周朝として東周尺が21.1cmだったんじゃないの。易姓革命によって尺長が変わるみたいだから、秦朝が23cmにした。
周大尺21.1cmで
周小尺が16.9cmだろう。 歩の換算式を尊重すると同時期に丈も定義したであろうから、丈の本来は169cmだろう
ただ説文解字の著者は、 周尺は秦漢尺と思っていた。そのため、12、8、10が出てきた。
咫は八寸だけを伝え聞いて、漢代の咫は尺長8割として18.5cmと思われている<---イマココ >>425
漢鏡である平原大型内行花文鏡は当時の人にとっては八咫の鏡ということだな。 >>425
説文解字の著者が周尺は秦漢尺と思っていたなら
中婦人手長とか周尺とか書かないよ >>427
そこは古伝の言い伝えのままなんでしょう。 >>409
>いや、古周尺=8/11秦漢尺である以上
>絶対値としての尺長16.9cmは確定しているので
ここがまず理解不足
周尺が、8/11秦漢尺の場合は、周尺=八寸
周尺が、10/11秦漢尺の場合は、周尺=十寸
であって、
周尺八寸と考える場合は、咫=八寸なので、尺=咫=16.9cm
周尺十寸と考える場合は、咫=八寸なので、咫=8/10尺=16.9cm
となるんだよ >>430
ごめんごめん、そこは咫長と書くべきだったよ。 説文に「中婦人手長八寸謂之咫、周尺也」
とあるのだから
漢尺の八寸が咫で18.5cmだ
なんてあり得ない >>421
>周大尺=秦漢尺=23cm
>周小尺=21.1cm
>二つが用いられていたということではないか?
表記のゆれというか、説文解字注の判断では、
10寸の周尺と8寸の周尺がある、という見解になっている
で、
10寸の周尺が21.1センチ
8寸の周尺が16.9センチ=咫
という関係だよ >>432
了解
結局分かっていないのは、
「何がなんでも八咫の鏡にしたい」人、約1名だけだねw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています