伊都国東遷スレ 6
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html 帥升の頃まで倭国の王都は博多湾沿岸だったのだから、卑弥呼がいたのが畿内であるためには倭国がどこかで東遷しなくてはいけない。
まあ、東遷なんてなんの根拠もない妄想な訳だが。 >>885
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」とは、徳島県阿南市橘町周辺を指している。
その証拠に、その沖合に浮かぶ伊島には「当所神社」が鎮座しており、御祭神に奥津三神(下記)が祀られている。
・奧疎神(おきざかる)
・奧津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこ)
・奧津甲斐辨羅神(おきつかいひべら)
面白い事に、この奥津三神は、伊邪那岐が黄泉の国から帰還した際、
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊祓をした時に、最後に産まれた神々である。
しかも、この奥津三神は、日本で唯一、伊島にのみ見られる神で、
日本の他の神社で、他に奥津三神を祀る神社は、何処にもない。
「奥津三神」 なぜ、阿波のみで祀る必要があろうか? 推して知るべし @阿波 阿波は倭人伝では侏儒國だよ
阿波人はホモ・フローレシエンシスの子孫。 >>891
>阿波は倭人伝では侏儒國だよ
侏儒國に「其山有丹」は該当しない。 よって却下。 @阿波 >>881
邪馬台国が首都だと誤解してる人が大半だからな
(伊都国から)邪馬壹國まですべて女王国って意味だぞ
>>882
明らかに表記が違うものを同じだと言い張ってる池沼のお前が同じだと言う事を証明するんだよ
いつまでも逃げてないではよやれや
出来ないなら「負けました」とちゃんとって、お前どうやら中学生レベルじゃないから無理なのか
それはすまんかったな
>もう、幼稚園児の相手をしているくらいの対応をしないとだめだな、この人は
どんだけ自己紹介好きなの?
やっぱり小学校も行ってない幼卒なの?
>>883
お前のあげたそれは全て女王国では無い国だ
そう書いてるだろうが
なぜ謎の勝手読みをしてしまうのか、解せない >>894
日本の他の神社で、他に奥津三神を祀る神社は、何処にもない。
「奥津三神」 なぜ、阿波のみで祀る必要があろうか? 推して知るべし @阿波 >>888
このスレは伊都国が東遷して畿内で邪馬台国を造った説じゃないのか >>895
所詮は宗像大社を神格化した神だからな
>>896
伊都国と邪馬台国は同時期に存在していた国なんだが
なに言ってんの? >>898
>伊都国と邪馬台国は同時期に存在していた国なんだが
伊都國に「其山有丹」は該当しない。 よって却下。 @阿波 >>899
伊都國に其山有丹なんて書かれて無いぞ
当然、阿波に其山有丹なんて事も書かれてないけどな
まあ、根拠無い妄想説って理解してるから邪馬台国@阿波説スレ立てられないんだろw
ただの荒らしに成り果ててるよな、@阿波池沼君は >>900
>伊都國に其山有丹なんて書かれて無いぞ
だから、「伊都が倭の首都でないといけない。」は却下。 @阿波 >>902
お前の主張と別の主張してる奴に言ってどうすんだ?
伊都国が東遷して邪馬台国を造ったなんて言ってるのはお前だけだぞ >>901
意味不明なただの希望は日記帳にでも書いてろ >>904
九州説の希望は「其山有丹」で空しく消えてしまった。 @阿波 >>905
なにも消えないが?
まあ、池沼@阿波君の脳内ではそうなってるんだろうね、脳内では >>903
>1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
>2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
>3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
おまえ>>1も読んでないのか >>907
???
お前の主張は「伊都国が東遷して畿内で邪馬台国を造った説」なんだから
それはまったく関係無いじゃん
文盲か?w 柳田説だから邪馬台国(首都伊都国)の卑弥呼が東遷したんだろ
柳田は卑弥呼東遷説だぞ >>906
伊都国東遷説の行き詰まりだね。 @阿波 >>917
じゃ、柳田説は伊都国は「卑弥呼の居た邪馬台国」ではない」ということかな? @阿波 >>893
>明らかに表記が違うものを同じだと言い張ってる池沼のお前が同じだと言う事を証明するんだよ
この人、ダメだわ
例えば
薊縣,燕之所都也 と
薊縣,燕所都也 とどちらで書いてあっても
薊縣,燕の都するところなり、と同じ書き下しにしかならないし意味も変わらない
それを『「之」の字が入っているかいないかで明確に違うだろ』っていう
訳の分からない言いがかりを
延々と続けている
しかも「所都=すべて」が正しいと思い込んでいる
ダメな人だな 徳島県阿南市加茂町大西、宮ノ前にある加茂宮ノ前遺跡は那賀川の右岸、標高約24〜26mの自然堤防に立地している。
発掘調査では、弥生〜古墳時代と鎌倉〜室町時代の集落跡を確認。弥生時代中期後半〜古墳時代前期初頭(紀元1〜3世紀ごろ)の竪穴住居跡20棟余りと、土坑、溝、柱穴を発見した。
弥生〜古墳時代の県内最大規模の集落とみられる。
住居跡や周辺の遺構からは、水銀朱の精製に関わる磨石(すりいし)や石杵、石臼などの石器500点余りと、祭祀に関わる水銀朱の原料となる辰砂約90点が見つかり、注目される。
住宅跡からは、サヌカイト製の石器とその残りかす、糸を紡ぐために使う土製紡錘車、鉄器、ガラス小玉が出土。鍛冶炉(製鉄の炉)を備えていた。
一つの住居で辰砂の精製と鉄の加工、紡織、石器づくりをしていることから、さまざまな物を同時に作る工房としての性格があることが分かった。
加茂宮ノ前遺跡の南西約5qには、弥生〜古墳時代の辰砂採掘遺跡である若杉山遺跡がある。那賀川の対岸には縄文〜鎌倉、室町時代の深瀬遺跡がある。
若杉山、深瀬の両遺跡は時代が共通する上、辰砂が見られる点から、加茂宮ノ前遺跡との関連が注目される。
加茂宮遺跡では、水銀朱を作っていたほか、石器、鉄器の製作加工や紡織をするなど「生産のムラ」として大規模に展開していたといえる。(県埋蔵文化財センター専門研究員 田川憲) @阿波 こういう遺跡が畿内や九州に在ったとしたら、
それらトンデモ信者はどんなに狂喜乱舞するのだろうか。 @阿波 レス番が900を超えて、もうじきスレも終わるから、
そろそろお鏡さんが出てくるかなww
書き逃げできるタイミングでしか、意見を書かないんだよな
自分でスレ立てしておいてw
お鏡さんが出てきたときのために再掲
>>589
ごまかしてるけど、「丈夫」というのが「成人男子」であり、
「丈」が成人男子の平均身長だってのは理解したのか?
平均身長は凡夫であって、丈夫じゃないとか言ってたのは撤回するのか? >>917
それだと平原遺跡が謎の勢力に作られた事になってしまうからな
卑弥呼が平原作ってその後東遷だぞ
>>921
中国語素人のお前の中ではそうなんだろう、お前の中ではな
>>922
3世記まで石器時代ってやばいな
未開の土人部族かな? 畿内説は全体的に名無しの勢力や集団がたくさん登場するよな。
でっち上げだから仕方ないか。
本来はそれらの歴史上の人物には名前があったはずなのだがね。 >>925
>中国語素人のお前の中ではそうなんだろう、お前の中ではな
結局最後まで、「「之」があるかないかの違いが分からないんだ? バーカ」(意訳)
しか言わなかったな
「之」があるかどうかで、何がどう変わるのか、一切説明しない
というかできないんだろうな
グーグル翻訳の「所都=すべて」が正しいと思って、どや顔で出してくるだけあるわ
この件には一切触れなくなってるしw >>926
>で、当時の平均的な身長は何センチ?
>>929
>なんかざっくりした答えだね
>>214に書いてあるよ 再掲
《古代中国の男女身長及び手長:岩田前出)
――――――――――MAN------------FRAU------
4500-3200B.C._____166.8 18.1 155.5 16.7
3000-2000B.C._____165.3 18.0 154.2 16.6
2015-1900B.C._____168.8 18.3 157.3 16.9
A.D.1979___________170.3 18.5 159.0 17.1
まあこれも推計値でしかないから、その意味で
>>928の「170cm未満」が正しいと思う グーグル翻訳の「所都=すべて」が正しいと思って、どや顔で出してくるだけあるわ
この件には一切触れなくなってるしw >>930
明らかに表記が違うものを同じだと言い張ってる池沼のお前が同じだと言う事を証明するんだよ
いつまでも逃げてないではよやれや
出来ないなら「負けました」とちゃんとって、お前どうやら中学生レベルじゃないから無理なのか
ってこれ昨日も書いたよねw
反論出来なくてループさせるって恥ずかしくない?
ってそんな知的水準には達して無いかw
>>932
涙拭けよw
池沼「なんの根拠も無いけど俺の脳内では有っても無くても一緒なんだよ!」
という池沼論法しか出来ない知能なんだから無理すんなw >>933
>明らかに表記が違うものを同じだと言い張ってる池沼のお前が同じだと言う事を証明するんだよ
意味がまったく変化しない、表記上の気まぐれをさも大事のように大騒ぎして、
結局そこにどんな違いがあるのかを一切説明できない無能が何を言ってるんだかw
グーグル翻訳の「所都=すべて」が正しいと思って、どや顔で出してくるだけあるわ
この件には一切触れなくなってるしw
顔真っ赤にしてキーボードに向かってるんだろ?
高校レベルの漢文すら読めない、教育レベルの低い人間にはお似合いだなw >>934
>へー、じゃあ一歩は?
一歩はいろいろ探してるけど、一次資料としてのよい典拠が見当たらない
結局、律暦志などから、尺の長さを推定して、そこから歩を換算するくらいしか
できていないようだよ
周歩=約 1.35 m
秦漢歩=約 1.38 m(始皇帝の度量衡の統一)
魏晋歩=約 1.45 m
隋歩=約 1.77 m
唐歩=約 1.56 m(1歩=6尺から1歩=5尺に変更)
オムロンヘルスケアのページには、「身長×0.45」が短歩の長さの目安と
書いてあるから、身長×0.9で、複歩=大陸の歩の概算値は出るけどね >>936
「身長×0.45」が『短』歩、じゃなくて『単』歩だな 伊都クズ必死だな
そりゃそうか
これまでの決して少なくない時間が全部無駄だったんだもんな >>938
>良い根拠はないけど、周歩は135cm
>ドヤッ
まあこれは本当に見つからないんだよな、良い根拠が
ただまあ、秦漢歩とそんなに変わらないだろうってのもあるし
そんなに大きく外れてもいないとは思う >>939
>一歩は25センチ。
これは「歩」が複歩である以上、どうやっても無理
>平原遺跡は径100歩。
そして平原遺跡で25メートルを測るところはないぞw ああそうか!
グーグル翻訳の「所都=すべて」が正しいと思って、どや顔で出してくるやつなんだから
グーグル翻訳さんに引導を渡してもらえばいいのかw
「咸陽,秦所都」と「咸陽,秦之所都」をそれぞれグーグル翻訳にかけてごらんw
どちらも「秦の首都Xianyang」って出るから
「之」の有無は大違いだなw >>941
特に根拠がないなら、秦漢の147cmのままでいいじゃん。
身体尺なんだから。
http://asimil.biz/71
大体それで身長170cm弱の時の一歩の距離ともあってるし。
身長 - 100か、身長 x 0.45 が一歩の長さでみたいだよ。 間違い
秦漢の一歩は23.1cm x6で、約138cm >特に根拠がないなら、秦漢の147cmのままでいいじゃん。
>身体尺なんだから。
年齢別の単歩の集計結果も見つけたので、貼っておく
男性は、15歳から49歳の範囲で、70センチを超えてるよ
https://pt-matsu.com/wp/wp-content/uploads/2017/11/a94943a9de0a8cbd0c25e72e0ba1dd7b-1.png >>941
>特に根拠がないなら、秦漢の147cmのままでいいじゃん。
>身体尺なんだから。
>>945が書いてくれているように秦漢尺で138センチだよ
そして、秦の始皇帝の度量衡統一以降は、もとが身体尺でも
決まった長さの公定尺で定義されるようになっている
>>947はこの後に付けるのをクリックミスで先に投稿しちゃったけど
統計的にはこれくらいという実測値だよ 身体尺としては、一歩は147cmでOKじゃん
それを秦代に当時の六尺に規定し直したみたいだね 一歩135cmの出所はこんなところでしょ。
周尺 22.5 x 6 =135
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku275.htm
結局、周寸も漢寸もほとんど変わらないね。 周寸 2.25cm から出たwikiの歩の数字を前提にして、意味不明な計算を行い、周尺は17cmと言い張るバカが騒いでいた、ということで結論出たな。 一寸 2.25cmは、
『角川漢和中辞典』による
だな 周尺なんだよ 漢尺の八寸って言ってる時点でダメ造
古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。って書いてあるだろ?
周代でも古い時代は、周尺の八尺を歩としてたが、
今は周尺の六尺四分を歩としている と書かれている
これで、周代の歩=135センチから換算すると
八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ
ここから咫の長さを出すと16.9センチになる
これで無理やり平原1号墓出土鏡の円周を換算すると8.63咫だな
そもそも円周を測ったりはしないんだが 周尺なんだよ 漢尺の八寸って言ってる時点でダメ造
古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。って書いてあるだろ?
周代でも古い時代は、周尺の八尺を歩としてたが、
今は周尺の六尺四分を歩としている と書かれている
これで、周代の歩=135センチから換算すると
八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ(笑)
六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ (笑)
ここから咫の長さを出すと16.9センチになる (笑笑笑) >>950
身体基準だからね
人の体格は急には変わらない
異なった単位の換算率を法定する頃から
急変が始まる 歩が135cmとした前提の周寸2.25cmをすると、周尺八寸で18cm
八咫ならは144cmで、平原鏡の円周長と近似
楽しい畿内厨
おわり
NHK >>958
理屈で敵わないので、断言してみました
ってところかな? どんな理屈に?
咫は漢尺の8割じゃないってことで決着したんじゃないの?
??? 咫が実際の女性の手の長さとちがうと言うその口で
一歩が135cmと主張されても
困っちゃうw >>961
咫が実際の女性の手の長さとちがうと言うその口で
一歩が135cmと主張した人は
どこのだれ? 周代の一歩が135cm と主張したのは畿内説の方だね。 周代の一歩としてふさわしいのは、
王制による一歩=64寸の2.25cm x 64寸の 144cmだろうね。
これなら、平均身長170cm弱としての身体尺にもぴったり。 >>963
中婦人手長が18.5cmもないことに誰も反論できなかったとき それは単なる観念的な表現だろ。
平均を実測したと考えるのは基地外。 >>966
尺も実際の身体長とかけ離れていると反論されているのに
まだ畿内説は反論できていない >>935
意味がまったく変化しない、表記上の気まぐれなのはお前の脳内だけで、中国語ではそういう事は無い
結局池沼が「なんの根拠も無いけど俺の脳内では有っても無くても一緒なんだよ!」
という池沼論法を喚いてるだけ
お前の脳内なんて一切根拠にならない事を理解しような
ま、頑張って中国語を勉強しなよ、池沼には理解出来ないと思うけど 実測したというなら、その証拠を出さないとな。
立証責任を果たそうね >>971
>意味がまったく変化しない、表記上の気まぐれなのはお前の脳内だけで、中国語ではそういう事は無い
>結局池沼が「なんの根拠も無いけど俺の脳内では有っても無くても一緒なんだよ!」
>という池沼論法を喚いてるだけ
>お前の脳内なんて一切根拠にならない事を理解しような
>ま、頑張って中国語を勉強しなよ、池沼には理解出来ないと思うけど
つ>>943
&「グーグル翻訳の「所都=すべて」が正しいと思って、どや顔で出してくるだけあるわ
この件には一切触れなくなってるしw」
あと罵り言葉が「池沼」一択なあたりも教育水準の低さを感じさせるな
「中国語ではそういう事は無い 」と思ってるなら、それで意味がどう変わるかを突きつけて
相手を屈服させるのが論破の常道なんだが、具体的なことは一切言えない
まあ、教育水準の低い低能力者の限界だわな
虚勢を張るのがせいぜいだなw 誰も言ってないの?
じゃあ、夫人の手の実測値と比べる考える必要はないな >>976
実測しなくたって漢尺八寸が自分の手より大きいことが分からない男はいないさ >>974
もうすげーな
自分のレスの中で言及してる事すらもう記憶から消え去ってるとか、どんだけ池沼なのw
>それで意味がどう変わるかを突きつけて相手を屈服させるのが論破の常道なんだが、具体的なことは一切言えない
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org532307.png
それで、「中国語ではそういう事は無い 」と思ってるなら、それで意味がどう変わらないかを突きつけて
相手を屈服させるのが論破の常道なんだが、具体的なことは一切言えない池沼君はどうすんの?
結局池沼君が「なんの根拠も無いけど俺の脳内では有っても無くても一緒なんだよ!」と喚き続けてるだけなんだがw 漢尺八寸なら半分近くははいるだろう。
ましてや栄養状態も比較的良いであろう士大夫層なら尚更だ。
許慎はちょっと大きめの手の人だったのかもね。 >>965
>周代の一歩としてふさわしいのは、
>王制による一歩=64寸の2.25cm x 64寸の 144cmだろうね。
>これなら、平均身長170cm弱としての身体尺にもぴったり。
漢尺より周尺が短いのは確実
なぜ、漢尺の歩=138センチより長くなるんだよw
そして、説文解字注にあるように
歩が漢尺の体系で「歩=6漢尺」
周尺の体系で「歩=8周尺(尺=八寸)」
または 「歩=6周尺4寸(尺=十寸)」
歩が、秦漢尺体系の歩=138センチでも>>110で計算したのを再掲して
ついでに寸もつけておくと
これをもとに10寸の尺(歩=六尺四寸)で換算すると、咫は八寸だから
歩 周尺(十寸) 咫(八寸) 寸
1.35m 21.1cm 16.9cm 2.16cm
1.38m 21.6cm 17.3cm 2.11cm
8寸の尺で換算する(歩=八尺)と、咫は八寸だからこのときは尺=咫となる
歩 周尺(八寸) 咫(八寸) 寸
1.35m 16.9cm 16.9cm 2.16cm
1.38m 17.3cm 17.3cm 2.11cm
身体尺だから寸の長さは変わらないといっても、ミリ単位は動くだろ
寸=2.25cmも、寸=2.16cmも、1ミリしか違わないよ >>978
本当にバカだな
漢文を教えてもらえるレベルの高校に通ってないのか?
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org532307.png
↑
これが「女王之所都」を解釈する上で、正しいと思ってるの?
>>797でも書いてるけど、
「所都」が「すべて」という意味でグーグル翻訳される理由は、
「副詞として使われる『都』」に、「すべて、いずれも、完全に」という
意味があるからだよ
「副詞」の時には、当然「王の居所、首都」という意味はない
そして、>>943も再掲
グーグル翻訳の「所都=すべて」が正しいと思って、どや顔で出してくるやつなんだから
グーグル翻訳さんに引導を渡してもらえばいいのかw
「咸陽,秦所都」と「咸陽,秦之所都」をそれぞれグーグル翻訳にかけてごらんw
どちらも「秦の首都Xianyang」って出るから
「之」の有無は大違いだなw >>950
>一歩135cmの出所はこんなところでしょ。
>周尺 22.5 x 6 =135
周代の歩は、六尺じゃないから、何の意味もない計算だな
>>980を参照 で、一歩を135cmとする根拠はなんなの?
170センチ弱の人の身体尺だとすると、少し短いよね >なぜ、漢尺の歩=138センチより長くなるんだよw
周代は、歩が身体尺だったから、かな。
実際、周尺の六尺四寸から、秦では六尺に短く規定されてるな >>979
それは男の手
だから女の手は当然もっと小さいって、、わかるよね
頭がおかしくなければだが というか、いろいろと夫人の手の長さをいろいろ計らせても貰いながら
説文解字を執筆したって、許慎はさぞ、変人扱いされただろうな。 >>986
なら、八寸だってのも信用しちゃ
ダメだな
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。