>>171
末慮国のところに書いてあるのだから、末慮国のことだろう
別に、次の国への移動の道中を書いたと考える理由はないだろ?

末慮国から、東南陸行五百里であれば、松浦川沿いに遡って行って
笹原峠を越えて佐賀に抜ける道が妥当な想定となるが、そこには伊都国はない

後漢代の記録で、対馬、壱岐を経て末慮国に上陸して、そこから松浦川を
遡って佐賀平野の国に行く旅程記録があって、
それとは別に、北部九州に末慮国、伊都国、奴国がこの順番に並んでいる情報が
あって、それをニコイチにした結果が、末慮国から「東南陸行五百里、到伊都國」
なのだと思う

佐賀平野の国は、吉野ヶ里でもいいし、惣座遺跡でもいい