>>169
>「壹」はおそらく版本段階のころから
「因詣臺」と同じ字を避けるようになったんだろうね<

宋明清代の考証校勘学者は、
三国志の写本版本の「壹」に関しては、誰も「壹」の考証校勘をしておらず、
魏志倭人伝の中で校勘対象になったのは、「都支国と郡支国」と、「黄幢と黄憧」だけだ。
という事は、版本の底本写本も「壹」であったのであり、
お前の「版本段階の頃」というのが、嘘つき騙しのインチキだ。