邪馬台国畿内説 Part353
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1528495001/
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 >>779
帰納を知らない非科学ザラコクが否定されました >>679
>>山を利用したものは墳という 冢とは言わない<
>出所は何処ですか<
当然、孔明の遺言。 >>685
>あまり突っ込まなくても
「十六国河西镇墓文」(漢文で読みにくいですが和訳もあります)
魏の圀でも塚と家の区分は不明確です
死人の墓が家でもあり塚でもあるような表現です <
3世紀では、
陳寿の「冢」の使用意味は、
馬韓伝での「居處作草屋土室、形如冢」でも、韓の家は「錐体」形であったから、
「冢」は「錐体」的なものの表現と確定しており、
孔明は「山のようなもの」を「墳」と言っているから、
「墳」は「山のような形」と確定しています。 >>713
>ザラコク氏は
投馬国の比定地は何処とお考えですか?<
不彌國から「水行二十日」の距離(水行は1日450里位で、9000里位)ですから、
南九州であり、
会稽海外の東テイ人の20国の中心地と思われる上野原遺跡が、投馬國になった、という事になる、
と思います。 >>724
>ヒミコとはヒメ(踏鞴五十鈴)媛であり、住まわれたのは葛城である。<
「南≠東」などに拠って、×ね。 >>735
>弥生土器は、その研究の初期段階で、地域ごとに第I〜第V様式の5段階に大別した
第II様式以降は各地で地域性が現れるので、同じ様式名であっても、土器の特徴はまったく異なる<
大和説者が、
「大和の庄内に少し類似の第V様式が、弥生銀座や三雲に搬入された」
と言っていた事が、おかしかった。
庄内の焼成の技法は、楽浪土器や瓦式土器の技法や、
半島や大陸からの伝来の青銅や鉄やガラスの溶融技法が参考になった、
という推論は避けられないのだから、
列島では、半島や大陸に近い筑紫が先行した、という推論も避けられなかった。
>各地でまったく異なっていった土器の特徴が、西日本の広い範囲で似始めるのが庄内式期(弥生VI期)<
九州倭国の「自昔・・・東征毛人五十五國」や、
「地方の市を監督する大倭職」の存在で、模倣が広がった、
という説明が付いてしまう。
>布留式になると各地の土器はその影響下に入り、地域色はかなり薄れていく<
これも、米田の「大和よりも南加賀が先行」で、
筑紫と南加賀のどちらが古かったのか?、という問題になった。 >>786
>上野原遺跡が、投馬國になった
それだと、投馬国は邪馬台国よりも南だね?
投馬国へは水行二十日、また可五萬餘戸と、その戸數道里が略載されているから、
女王国より以北になるはずなんだが?
自女王國以北、其戸數道里可得略載
それに、伊都国があって南に敵国の狗奴国があって、その南に女王国に属する投馬国って、
敵味方が入り組みすぎてないかい? >>788
>「大和の庄内に少し類似の第V様式が、弥生銀座や三雲に搬入された」
と言っていた事が、おかしかった。
庄内の焼成の技法は、楽浪土器や瓦式土器の技法や、
半島や大陸からの伝来の青銅や鉄やガラスの溶融技法が参考になった、
という推論は避けられないのだから、
列島では、半島や大陸に近い筑紫が先行した、という推論も避けられなかった。
何を言ってるのか自分でもわからないだろ。
もう家で屁をこいて寝ておれ。 >>738
>>第五様式や庄内の発生は、楽浪土器や瓦式土器のなどの焼成の技法の模倣であるから、
三雲などの筑紫で起こったんであり、<
>あなた、なにも知らない知識ゼロで、思いつくままにデタラメ書いてるでしょ<
いや、どんな場合にも、
何故新しい「焼成や溶融」の技法が出来たのか?、
という理由を考える事が、必要なのであり、
だから、大陸や半島からの技能の伝播伝来があったんだろう、という、
人類の常識的な理解になる事になる。
>九州説はコレだから困る<
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、
理由など考える事無く、
全て、大和説学者の説明を妄信隷従する事しか出来ない・・・・アホだから、困る。 ヒミコが死んでから径百余もの墓を造り始めるわけがない。
その間、10年近くも「モガリ」を行ってたのかという話になる。
もともとヒミコが死んだ時のために大きな塚(小山でもいい)があって、
埋葬部分だけの工事であろう。
https://textream-cimg.west.edge.storage-yahoo.jp/58/b6/1835208-96a8cbd6169180a157075d145f086b7f/24/b0c96b994750a363867d0a717b81e934.jpg
大和盆地最上座の位置にある高天原(御所市高天)の日本最古の神社の境内に、
径百余歩の塚(小山)があり、周囲に奴婢(土蜘蛛)が埋葬されている。 >>739
>>出雲は文身國と記録され、越は大漢國と記録されているから、<
>ザラコクはいつもコレ なにも根拠のない思いつきを言い張るだけ、
倭国の位置は、唐会要の「正北抵新羅」で九州である事が確定しており、
梁書は、文身國を倭国の東北七千里だ、と書いており、
長里では太平洋のはるか沖になってしまうが、短里なら出雲でピッタリであり、
更に梁書は、大漢國を文身國の東5千里と書いているから、
短里で、越にピッタリだから。
ただし、扶桑國の位置は、断定ではなく、
「説云、扶桑在大漢國東二萬餘里」、という説紹介であり、
太平洋はるか沖になってしまう失敗説明になっており、
これは「扶桑在中国東二萬餘里」の誤伝であった可能性が高く、
ほぼ大和付近になる事になる。 >>744
>そんな妄想するのは 帰納って何をする ことか知らないから 異常だ<
帰納や演繹が、一例からではいけない、なんてどこにも決められておらず、
一例であっても、最低6項目以上の論点が発生して1論点だけにはならないんだから、
そんな人類の常識も判らないお前は、異常だ。 >>745
大和説者って、これまで一度も、
「古田さんは帰納的推論をされて〜」に反論をしていなかったな。
帰納という言葉の意味を知らないで・・・・大和説者が、騒ぎだしたで、
という事だから、
ただ、その尻馬に乗って、デタラメヘイトスピーチを吹聴し始めた、
ってわけだね。 >>747
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説は、
大和説学者や大和説者の誰か?のな、
劣化コピーになっているんだよな。
或いは、それをいうなら超劣化の・・・・アホガキ。 >>748
>>小山程度(の大きさ)では「墳」になる。<
>卑弥呼の「冢」は巨大古墳でいいんだね?<
祇園山は、低い丘陵の上に造られた「冢」だよ。 はじめて九州説を唱えたのは新井白石だが、
畿内なら大和朝廷及び古代天皇の朝貢を認めざるを得なくなるゆえ、
緊急避難先として心にもない九州を当て馬として出しただけ。
それを九州ゆかりのカッペや、
反権力、反中央のブサヨがいまだ支持してるという構図。 >>753
大和説学者の時点で既に「南→東」などの嘘つき騙しのトンデモなのに、
それを妄信隷従して超絶劣化させた大和説者らの説は、
なんて呼べばよいのだろう?。 >>798
>祇園山は、低い丘陵の上に造られた「冢」だよ。
祇園山は山の中腹にあるんだが、知らんの? >>754
>この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、
京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。
こりゃウソだな。
筑紫では、弥生銀座が大繁栄している。
>その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、
一部で大柿遺跡の棚田がみられるが、
縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせるらしい。<
阿波も、「鏡片」が出土しているから、
筑紫の卑弥呼が派遣した東征将軍に征伐され支配された事になる。 >>755
>鬼頭宏(2000)「人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)」
「弥生時代から奈良・平安初期にかけて
畿内、畿内周辺、山陽、山陰、四国の5地域が揃ってシェアを拡大し、
そのうち畿内周辺は全国1になっている。<
鬼頭という男も、
「畿内」なんて存在もしない嘘つき騙し文言を使っているから、
結局は、大和説の・・・・アホ信者であったらしい、って事だな。
また、当然の事ながら、鬼頭は、
弥生銀座の繁栄を隠蔽するインチキをしているようであり、
瀬戸内〜東海が、九州倭国の「自昔・・・東征毛人五十五國」があった地域だ、
という事をも、知らん振りしている・・・・アホの詐欺師。 ザラコクって、
俺様の支持する主張は正しい
なぜなら俺様が支持するからだ
俺様の支持しない主張は間違っている
なぜなら俺様が支持しないからだ
的なことしか言ってないよね >>768
>>纒向の桃の種 >(朝日新聞 本年5月
西暦135〜230年・・・・纏向学研究センター公表(放射性炭素(C14)年代測定)<
>こんなことより中塚武さんの酸素同位体比で
勝山古墳の祭祀に使われた木材を鑑定すればいいのに。
祭祀に古年輪年代の3世紀前半という数値が正しいかどうかわかる。 祭祀に古材を使うわけない。
だから勝山古墳の被葬者の埋葬された時代を特定できるはずだ。<
中塚の方法は、結局年輪年代法と同じ事であるから、同じような欠陥を持っており、
樹木が吸収する酸素の同位体比が、
海水などのH2Oの影響や、光合成のCO2の吸収の地域的差異に拠っての、
変動要素があるから、
正確な年代が求められるとは、限らない。 >>776
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者が、
古田氏よりもよい帰納的推論をしてたとか言うのは、
またデマだろ?。 やっぱりシラ、白が重要なキーワードな気がする シラの正体がわかればいいんだが
しら、おしらさま、白日、天白、しらぬひ、
おしらさま伝承は伊勢以東、東海を中心に東北まで分布
白澤、人面の牛、牛妻
白も牛と繋がってくる
新羅も本来はシラ
白根は、島根、鳥取、神奈川、埼玉に多いな
尾張名古屋に天白区があるな >>777
AMS法は、 プラズマ化という放射性崩壊を促進する方法であり、
wwがいくらウソを百回言い張っても、
電磁場と重力場が相互作用をしていて、相互作用は場の安定化方向を志向するから、
原子から周りの電子を取り去るプラズマ化は、原子核内の場の攪乱を齎し、
ベータ崩壊を促進してしまう、
という物理法則は変化しませんよ。
wwは、ちょっと調べれば分かることなのに、調べもせずに自分に都合のいい間違い
(結果としてウソ)をいい続ける。
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説のwwは、
知らない、調べない、認めない、を地でいってるねww。 >>778の訂正
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、口先ヘイトスピーチのヒガミの説。 >>780
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、
精神構造のユガミの大和説。 >>807
で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?
で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
今言えサギジジイ! >>789
>>上野原遺跡が、投馬國になった<
>それだと、投馬国は邪馬台国よりも南だね?
投馬国へは水行二十日、また可五萬餘戸と、その戸數道里が略載されているから、
女王国より以北になるはずなんだが?<
投馬國説明には、出発と到着の間の「途中移動」文言がないから、魏使らは行っておらず、
だから、側副傍線國の説明文。
>自女王國以北、其戸數道里可得略載 <
投馬國は、女王之所都の直ぐ北の不彌國からの側副傍線國。
>それに、伊都国があって南に敵国の狗奴国があって、その南に女王国に属する投馬国って、
敵味方が入り組みすぎてないかい?<
だから、倭人は、九州内縦断をさけて、不彌國からの水行二十日路を説明した。 >>790
>>「大和の庄内に少し類似の第V様式が、弥生銀座や三雲に搬入された」
と言っていた事が、おかしかった。
庄内の焼成の技法は、楽浪土器や瓦式土器の技法や、
半島や大陸からの伝来の青銅や鉄やガラスの溶融技法が参考になった、
という推論は避けられないのだから、
列島では、半島や大陸に近い筑紫が先行した、という推論も避けられなかった。<
>何を言ってるのか自分でもわからないだろ。
もう家で屁をこいて寝ておれ。<
庄内が筑紫先行、という理由を言われてしまって、ショックで、
何を言ってるのか自分でもわからなくなったんだろ?。
もう家で屁をこいて寝ておれ。 >>792
>ヒミコが死んでから径百余もの墓を造り始めるわけがない。
その間、10年近くも「モガリ」を行ってたのかという話になる。<
魏志には「寿陵」であったなんて書かれていない。
また、径百余歩は、短歩であるから、径25〜30m位であり、
祇園山は、丘陵〜山付近を少し削っているから、
径25〜30m位の冢であれば、容易に出来る。 >>786
>ザラコクは嘘ばかりついているなあ<
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、
嘘つきヘイトスピーチばかりやっているなあ。 >>799
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説を、
ゆかりのカッペや、権力や中央のキョクウや、右翼マスコミや、キョクウの学会教育界が、
いまだ支持してるという構図。 >>800
>ザラコクは悪態ばかりついているなあ 、
「南→東」などの口先騙しの嘘つき大和説者は、
未だに、ヘイトスピーチの悪態ばかり付いているなあ。 中身がなんにも無い
悪口だけ
九州説はもう終わりだな >>817
>短歩とか創作すな<
周髀算経の一寸千里から、「1里≒76.5m」が判り、
周代から「1里=300歩」である事は変わっていないから、割り算して、
「1歩≒25.5cm」で、ほぼ一尺になり、
「短歩」だ、という事になる。 >>821
「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説者は、中身がなんにも無い。
悪口だけ。
大和説はもう終わりだな。 >>823
で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?
で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
今言えサギジジイ! 《論語・学而篇》馬融注引《司馬法》云:“六尺為歩,歩百為畝”。
《司馬法》司馬穰苴
→《史記》列傳 司馬穰苴列傳 >>810
>プラズマ化という放射性崩壊を促進
これがウソww >>822
>「1歩≒25.5cm」で、ほぼ一尺になり、
>「短歩」だ、という事になる。
これもウソww
歩はもともとが身体尺で複歩だから、どうやってもそんなに短くはできない
そもそも、ザラコクさんが主張するような「足の裏一つ分」の長さなら、
「脚」の字が使われるんだよ >>814
>側副傍線國の説明文。
これもウソww
側副傍線國などという概念は、カルト教団の中でしか信じられていないw 「歩」の旧字体は両足の足跡の象形文字
→画像検索で見た方が早いです 中国文化を否定しないと成り立たない九州説って
なんだそれ >>798
>祇園山
そこに王権があった謂れも王墓である謂れもない。
平原も同じく。
これは致命傷。
纏向は王権があった謂れがあるが、それは崇神以降である。
ならば箸墓は崇神以前であるので謎だが、
日本書紀に書かれてるモモソ媛ではなく、
崇神の叔父のイカガノシコオあたりであろう。
妹のイカガノシコメとヒメヒコを形成してることに留意。
彼が磯城の王であった証拠だ。
そのイカガノシコメから産まれたのが崇神。 >>833
>そのイカガノシコメから産まれたのが崇神。
その伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命をお祀りさえしない所など、以ての外。
「物部氏」の祖神とされている伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命が
日本で唯一、阿波國麻殖郡 伊加々志神社で祀られている。 @阿波 >>824
>・・・今言えサギジジイ!<
不可知部分が殆どである自然や歴史は、
知り得た事実の範囲内からの帰納的推論をするものだよ、
・・・・アホガキー!。 >>825
>《論語・学而篇》馬融注引《司馬法》云:“六尺為歩,歩百為畝”。
《司馬法》司馬穰苴 →《史記》列傳 司馬穰苴列傳<
秦の始皇帝の「1歩=6尺」時代の後漢の馬融の注引じゃ、
周代に関しての、何の根拠にもならないよ。 >>826
>>プラズマ化という放射性崩壊を促進<
>これがウソww<
アインシュタインの予言や、電磁場と重力場の存在の観測結果を否定するか?、
同じ資料でのベータ線法での計測とAMS法との対比計測を、
やってから、「ウソ」だといいな。 >>827
>>「1歩≒25.5cm」で、ほぼ一尺になり、 「短歩」だ、という事になる。<
>これもウソww 歩はもともとが身体尺で複歩だから、どうやってもそんなに短くはできない<
開脚歩行での、単歩とか複歩とかでは、
個人差や本人の努力差などで差があり過ぎて、
「長さ単位」としては使い物にならないんだよ。
単位として使えるのは、やはり、足底長という身体長。
>そもそも、ザラコクさんが主張するような「足の裏一つ分」の長さなら、
「脚」の字が使われるんだよ <
「脚」では単歩になってしまうではないか。
インチキするなよ、ww。 >>828
>側副傍線國の説明文。<
>これもウソww<
何だ?、
「出発記載と到着記載との間に、途中の移動などの説明が存在しない」
という史料実態に関する反論は、まだ聞いていないよ。
>側副傍線國などという概念は、カルト教団の中でしか信じられていないw<
「南→東」の嘘つき騙しや、
「途中の移動の説明が存在しない」事を隠蔽逃亡した大和説カルト教は、
国民の3割のアホ信徒にしか信じられておらず、
国民の7割から否認されているんだよ。 >>829
>南→東は 大平洋ルートで解決済<
人類の常識で否定済み。 >>830
>「歩」の旧字体は両足の足跡の象形文字 →画像検索で見た方が早いです<
「両足」という点が、複歩と同じ事になり、ひっかかるね。
身体寸法での長さの単位は、普通は、片方だけだから。 >>831
>中国文化を否定しないと成り立たない九州説って なんだそれ<
中国漢字文化を否定しないと成り立たない大和説って、
なんだそれ?。 >>832
「南→東」などの嘘つき騙しで、
日中両国の古代を嘘で塗り固めるか、・・・・詐欺師の大和説。 >>842
で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?
で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
今言えテメエ! >>838
>「脚」では単歩になってしまうではないか。
>インチキするなよ、ww。
単歩ではないことは認めるのか?
なら、その時点で25.5センチは自動的に否定されるなww
自分の言動にすら責任が持てないザラコクww
ザラコクの主張する足裏の大きさを表すなら、漢文で足首から先の部分を表す漢字が
「脚」なんだから、25.5センチを継ぎ足しながら距離を測るなら、「歩」ではなく
「脚」で表現されないとおかしい
この本質的な部分にまったく反論できない時点で、単歩=25.5センチは破綻しているww >>839
>「出発記載と到着記載との間に、途中の移動などの説明が存在しない」
この場合、側副傍線國であるという主張が妥当であるという論証が皆無
地理・旅程記事は厳格なフォーマットがある訳ではなく、文の流れや
対句などの表現技法、書くべき情報量によって当然に個々具体的な書き方には
揺れ、幅がある
それを、勝手に側副傍線国などと決めつけるのは、カルト内だけでしか通用しない
恣意的な解釈 >>837
>アインシュタインの予言や、電磁場と重力場の存在の観測結果を否定するか?
これ、実験(というか観測)の意味、分かってないだろ?
重力場によって空間が曲がるが、その曲がった空間内での直線通りに光は直進する
そこにグラヴィトンとフォトンの相互作用はない >>841
>「両足」という点が、複歩と同じ事になり、ひっかかるね。
>身体寸法での長さの単位は、普通は、片方だけだから。
引っかかるのはザラコクさんが無知なだけだよ
尋も、両手を広げた長さだし、片方が普通なんていう時点で間違った決めつけ
もの知らずが妄想を書き散らしても、ただの嘘つきにしかならないww >>842
>中国漢字文化を否定しないと成り立たない
「歩」の象形文字からの成り立ちや、実際の用例をすべて無視
否定しているのがザラコクさんww 自分の目的に利用するため色々単位を捜索しちゃう九州説は学問でありえない >>848
>地理・旅程記事は厳格なフォーマットがある訳ではなく、文の流れや
陳寿は一つの距離を日程と里程の二つで記載したんですね。
そのフォーマットを理解しないのが畿内説。 >>855
そんなフォーマットがあったという根拠は? >>857
意味のないレスを繰り返し、九州vs畿内の対立を煽り、スレを流そうとする
お前は最低な奴だなぁ 九州説は一部の素人マニアが専門の学者が認めてない史料珍読で創作した架空の歴史だよ ちなみに「止」の象形文字は片方の足跡
これも画像検索してね >>859
意味のないレスの典型はザラコクだな
悪口雑言しか言ってない ザラコクがいくらわめいても
魏で使われた里は短里にならないし
一寸千里は実測された数値にならない 結論が先にあって、あとから理由を考えてると
こんなふうに息が続かなくなるのさ 魏志倭人伝と実際の地理を比較すると、魏志倭人伝ではかなり一里が短いことがわかるよ。 九州説って具体的じゃないというより
もう観念論だろ 現代人の知らない未知の単位があったんじゃない
間違った距離情報があっただけだ
なぜなら、規則性がないから >>832
>>祇園山<
>そこに王権があった謂れも王墓である謂れもない。 平原も同じく。
これは致命傷。<
勿論、魏志の記載や、
祇園山の墳裾の第1主体の甕棺の、「剣や鏡片を持った成人女性」は、
卑弥呼に使えた奴婢のトップクラスの女性であった可能性が高く、
また、書紀に伝承がある朝倉地域や八女地域の真ん中に位置し、
がある松野氏姫氏の火の国にも近い。 >>847
>>「脚」では単歩になってしまうではないか。 インチキするなよ、ww。<
>単歩ではないことは認めるのか?<
歩という距離単位の始まりは、足底長だよ。
>ザラコクの主張する足裏の大きさを表すなら、漢文で足首から先の部分を表す漢字が
「脚」なんだから、25.5センチを継ぎ足しながら距離を測るなら、「歩」ではなく
「脚」で表現されないとおかしい <
足底は、脚ではないよ。 >>874
規則性はだいたい1里80mくらいであってるよ。 >>848
>>「出発記載と到着記載との間に、途中の移動などの説明が存在しない」<
>この場合、側副傍線國であるという主張が妥当であるという論証が皆無<
魏志倭人伝の行程移動の記載では、
出発記載と到着記載との間に、途中の移動をした文言がないから。
>地理・旅程記事は厳格なフォーマットがある訳ではなく、文の流れや
対句などの表現技法、書くべき情報量によって当然に個々具体的な書き方には
揺れ、幅がある<
「南→東」などの嘘つき騙しの・・・・詐欺師の大和説者では、
「揺れや幅」で誤魔化す事が幾らでもあるんだろうが、
陳寿は、非常に真面目な性格であるようであるから、
「揺れや幅」のあるような記載をせず、
個々の記述は、非常にきちんとした説明や書き分けをしている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています