邪馬台国畿内説 Part353
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1528495001/
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 現代人の知らない未知の単位があったんじゃない
間違った距離情報があっただけだ
なぜなら、規則性がないから >>832
>>祇園山<
>そこに王権があった謂れも王墓である謂れもない。 平原も同じく。
これは致命傷。<
勿論、魏志の記載や、
祇園山の墳裾の第1主体の甕棺の、「剣や鏡片を持った成人女性」は、
卑弥呼に使えた奴婢のトップクラスの女性であった可能性が高く、
また、書紀に伝承がある朝倉地域や八女地域の真ん中に位置し、
がある松野氏姫氏の火の国にも近い。 >>847
>>「脚」では単歩になってしまうではないか。 インチキするなよ、ww。<
>単歩ではないことは認めるのか?<
歩という距離単位の始まりは、足底長だよ。
>ザラコクの主張する足裏の大きさを表すなら、漢文で足首から先の部分を表す漢字が
「脚」なんだから、25.5センチを継ぎ足しながら距離を測るなら、「歩」ではなく
「脚」で表現されないとおかしい <
足底は、脚ではないよ。 >>874
規則性はだいたい1里80mくらいであってるよ。 >>848
>>「出発記載と到着記載との間に、途中の移動などの説明が存在しない」<
>この場合、側副傍線國であるという主張が妥当であるという論証が皆無<
魏志倭人伝の行程移動の記載では、
出発記載と到着記載との間に、途中の移動をした文言がないから。
>地理・旅程記事は厳格なフォーマットがある訳ではなく、文の流れや
対句などの表現技法、書くべき情報量によって当然に個々具体的な書き方には
揺れ、幅がある<
「南→東」などの嘘つき騙しの・・・・詐欺師の大和説者では、
「揺れや幅」で誤魔化す事が幾らでもあるんだろうが、
陳寿は、非常に真面目な性格であるようであるから、
「揺れや幅」のあるような記載をせず、
個々の記述は、非常にきちんとした説明や書き分けをしている。 >>849
>>アインシュタインの予言や、電磁場と重力場の存在の観測結果を否定するか?<
おや?、これは変な文になっているね。訂正。
アインシュタインの予言の、電磁場と重力場の相互作用の存在の観測結果を否定するか?。
>これ、実験(というか観測)の意味、分かってないだろ?
重力場によって空間が曲がるが、その曲がった空間内での直線通りに光は直進する<
また、この男(ww)は、判っていないんだな?。
現在の実験や観測は、「重力場という座標系」の上で行われており、
「重力場に拠って空間が曲がる」のではない。
そして、その重力場の上で、直進すべき(遠い星からの)光線(電磁波)が、
皆既日食の時の太陽の近くを通る時に、重力場と相互作用をして曲がった、
という事が観測された。
>そこにグラヴィトンとフォトンの相互作用はない<
だから、グラヴィトンという存在は、万有引力に拠る重力場の凝集、として説明され、
だから、観測の結果、フォトン(光子、電磁場の凝集)との相互作用もあった事になる。 >>850
>>「両足」という点が、複歩と同じ事になり、ひっかかるね。
身体寸法での長さの単位は、普通は、片方だけだから。<
>引っかかるのはザラコクさんが無知なだけだよ
尋も、両手を広げた長さだし、片方が普通なんていう時点で間違った決めつけ<
尋も、通常の計測単位ではない。
手を使うんなら、(片方の)前腕長としての「尺」がある。 >>851
>>(大和説者は)中国漢字文化を否定しないと成り立たない<
>「歩」の象形文字からの成り立ちや、<
お前は、「歩の象形文字」を説明していないよ。
>実際の用例をすべて無視 <
大和説者は、「南→東」などの、実際の用例を無視している。 >>852
>自分の目的に利用するため色々単位を捜索しちゃう九州説は学問でありえない<
自分の目的に利用するために、「南→東」などの嘘つき騙しや、
色々単位を造作しちゃう大和説は、学問でありえない。 >>854
>古代ローマも2歩分で1パッスス(約1.48m)<
英語でも「foot」は、身体長。 >>881
>グラヴィトンという存在は、万有引力に拠る重力場の凝集、として説明され、
どうしてこういうバカをさらして平気なんだろう? >>856
>そんなフォーマットがあったという根拠は?<
「女王之所都水行十日陸行一月」と、
「郡から邪馬壹國」の部分行程の里記載、との書き分け。 >>877
>足底は、脚ではないよ。
足首から先の部分を表す文字が「脚」だ
「手長」に当たる長さを言うなら「脚長」になる
足底長さが「歩」と書かれることはないよ >>857
>なんも根拠のないのが九州説<
「南→東」などの嘘つき騙しのように、
いつも、何の根拠もなく、都合の悪い史料記載を否定曲解する・・・・詐欺師なのが、
大和説者。 >>883
>韓、壱岐対馬の寸法
その何が証拠なの? >>858
>一歩が6尺で在る以上、歩は複歩で確定なわけだが<
始皇帝が「1歩=6尺」と命令したからと言って、
周髀算経の一寸千里や、「歩=足底長的寸法」や、魏西晋朝などの短里記載が、
変わる筈がないが。 >>860
>九州説が零落し果てたのは事実<
安部文部省や右翼マスコミやキョクウの学会教育界が、
幾ら大和説を宣伝しても、
国民の7割から拒否され、零落し果てた、という事が事実。 >>861
>九州説は一部の素人マニアが専門の学者が認めてない史料珍読で創作した架空の歴史だよ<
大和説は、学会教育界が「南→東」などの嘘つき騙しをして、
一部の(国民の3割の)素人マニアを騙して、
国民の7割が認めてない史料珍読で、
創作した架空の歴史だよ。 >>863
>意味のないレスの典型はザラコクだな 悪口雑言しか言ってない <
「南→東」などの嘘つき騙しなどの、意味のないレスの典型は、
大和説者やwwやssnや「早く言え」らだな。
悪口雑言しか言ってない 。 南の記述が間違いなら、
径百歩も間違いかも
畿内説で議論すべきだな
九州説は
南も、径百歩も議論する必要無い
研究を続けるだけで良い >>894
そりゃ始皇帝の時代にはそんなもの無いからな
変わるわけもない
纒向って、なぜ住居跡見つからず王宮と言うのか?
斎場か別荘か倉庫? >>899
南が東は空想は分かるな
論理的な解答無いな
推理としてもお粗末 >>898
>南も、径百歩も議論する必要無い
それ、研究しないってこと?
自己矛盾するけど? >>902
日本語でお願いします
無理とは知ってるが言ってみました >>898
畿内説では方位は間違いで
径百歩は正当としてるが
なにか問題ある? >>903
違うね
記述に従い解明すれば良いと言うこと >>866
>ザラコクがいくらわめいても 魏で使われた里は短里にならないし
一寸千里は実測された数値にならない <
「南→東」なども嘘つき騙しの大和説者やwwが、いくらわめいても、
魏で使われた里は長里にならないし、
一寸千里は実測を否定する事にもならない。 >>906
だからそれ、文献批判はしません=研究しません
って意味だろ? >>869
>なにごとも理由がないのが九州説<
「南→東」などのように、都合の悪い史料事実の否定曲解をしたり、
なにごとにもまともな根拠や論理がない、嘘つき騙しの・・・・詐欺師なのが、大和説。 >>908
文献批判ばかりしてどうするの?
先ずは文献に従い解明するのが常道
確信が持て、皆が納得できたら文献の間違いを指摘すれば良い
私は、九州説だが卑弥呼の墓はまだ発見されていないと思う >>870
>結論が先にあって、あとから理由を考えてると こんなふうに息が続かなくなるのさ<
大和説者は、
皇国史観大和説、という結論先にあって、
「南→東」などの嘘つき騙しのように、
先にウソを付いて、あとから理由を考えていると、
こんな風に息が続かなくなり、
国民の7割から拒絶されているのさ。 >>873
>九州説って具体的じゃないというより もう観念論だろ<
大和説って、具体的な歴史の学問的な説というよりは、
皇国史観狂という宗教的な観念論なだろう。 >>901
纒向は
調査段階だから期待せよ
畿内説の学者は確定的な事は言っていない
最有力候補なのだ >>874
>現代人の知らない未知の単位があったんじゃない
間違った距離情報があっただけだ
なぜなら、規則性がないから<
魏志に書かれた里は、
「南→東」などの嘘つき騙しの現代大和説人種には判らないだけであり、
魏の役人や陳寿が確認した情報であっただけで、
間違った情報ではない。
何故なら、秦漢朝時代の里の6分の1位の里距離の記載で統一されている、
という規則性があるから。 >>875
>もう観念して欲しいものだな <
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、
既に嘘つき・・・・詐欺師であった事がバレバレだから、
もう観念して欲しいものだな。 >>887
>グラヴィトンという存在は、万有引力に拠る重力場の凝集、として説明され、<
>どうしてこういうバカをさらして平気なんだろう?<
この男は、
場の相互作用が、全ての素粒子の存在の原因になっている、
という事が判らず、
何故バカをさらして平気なんだろう?。 纒向の復元はまだ早い
そんな金が有れば、
近くの田畑を掘ったほうが良い >>922
>場の相互作用が、全ての素粒子の存在の原因になっている、
本当に、何も、分かっていないww
現代物理学で、力がどのように記述されているか、根本を理解していないww
その程度の理解で、プラズマ化すると崩壊確率が上がるっていう嘘をつき続けているw
本当に大学に行ったのかい?
どこの大学なのか、言うてみ?
恥ずかしくて言えないか?ww >>889
>>足底は、脚ではないよ。<
>足首から先の部分を表す文字が「脚」だ
「手長」に当たる長さを言うなら「脚長」になる<
ウソを付くな。
脚
[常用漢字] [音]キャク(漢) キャ(唐) カク(呉) [訓]あし〈キャク〉
1 ひざから下の足。転じて、足全体。「脚下・脚部・脚力/健脚・双脚・馬脚・飛脚」
2 ある範囲の下側。「脚韻・脚注/山脚」
3 支えとなるもの。物事の根拠。「三脚・橋 ...
デジタル大辞泉
>足底長さが「歩」と書かれることはないよ<
周髀算経からは、「1歩≒25cm≒足底長」になる。
>>862さんも、
ちなみに「止」の象形文字は片方の足跡
これも画像検索してね
と書いておられた。 紅花花粉の炭素年代測定の結果まだか
もしくは出てるが都合が悪い結果か >>891
>「郡から邪馬壹國」だという証拠は?<
「水行十日陸行一月」という日数の数量記載の対象は、
その直前の文言の「女王之所都」という事になり、
それは、郡からの行程移動の目的地になるから。 >>892
>>「南→東」などの嘘つき騙しのように、
いつも、何の根拠もなく、都合の悪い史料記載を否定曲解する・・・・詐欺師なのが、
大和説者。<
>根拠がないという証拠は?<
「南→東」は、根拠がない。 >>898
>南の記述が間違いなら<
「南」なんて、間違える人ははいない。
>径百歩も間違いかも<
径百歩も計測だから、殆ど間違えない。
>畿内説で議論すべきだな、
畿内なんて存在しないから、大和説者の嘘つき騙しの文言。 >>899
>空想だけでは意味がない<
大和説は、「南→東」などの空想だから、意味がない。 >>900
>(1歩=6尺)そりゃ始皇帝の時代にはそんなもの無いからな 変わるわけもない<
周代までは周髀算経の一寸千里で「1歩≒1尺」であったし、
秦直後の淮南子も、一寸千里を使っているから、
始皇帝が変えたのであり、悪い。 >>905
>畿内説では方位は間違いで<
畿内なんてなかったし、
周髀算経や礼記に「東西南北」の方位の決め方が書かれているから、
「方位は間違い」は、問題があるし、悪い。
>径百歩は正当としてるが なにか問題ある?<
前方後円墳では、「径」は前方部〜後円部の「長径」になり、
箸墓は×だから、問題があり、悪い。 >>909
>ふつう反論もしないで否定はできない<
大和説者は「南≠東」に、
反論もしないし、
だから、否定も出来ない。 >>917
>纒向は 調査段階だから期待せよ
畿内説の学者は確定的な事は言っていない 最有力候補なのだ、<
「南≠東」だから、最も可能性がない遺跡の一つであり、
「最有力候補」ではない。 >>925
>>場の相互作用が、全ての素粒子の存在の原因になっている、<
>本当に、何も、分かっていないww
現代物理学で、力がどのように記述されているか、根本を理解していないww、
wwは、
重力場が全ての物質の存在の座標系になっていて、
他の場との相互作用(=力)で、その物質の位置や存在を確認出来る、
という「場の根本的な論理」が判っていない。 >>935
>箸墓は×だから、問題があり、悪い。
で、祇園山でも平原1号墓でもいいけど、どこをどう計ったら径百歩になるんだ? >>939
で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?
で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
今言えサギジジイ! >>926
>ちなみに「止」の象形文字は片方の足跡
お前本当にバカだな!
「止」の象形文字が片方の足跡で、「𣥂」の象形文字がもう片方の足跡
二つ合わせて、複歩で「步」だ!
「𣥂」が表示されなかったら「少」だと思いな >>942
>参詣径が百歩なんだろ
そんなことが「どこに書いてあるんだ?」
あんまり笑わせるなよw >>939
>重力場が全ての物質の存在の座標系になっていて、
>他の場との相互作用(=力)で、その物質の位置や存在を確認出来る、
>という「場の根本的な論理」が判っていない。
そういう思いつきのウソじゃなくて、少しは意味のあることを書けよ
これには答えられないのかい?
「本当に大学に行ったのかい?
どこの大学なのか、言うてみ?
恥ずかしくて言えないか?ww」 >>926
>ウソを付くな。
嘘を吐くな!
日本語じゃなくて中国語で考えなきゃダメだろう!
漢典http://www.zdic.net/z/22/js/811A.htm
1. 人和某些动物身体最下部接触地面的部分 で、
英語だと feet が第一義で、書いてあるだろうが!
漢文読めない人間が、ぐだぐだ言ってもムダ >>946
>「径」って小道という意味だよ
それを言う奴はこれまでにも何人もいたけど、「そういう意味もある」ってだけで、
径百歩を「小道は百歩」と訳したら意味が通らないだろう?
卑彌呼以死大作冢徑百餘歩
これの解釈で
「卑弥呼が死んだ 大いに冢を作る さし渡しは百余歩」というのと
「卑弥呼が死んだ 大いに冢を作る 小道は百余歩」というのと、
どちらが自然に読めるか考えてみなよ
そもそも百余歩でどこまで行けるんだ?
その小道はどこからどこまで? >>940
>>箸墓は×だから、問題があり、悪い。<
>で、祇園山でも平原1号墓でもいいけど、<
私は、卑弥呼の墓は、(平原ではなく)祇園山説だ。
>どこをどう計ったら径百歩になるんだ?<
殉葬墓群のある墳裾の、外縁部だ。 >>943
>「止」の象形文字が片方の足跡で、「𣥂」の象形文字がもう片方の足跡<
どこが「片方の足跡」になっているんだ?。 いい加減畿内説っていうネーミングやめたらいいのに。
邪馬台国はヤマト国だろ。
何で関係のない他の畿内を巻き込もうとするんだろ?
他の畿内の人々は、邪馬台国や初期の大和朝廷みたいな縁起悪いものと関係ないんだけどな 壱岐に三千家がある可能性は当時の人口的にない
三韓に十五万家以上ある可能性は当時の人口的にない
当時千人以上収められる一つの建築物はない
当時径百歩の冢などない
「破賊文書旧以一為十」
三国志には実際に十倍されている記述が散見される
韓と倭の里数、日数、戸数、奴碑数、冢の径数もまさにそれであろう >>945
>>重力場が全ての物質の存在の座標系になっていて、
他の場との相互作用(=力)で、その物質の位置や存在を確認出来る、
という「場の根本的な論理」が判っていない。<
>そういう思いつきのウソじゃなくて、<
思いつきではなく、自然の実態だ。 >>953
>壱岐に三千家がある可能性は当時の人口的にない<
壱岐ではない。一大國。
吉野ヶ里で千戸位だから、三千家は十分可能性があるし、
そもそも、陳寿の情報源は、魏使らの記録。
>三韓に十五万家以上ある可能性は当時の人口的にない<
倭が十五万家であるんだから、三韓にあってもおかしくないし、
そもそも、これは、郡役人たちの記録が元。
>当時千人以上収められる一つの建築物はない<
当然、「居處宮室樓觀」の周りに竪穴式が沢山あっても十分。
>当時径百歩の冢などない 、
楽浪太守の墓や、祇園山がある。
>「破賊文書旧以一為十」 三国志には実際に十倍されている記述が散見される
韓と倭の里数、日数、戸数、奴碑数、冢の径数もまさにそれであろう<
「散見」では、根拠にならず、
そもそも、韓と倭の里数、戸数、奴碑数、冢の径数は、陳寿ではなく、
魏使らや、魏や郡の役人らの記録が元。 >>955
>「さし渡し」なんて意味は当時はないよ
魏志倭人伝と同じ、三国志の用例
三國志卷十八/魏書十八/二李臧文呂許典二龐閻傳第十八
太祖行酒、韋持大斧立後、「刃徑尺」
これは「小道」では意味が通らないでしょ?
「刃のさし渡しが尺」以外に解釈はないと思うけど?
三国志の記述だから、「当時」で間違いないよな? >>954
>思いつきではなく、自然の実態だ
ほら、すぐ馬脚
自然の実態じゃなくて、現代物理は数学的なモデルなんだよ
そこが分かってないから、徹頭徹尾、適当で間違ったことを書き続けているww
で、相変わらず、これには答えないのかい?
「本当に大学に行ったのかい?
どこの大学なのか、言うてみ?
恥ずかしくて言えないか?ww」 用例とか同時代性とかをことごとく無視したりねじ曲げたりするのが伊都クズ >>951
>どこが「片方の足跡」になっているんだ?。
これも何度も貼ってるんだがな
https://f.jigen.net/img/fn/k/1/70/27497o1.png
前が「止」で後ろが「𣥂」の象形文字
二つ合わせて「歩」になるんだよ 祇園山古墳のWikipedia、えらい適当な編集がされてるな
葺き石のある方墳で2段築成だし、完全に古墳時代に入ってからのものなのに
冒頭で「三世紀中期のものと推定され」と根拠なく書いてあって、
古墳のサイズその他のテンプレ部分では、「2世紀中期」と書いてあるww
とりあえず、ページの問題点に
「出典がまったく示されていないか不十分です。
内容に関する文献や情報源が必要です。(2018年5月)」
って書かれてるけど、九州説のやり口そのもので笑える 新スレ立てました。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1529244234/
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*前スレが終了してから書き込んでください。
なお、書き込みは
邪馬台国畿内説に関係が有って
根拠のある内容をお願いします。
畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。
前スレ終了以前の書き込みは荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 韓、倭を服属させた司馬懿の功績に手をつけることを恐れたため韓・倭の権威・国力に関わる数字が10倍のまま修正されていないと仮定した場合
水行二十日、水行十日、陸行一月、奴碑千人、径百余歩、殉葬百人も10倍されていると見るべき
水行・陸行は漢書西域伝と比べて不自然なほど整った数字が記載されているのも10倍されているとしたら合点がいく
10倍された場合は元がどんな数字でも10の倍数になるからだ
邪馬台国の七万戸は一戸5人なら35万人で日本の総人口60万人の半分以上
魏志倭人伝記載の戸数計14万9千戸で日本の総人口は軽く超えて、狗奴国も傍余国も倭種の国も全部存在できない
壱岐島三千家はあの狭い島に15000人/60万人で日本の総人口の約1/40も壱岐島にいる計算になる
明治時代の30000人/4000万人の約1/1333と比べて異常な数値である
奴碑千人に関しても守衛や役人の数も含めたら宮殿内部の働き手の数は千人を優に超えるであろう
仮に2000人だとしたら、当時の日本の人口の300分の1という凄まじい数が宮殿に集結することになる
当時2000人が住める建物はおろか集落すらないだろう
径百余歩も同時代それに相当する冢はないが、10倍なら候補はいくらでもある
平原一号墓などは副葬品だけ見れば卑弥呼の墓の条件を満たしていると言えるが大きさが足らなかったがこれで綺麗に収まる
周濠の土壙墓の数も一致する 韓と倭の戸数里数の異常性の考察
高句麗 方可二千里 戸三万
3万戸/2千里=15
夫餘 方可二千里 戸八万
8万戸/2千里=40
韓 方可四千里(四百里)
馬韓 総十万余家(一万)
弁辰 総四五万家(四五千)
15万家/4千里=37.5
(1万5千家/4百里=37.5)
面積は誇大なのは確実なので面積を1/10に直して家数を直さない場合
15万家/4百里=375
当時の日本の人口予想が約60万人
韓の家が平均4人以上なら、半島南部だけで日本の総人口を上回る計算
扶余の10倍近く、高句麗の25倍という韓の人口密度は異常
よって韓の家数も里数同様に誇張されているとみて間違いない つまり全ての数字が10倍に誇張されていたと。
やはり卑弥呼の墓は平原遺跡か。 >>963
>径百余歩も同時代それに相当する冢はないが、10倍なら候補はいくらでもある
ただ一人の倭王のための墓、大作冢と特記された墓が、
いくらでも候補があるような凡百の墓ではおかしいとは思わないのかねぇ
時代が合う厚葬墓で、最大の墳丘を持つものが第一候補だよ
「径百余歩も同時代それに相当する冢はないが」となるのは、恣意的に
倭国を九州限定にしているから
北部九州の外には、古墳時代に入る前から巨大な墳丘を持つ首長墓が、
吉備、出雲、丹波、大和で作られるようになっているよ
そういうのをすべて無視して、無理やり倭国を九州限定にしないと
成りたたないのが九州説 >>963
>副葬品だけ見れば卑弥呼の墓の条件を満たしていると言えるが
魏晋代の舶載鏡が一枚も副葬されてないんですがそれは? 径が小道だとしたら
箸墓には円部の直径に近い直線の小道があったことにならないか >>942
>参詣径が百歩なんだろ <
参詣径だとしたら、
前方後円墳は、遺体は円墳の頂上に埋葬され、方墳はあくまで頂上に至る通路としての役割として
径百歩はどこからどこまで?? >>966
卑弥呼の冢が築かれた時代を考えてみよう
卑弥呼の死の直前は
倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状
卑弥呼の死後は
更立男王國中不服更相誅殺
という戦乱の時代
築造年数 約15年8か月
作業人数 約680万人
費用 約800億円
これは仁徳天皇陵の試算だからこれよりかは幾分少なくなるだろうが、これほどの年数、人員、費用を戦乱の時代に墓造りに割けるだろうか?
いや割けない、戦争・戦乱でそれどころではないはずだ
箸墓が時代が合うというのも眉唾
畿内説の寺澤薫の土器編年でも3世紀後半で卑弥呼の墓ではないとしている
関川尚功編年では4世紀中頃で年代は全く合わない
安本美典、小沢一雅などによる統計学的処理でも4世紀中頃を指す
炭素年代測定法は年輪年代法の絶対年代を基にした暦年こう正ができていないため参考程度にしかならない
このような状況で一体何を根拠に箸墓古墳を卑弥呼の死と同時代とするのであろうか >>967
魏晋代の仿製鏡がある
さらに中でも目を引くのは長さ120cmの鉄素環頭大刀だ
一尺は約24cm、五尺は約120cmこの刀は魏から二口下賜された五尺刀にぴったりである レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。