0963日本@名無史さん
2018/06/17(日) 23:36:10.26水行二十日、水行十日、陸行一月、奴碑千人、径百余歩、殉葬百人も10倍されていると見るべき
水行・陸行は漢書西域伝と比べて不自然なほど整った数字が記載されているのも10倍されているとしたら合点がいく
10倍された場合は元がどんな数字でも10の倍数になるからだ
邪馬台国の七万戸は一戸5人なら35万人で日本の総人口60万人の半分以上
魏志倭人伝記載の戸数計14万9千戸で日本の総人口は軽く超えて、狗奴国も傍余国も倭種の国も全部存在できない
壱岐島三千家はあの狭い島に15000人/60万人で日本の総人口の約1/40も壱岐島にいる計算になる
明治時代の30000人/4000万人の約1/1333と比べて異常な数値である
奴碑千人に関しても守衛や役人の数も含めたら宮殿内部の働き手の数は千人を優に超えるであろう
仮に2000人だとしたら、当時の日本の人口の300分の1という凄まじい数が宮殿に集結することになる
当時2000人が住める建物はおろか集落すらないだろう
径百余歩も同時代それに相当する冢はないが、10倍なら候補はいくらでもある
平原一号墓などは副葬品だけ見れば卑弥呼の墓の条件を満たしていると言えるが大きさが足らなかったがこれで綺麗に収まる
周濠の土壙墓の数も一致する