◎纒向には、万単位の人々が暮らし、土木作業を行っていた。纒向集落は、ヤマトの地が外部勢力に征圧され、その結果できた集落。
纒向は、ヤマトの地を征圧した兵と徴用された地元民が万単位で土木作業に従事した大集落。
卑弥呼は鬼道で民を纏める役割を担っていた。

さらに4世紀に突然消失し武器などの遺留物が無いこと(もぬけの殻)を考えると、記紀の四道将軍の記述と合致する。
◎纒向は、4世紀に意図的に解散し、民は兵として全国平定に駆り出されたと推測できる。


纒向遺跡は記紀で神武東征として描かれている畿内征伐の主体が、実際は出雲など山陰、尾張三河など東海、吉備など瀬戸内海の勢力が中心であったと教えてくれる。
彼らは畿内の民を酷使して巨大古墳を作らせ、更に殉葬として多くの人々を殺害した。

纒向遺跡は、更に四道将軍として描かれている関東東北征伐も実際にあったことを示唆する。