>>966

卑弥呼の冢が築かれた時代を考えてみよう
卑弥呼の死の直前は
倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状
卑弥呼の死後は
更立男王國中不服更相誅殺
という戦乱の時代

築造年数 約15年8か月
作業人数 約680万人
費用    約800億円

これは仁徳天皇陵の試算だからこれよりかは幾分少なくなるだろうが、これほどの年数、人員、費用を戦乱の時代に墓造りに割けるだろうか?
いや割けない、戦争・戦乱でそれどころではないはずだ

箸墓が時代が合うというのも眉唾
畿内説の寺澤薫の土器編年でも3世紀後半で卑弥呼の墓ではないとしている
関川尚功編年では4世紀中頃で年代は全く合わない
安本美典、小沢一雅などによる統計学的処理でも4世紀中頃を指す
炭素年代測定法は年輪年代法の絶対年代を基にした暦年こう正ができていないため参考程度にしかならない
このような状況で一体何を根拠に箸墓古墳を卑弥呼の死と同時代とするのであろうか