後漢末、
曹操によって左将軍に取り立てられた公孫康は、206年〜ころ帯方郡を開き、韓・倭の支配に乗り出した。
とうぜん倭国との往来は続き、伊都国には郡役人の駐在所まであったと書かれている。
これは、その後の公孫淵の自爆反乱前の235年ころまで安定的に継続した。

倭人伝の原典になったのは、このころの郡役人の調査による報告書だったのであろう。
倭地の風土風物地理政治経済の記述ぶりを読めば、そのもとは役人の文章とわかる