そもそも後漢〜魏にかけて、
中国王朝は公孫氏一族及び帯方郡と良好なかんけいにあった。

ただ、公孫氏の四代目の公孫淵がバカ殿で、230年代中頃、突然魏に反旗を翻した。
その鎮圧に数年を要したが、238年に片が付き、その直後卑弥呼の朝貢があったのだ。
寝返ったのは、公孫淵だ。間違えるな。