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歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ46
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 23:01:50.49
<お願い>
・常時age進行でお願いします。
・回答に時間がかかることもあります。ご了承ください。
・既に専門スレがあったり、板違いの質問や議論、主張があったりする場合は、速やかに誘導してください。 ただし戦国時代板や考古学板、日本近代史板があっても、
ここは日本史板なので、日本史の全時代が対象として可です。
・このスレでは過度な論争は自粛してください。 特に現在の政治論争は自粛してください。 ここは質問とそれに対する回答のスレです。政治的な主張の場ではありません。
・煽り質問もままあります。スルーしてください。

前スレ
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ45
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/history/1526622547/l50
(itestより)
0851日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/29(月) 09:51:57.11
権力を握っていたからこそ目の上のたんこぶ信西が我慢ならなかったのだ。
0852日本@名無史さん
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2018/10/29(月) 12:03:38.49
>>845
日本人って言うときは、普通は国籍か民族を指し示すよ

アメリカ人ならアメリカ民族なんてないからアメリカ合衆国の国籍だろうね、
合衆国在住者(のうち、非アメリカ国籍のひと)のことはアメリカ人って呼ばないと思う
対するに、フランス人は国籍より民族で呼んでそう

日本国籍をとったら日本人と呼んでもいいよ
永住権だけだと「在日外国人」、日本人ではない外国人の扱いだから、
日本人じゃない
0853日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/29(月) 12:06:12.11
>>850
信西を排除したくて反乱したけど失敗した、それだけだろ
信西を殺したとこで油断して法皇とか清盛とかに反撃されたんだよ
0854日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/29(月) 13:04:25.95
どう見ても造山古墳内に家を建てて住んでる人達は
どういう経緯でアソコに住むようになったの?
(´・ω・`)
0857日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/29(月) 15:03:47.83
>>854
中世から近世まではどの古墳も管理されてなくて放置状態だったから、
古墳内だと知らないで移住して住み着いたとか結構ありそうだ
0858日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/30(火) 17:30:45.09
なぜ秀吉は征夷大将軍ではなく関白を選んだのでしょうか
幕府を開くことには興味がなかったのでしょうか
0860日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/30(火) 19:22:51.86
室町幕府のgdgdな崩壊を見ていて
さらに幕府開こうとか思わんだろ
0861日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/30(火) 20:50:33.87
>>858
秀吉にとって将軍より関白の方が格上でえらそうに見えたからって説と、
前将軍が非協力的だったんで将軍就任のハードルが上がった一方で関白は前関白の一人に養子縁組を受諾させることができてハードルが下がったことの影響か
0862日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/30(火) 20:53:17.39
征夷大将軍になるため源氏である足利義昭の養子になろうとして断られてる
まぁ幕府を開くのが目的ではないし、権力者になれればいいんだから関白という手もある
将軍よりエラいし
0863日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/30(火) 20:59:04.69
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0864日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/30(火) 21:19:07.25
>>858
もともと源頼朝は朝廷と距離を置いて東国を支配するために幕府を開いた。幕府というのは
いわば軍事政権であって朝廷の支配の及ばない別政権を武力を背景に打ち立てたということだ。
秀吉は朝廷のパトロンになってうまくつきあおうとしていたから幕府を開かないで平家のように
朝廷の仕組みを利用しようとした。そしたらまさかの関白の席が目の前に転がってたので自然な
成り行きで手を伸ばしたってところだな。
0865日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/31(水) 01:58:44.38
源頼朝は京に帰って幕府を開きたかったが、
支持基盤である関東御家人がこぞって反対して断念したってどこかで読んだ
(まさかこのスレでないと思う、たぶん、そうだといいな)
0866日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/31(水) 12:53:08.07
将軍なら御家人や管領といった将軍配下の者が仕事をするが
関白の場合は家人が仕事をするわけじゃない
0868日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/31(水) 20:10:41.21
平安時代の実績としては関白が専断的に政務を行うことはなかったんだろうけど、秀吉は新たに実行することにしたんだろう
0869日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/31(水) 23:11:18.44
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0870日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/01(木) 20:41:28.73
すみません 歴史物というか時代物の娯楽色の強い小説ばかり読んでる者です
佐藤雅美の「大君の通貨」という小説を読んで幕末のハリスの印象が変わったのでwikiやら色々ネットで見たけど開化の父とか敬虔な新教徒で教育者という評価は昔と変わりないようです
件の小説では寂しがり屋ながら無駄に誇り高く金に汚い印象で幕末日本の金銀交換比率に目をつけて蓄財しそれが公になるのを嫌い逃げ帰った男という描写でした
参考文献にはオールコックの「大君の都」があり本人が出版したのでは無いにせよハリスの日記もありました
この佐藤という作家が一方的にオールコックの手記を信じて書いたのか それともハリスにはそういう一面も有ったのか 史料を読んだ事が無い私に教えて頂きたいのです
0871日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/01(木) 20:49:43.92
倉都康行著の12大事件でよむ現代金融入門にハリスの蓄財に関しての記述はあるみたいね
0873日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/01(木) 22:54:26.32
>>871
難しそうな著作ですね まともに読めるとも思えない
でも有り難うございます
ハリスも人の子でお金欲しかったならそれはそれで良いのです
一生懸命生きてオールコックとか利害衝突する奴に当たって逃げるのもアリだと思うけど もしそれが本当なら開化の父とかそういう評価は違うのかなと思ってしまい
かつ一方的にオールコックの言い分を認めるのもと迷って質問しました
ただ後ろ暗い部分がある人が英雄のように言われるのはモヤモヤして質問してしまいました
教えて下さって有り難うございます
0874日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/02(金) 00:19:25.92
どんな英雄でも後ろ暗い部分はあるものです。それが無い人も居なくはないけど滅多に居ない。
漫画家のみなもと太郎はそういう欠点のない善人を「血も涙も通わない善人」と称しています。
ハリスは血も涙も通った人間ということでいいじゃない。
0876日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 08:38:32.53
江戸城の天守閣が消失したのは、ある寺の失火が原因とされていますが、
普通に考えてそんなことで天守閣が消失するわけがなくないですか?
(´・ω・`)
0877日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 08:40:15.80
失礼、焼失でした
(´・ω・`)
0878日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 09:07:21.46
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0879日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 12:40:06.52
>>875
財務省資料によると、現在は皇室用財産(税金回避の為、国有財産でもある)は5000億円
半分国有なので建前として2500億円と考えることも出来る。
後は、皇室個人の宝石とか服とか。
0880日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 12:52:48.23
宮内庁HPによると
皇居の土地 3277億円6300万円

参考:
国会議事堂の土地 2451億3200万円
0881日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 13:22:31.45
>>876
当時は火消しっていってもぶち壊すくらいしかできないんやで
大風吹けば一発よ
0882日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 13:29:00.64
表面に土壁があったところで、強い熱が加わって補強材の繊維分(ワラとか)が焼けたら土は崩れるだけだしな

表面は瓦とか土壁、漆喰でも内部は木材が主成分だから焼けたら無くなっちゃうだろ


外見の割に防火能力は高くなさそう
0883日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 16:27:14.85
思い込みで語ってるとこ悪いが
土壁は現代基準の防火構造も容易に達成できるぞ
一般的な住宅なら準防火地域でも建てられる
0884日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 19:32:01.66
続日本紀」に霊亀の時分(8世紀頭)に蝦夷からの進貢の中の昆布があったり、10世紀の延喜式で陸奥国の調の品目にやはり昆布が指定されていたり、
するけれど、なんで、昆布の採れない畿内方面の人が昆布の味を知っていて欲しがっていたんだろう?
17世紀〜19世紀、松前藩も弘前藩も松前藩に出入りするアイヌも、食べる習慣が無く、何に使うか知らないまま、北前船が求めるままに採取して干して
束ねて卸していたという。8〜10世紀の当時、奥羽・北海道で昆布を食べていてその後に食べなくなったのか、はたまた、最初から食べていなかったのか、
どっちなんだろう?
採れるところで食べず、採れないところで有難がって食べる、とは奇妙なものだけれど。
0885日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 19:55:39.31
鎌倉時代〜室町時代で
戦で戦死した武士の領地ってどうなるのですか?
0886日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 22:08:14.25
南北朝は歴史の色んな場面で目にする機会がありますが、
両統迭立ってあまり目にする機会がありません
日本の最高権威である皇位の継承に関する重要な決まり(慣習?)であり、
もっとクローズアップされてもいいかと思うのですが如何でしょうか?
0887日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 22:21:54.01
>>885
普通は兄弟なり親族が継ぐから問題になることは少ない
継承可能な親族が残らないような戦死の場合だと、土地そのものを奪い取られてるのが普通だから、これも領地の帰趨が問題になることはない
0888日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 23:40:37.09
>>884
>採れるところで食べず、採れないところで有難がって食べる、とは奇妙なものだけれど。
江戸時代に俵物と言うのがあった。日本では食べない海鼠・フカヒレ・干し鮑を干物にして俵に詰めて
清国に輸出していた。アワビと海鼠は日本でも食材だけどフカヒレは食べてなかった。

昆布については都人は昆布は見たことなくても海藻の味は知ってるから食えそうで目新しいものがないか
国司などの役人として下った者が調査して良い物があれば手柄になるんだよ。
0889日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 23:49:34.36
ヨーロッパ人が世界一周していた頃に日本人の船は近海から出ることも出来ませんでした。
日本の船は中国人のジャンク船よりも性能が悪かったそうですね。
0890日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 23:55:06.09
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0892日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 00:31:15.35
>>888
フカの身は食べてたよねえ。今でも、よく食べる地域あるし。
フカの類は軟骨魚だから、鰭は所謂魚の鰭様のものではなくて、結構肉厚で、骨が通ってるけれど柔らかい。
エイの鰭の干物もある。炙って食べると美味しい。
食べていたんだけれど、高く売れることが判ってから、あんまり作った地元では食べなくなったんじゃないのかな?
他の干物と同じように、炙って齧るようなやりかたで。

ところが、昆布は、程良く湿気と温度のある蒸し暑いところで一夏寝かせてはじめてダシが出るようになる。
寒冷期の17世紀〜19世紀の気候では東日本ではダシが出るまでこなれなくて、大坂に持ってきて問屋が蔵に置いて
ようやっとこ食べられる状態になった。
0893日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 02:16:11.79
>>892
えー、でもサメ肉はアンモニア臭がするから食べないと普通言われてない?
0894日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 09:10:20.86
>>889
低性能であること把握していた。

江戸時代に、年貢の米を運ぶ舟が沈んで困っていたので、船大工が西洋の船をまねて船模型を作った。
東インド会社に船模型の監修を依頼している。
0895日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 09:27:54.71
出島は何のために作ったと思ってるの?オランダ人が勝手に出歩って一般人と接触できないように
閉じ込めてるんだよ。何でそんな依頼ができるのよ。
0897885
垢版 |
2018/11/04(日) 10:09:53.21
>>887
なるほど
ありがとうございました
0898日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 10:54:38.98
>>884
古代人の時代から交易ネットワークは恐ろしいほど広かったりする
現代人の感覚では遠いから交流がないと思うような地域でも交易してたりする
各地の特産物を交易でやりとりしてその中でも良いものが献上されたりする中で
京都の食文化で必須とされるものになっていったんだろう
0901日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 11:45:59.95
>>884
律令時代だと、各地の特色を出す特産品が重視される傾向もあったから、昆布それ自体が目的だったかどうかは分からないのでは?
0902日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 13:19:11.99
李王朝時代の韓国が水車を作れなかった話はネトウヨの悪質なデマです
逆に日本は技術劣等國でした
江戸時代の日本には車輪がありませんでした

日本で車の使用が認めていたのは江戸と京都だけです
庶民は車輪の存在を知っていませんでしたし知っていても使用することさ許可されませんでした

船も原始的で欧米先進国どころか薄汚い清国より劣等でした
0903日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 14:48:41.87
前半の
>逆に日本は技術劣等國でした
>江戸時代の日本には車輪がありませんでした

と中段の
>日本で車の使用が認めていたのは江戸と京都だけです
>庶民は車輪の存在を知っていませんでしたし知っていても使用することさ許可されませんでした

が完全に矛盾してるな

根拠のないデタラメな結論を吹聴したいとバレバレだぞ
0904日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 15:02:31.37
ただ大きい船を作るのも禁止されたし、車じゃなく飛脚だし、人為的に後退してるよな。
0905日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 15:18:56.34
江戸時代にも東海道舗装&馬車化の構想が無かったわけではない。
ただ維持費の試算結果を見て当時の幕閣が却下した。

多くの馬車を走らせるには街道沿いに牧場を作る必要があり、立ち退きを迫られる農家に新しい田畑を補償するコストが莫大だった。
また日本は地震国なので時々舗装が壊れる事が想定されるが、東海道は大動脈なので迅速に補修を行わないと交通の麻痺が長引いて経済に大きな悪影響がある

日本で馬車が普及しなかったのは地理的な要因だよ。
0906日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 15:30:24.93
車は山が多いから便利じゃないんだよ。和宮の降嫁のときだって東海道じゃなくて中山道なのよ。
江戸時代に舗装道路って何を敷くつもりよ。現代でも自動車が普及するまで未舗装が普通だったのに。
0908日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 16:36:44.71
1998年までネットが普及しておらず
庶民の男は女のまんこがどうなってるのかすら知らないのが多数いた
1998年ごろからはとりあえず股間がどうなってるかはみれるようにはなった。ただし風俗規制(合理的意味は特にない)セックス回数はほぼ0回でオナニー率が異常に高く満足とは程遠い世界。

みたいな性についての歴史の移り変わりみたいなのを調べた人はいるんでしょうか?
0909日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 17:23:52.69
>>864
清盛は安徳天皇の外祖父になることで権力を得ました。秀忠も同様に外祖父になりました
秀吉は後奈良天皇の御落胤だそうですが,娘がいません。どう権力を保持しようとしたんでしょうか?
0910日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 17:48:57.68
外戚って、多くの場合は権力の源泉ではなくて、権力者同士が縁戚関係によって仲良くしようとするためのものだよ
極論すれば、外交官を派遣するようなものと思っていい
0911日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 18:19:49.90
後三条天皇や足利高氏は生母が藤原家・北条家ではなかった珍例がため
排斥できたやん。
0912日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 18:49:22.69
徳川家康は醜女好きだったとの事ですが
当時の美女というのは京都風の麻呂みたいな女性
だったでしょうから至って健全な好みだったのでは
と思います

白塗りで眉毛のないお歯黒で歯が真っ黒な女性が
なぜ美女と考えられていたのか訳分かりません
ギリシア彫刻のような自然の美を認める感性は
無かったんですかね?
0914日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 19:07:47.67
醜女好きの真偽は知りませんが、出産経験のある人(経産婦)を好んだと言われています。
豊臣政権が跡継ぎ問題で滅亡したのを反面教師としたとの説が濃厚です。美意識は横に置いていたのかもしれません。

平均的な美意識に関しては、富裕度と関係する部分を尊んだ可能性が高そうです。
高価な輸入品たる白粉を多く使用できることとか、食に困らないことを示すふくよかさなど経済力の表面化みたいな部分を美人の象徴と見ていたのではないかと
0915日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 20:46:29.26
>>893
サメ類は腐りにくいんだけれどねえ。
昔から山間部に塩なしで運ばれて刺身になっていた。
0916日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 20:49:39.75
>>901
明らかにダシに対する嗜好もあったことは、土佐国、紀伊国、日向国 等々に鰹のゆで汁を煮詰めたものを納めさせていたことからも判る。、
0917日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 21:09:14.47
>>912
万葉集の雄略天皇の歌を思い出しました。
菜摘みの少女にプロポーズする王者の歌ですが、やはり当時の人も本音では宮廷より野の百姓の娘の方がセクシーだと感じてたんでしょうね。
百姓の娘の方がスタイルはいいでしょうからね。

江戸時代の話になりますが、公家や天皇の妾は庶民の娘が多かったそうです。
家柄に箔をつけるため、表向きはどこかの名家の養女を妾に迎えるという形で輿入れしたとの事。
0918日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 21:21:05.52
ふくよかさとか経済力の表面化がもてはやされたのではなく経済力そのものがもてはやされたのが婉曲されて伝わったのではなかろうか
0920日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 23:58:08.92
肖像画について質問です。

将軍レベルの人の肖像画は、どれくらいのレベルの画家が書いたのでしょうか?
綱吉や家茂なんか、あきらかに「こんな顔の人間いるわけ無いだろ」と言うような完成度です。
もっと上手な画家はいなかったのでしょうか?また、実物と違った絵を描いても将軍の怒りを買ったり、罰がくだったりも無かったのでしょうか?

権力者の姿を無茶苦茶に伝えて、ある種の罪だと思います。
0921日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/05(月) 01:46:06.25
狩野派
0922日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/05(月) 01:57:05.75
>>920
特徴はよく捉えているのだと思いますよ。
昔の日本画は、強調したいものは大きく書き、
どうでもいいものは小さく書くという
書道と同じセオリーで描かれています。

写実性よりも心象性を重んじていたんですね。
今でも漫画の世界はそうでしょう。
面白おかしくデフォルメされてますが、
特徴的な部分は強調されていて誰だか
良く分かるようになっています。

当時の肖像画はその人物の性格を非常に良く
表現しています。
写実的ではないかもしれませんが、特徴的に
描かれている箇所からその人物の人となりが
分かるわけです。
0923日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/05(月) 02:26:27.28
>>920
>権力者の姿を無茶苦茶に伝えて、ある種の罪だと思います。
明の洪武帝朱元璋の肖像なんて君子然としたのと醜悪なのと二種類残ってるけど
醜悪なのが実際に近くて、君子然として温和そうなのは本人が御用絵師に指示して
描かせたと考えられている。ナポレオンだってアルプスを越える時にロバに乗ってたのに
馬に乗った絵を描かせている。よく見るナポレオンの騎馬像がそれだけどロバじゃ
カッコつかないから馬にするように指示したと言われてる。
0925日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/05(月) 07:01:52.83
>>905
でも、イタリアは、アルプス造山帯周縁の地震地帯の火山地帯なのに紀元前には「全ての道はローマに通ず」って石畳の馬車道を地中海ぐるっと一周するような大帝国に張り巡らせていたよね。
作ったのはCIVITASによって構成される軍団兵。CIVITASというのは、参政権・武装権・参戦義務のある人たちで、今の訳では「市民」だけれど、幕末に輸入したときの洋書の翻訳だと「士」とされていた。
ちなみに、今の訳で「奴隷」とされてる語は、幕末の訳語では「民」としていた。
交通(兵站)と通信は用兵の要。これは古今東西変わりない。
ローマの"士"は自ら汗流して、重い石を運んで、石畳の道を国中にはりめぐらせた。
対して、同じく、参政権・武装権・参戦義務を独占していた、日本の江戸時代の武士というとどうだろう?五公五民で搾取した年貢で放蕩三昧。汗水たらして交通網・通信網を整備するどころか、逆に
川に架けてあった橋を壊し、再設置を禁じて交通を遮断するような有様。駅は整備しなかったが、通行税をとりたてる関所は熱心に設置。

人口比とか云々するかもしれんから、参考までに。第三次ポエニ戦争時分で、イタリア半島の推定人口400万人、面積20万平方キロ、南北差し渡し1000キロ。大体本州と同じくらいの地勢規模のところに、
人口は6分の1。それで、ポエニ戦争直前には、イタリアの本国は北から南まで石畳道が走っていた。
0926日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 07:04:26.16
>>917
大王が遊びに行くようなところは、当然、安全な自領だし、そこの田畑でのうのうと菜摘なんかやってるのは有力臣下の娘だろうて。
0927日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 09:58:38.57
徳川信者の誤った歴史認識には困ったもんですな
江戸幕府にはいい面もあったかも知れんが
交通・物流面ではほぼマイナスのことしかしてないし
それも自家保全目的でしかない田舎のジジイ政権
0928日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 10:50:11.71
雄略天皇は渡来人だったでしょうから百済語に近い言葉を使っていた筈です
支配者階級の扶余族の倭王と被支配階級の倭人の農奴の娘ではコミュニケーションを取ることができないですから恋愛関係はありえないと思います
0929日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 12:21:03.80
>>917
その手の話は世界中どこでもある
そして、多数派・一般例ではなく少数派で例外なんだよね
日本の場合もふくめてさ

庶民人気のある話だからクローズアップされてるだけ
三国時代の幕開けのとき。
後漢の霊帝は洛陽在住の肉屋の娘を皇后にたてた
誰かに養子縁組みさせたりせず、そのまま皇后だ。
その兄である何進を大将軍につけて重用した
その影響で董卓が台頭して三国時代が始まるんだ
0930日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 12:27:24.19
>>925
ローマが大規模に道路網を作ったのは地中海世界を支配する大国になってからでしょ?
イタリア半島の人口とか参考にもならないと思うけど

それに、日本では道路を作った後の保守がヨーロッパより高コストだった
作った道路を放置したときに森に呑まれて無くなるまでの期間が短いんだ
奈良時代や平安時代には道路の再建工事も多く行われてる
工事が大変だから道幅を狭くしたり、森に呑まれにくい砂浜を経由するコースに変えたり
0933日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 14:10:24.35
支那には外国人料金があったが…

なぜ日本人は無料で中国人は有料なんだ! 中国国内の観光キャンペーンに不満=中国メディア
ttp://news.searchina.net/id/1670481
>今回の対象は外国人であって、あえて「日本人」を強調するところに悪意を感じる。

京都:八坂神社「おけら酒」中止へ 混雑で収拾つかず
ttps://mainichi.jp/articles/20181105/k00/00e/040/242000c
>外国人観光客が大勢集まって境内の外にまで行列を作り、大混雑となったのが理由。
0935日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 15:37:36.59
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0936日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 15:46:11.84
太っているというのはデブという事じゃなくて
グラマーという事なのではないでしょうか?
0937日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 18:04:51.61
平島公方足利氏の末裔と関東公方足利氏の末裔は現代でも家が続いているみたいだけど、歴史の経緯からお互いに仲が悪いと想像しますが実際のところはどうでしょうか。
0938日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 23:30:57.86
>>930
ポエニ戦争時分のローマの領地は、ルビコン川から南のイタリア半島だけだよ?
ここでカルタゴからシチリアを奪取して属州として編入。
イタリア半島が本州と大体同じ面積と長さ、シチリアが、四国より大きく、九州より小さいくらいの大きさ。
ガリア・シス・アルピナまで編入したところで、ほぼ、平安時代頭の日本と同等の面積・差し渡し距離で同じくらいになるよ。
0939日本@名無史さん
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2018/11/06(火) 01:42:03.88
よくイタリアやトルコを日本と同じ地震国という奴がいるが
規模も頻度も全く違うからな
0940日本@名無史さん
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2018/11/06(火) 14:27:41.26
徳川の250年間に、地割れが広範囲に起こるような地震、主要街道であったっけ?
0941日本@名無史さん
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2018/11/06(火) 14:33:39.83
浅間山が噴火して中山道が不通になったことはあったけど
地割れはないと思う
0942日本@名無史さん
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2018/11/06(火) 15:08:23.50
>>938
直轄領は広くなくても地中海各地に多くの植民都市を設置してて、
その税収とか人口を算入してないのは比較方法としてインチキだろ
0943日本@名無史さん
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2018/11/07(水) 00:17:44.93
>>927
>交通・物流面ではほぼマイナスのことしかしてないし
具体的に教えてください
0945日本@名無史さん
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2018/11/07(水) 14:47:02.71
>>927
八幡和郎以外のひとが書いた本も読んだほうがいいですよ
0946日本@名無史さん
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2018/11/07(水) 15:11:28.46
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0947日本@名無史さん
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2018/11/07(水) 18:13:33.46
八幡和郎は滋賀作、原田伊織も滋賀作、松居一代も滋賀作
井伊直弼は近江生まれの近江育ち
キチガイの産地ということでよろしいか?

戦国の井伊家
甲州・上州・信州の武田遺臣と、三州の強兵を合体させた徳川家最強の赤備え軍団。

幕末の井伊家
上方の華美な風土に染まり軟弱化、諸藩から弱兵と侮られてしまう。

あまりの弱さに『(討ち取られていく様子を)遊猟』と揶揄された彦根藩
0948日本@名無史さん
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2018/11/07(水) 20:16:54.16
なんでチャイナの事物って日本に伝わりにくいんだろう?
キャベツと白菜なら、キャベツの方が先に伝来している。南蛮人の初来航が1543年、来航禁止が1639年、百年無い付き合いの間に入ってきている。
(尤も、最初に入ってきた系統は、日本人の悪い癖で、食べるよりお花にしてしまったけれど)

それが初めか判らんけれど、少なくとも、記述と証拠の品があって確実なチャイナとのおつきあいは漢の洪武帝の時代から始まってる。1世紀中ごろね。
白菜が伝わったのは、日清戦争の頃だから、おつきあい始まってから1800年以上かかってる。

世界が青銅器時代のときにも、日本になかなか伝えなくて、鉄器時代になってようやっとこ青銅も鉄も伝えてくる。

文字にしたって、洪武帝の時代に挨拶に行った記念品にハンコ貰ってきてるけど、使い方は教えてくれなくて、ようやっとこ読み方書き方教えてもらえたのが
聖徳太子とかの時分。550年くらいかかってる。
南蛮人の文字なんて、天正の頃に切支丹経として伝わって、セミナリヨでラテン語教えたりもしていた。

てつはうは、元寇の頃にぶっぱなされたけれど、その後、明の時代も伝わらず、やはり南蛮人が来るなり、火薬を詰めて火を当てるという使い方を教えてくれて
そこまで分かればコピーできらい、ってな具合。
0949日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/07(水) 22:04:00.33
鎌倉時代や室町時代の人々は当時の幕府をなんて呼んでいたのですか?
幕府?御上?
0950日本@名無史さん
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2018/11/07(水) 23:22:27.23
御公儀

>>937
浅井長政だもんな。石田三成,茶々の出
古くも大友皇子や京極高氏の根拠地。察して知るべし
0951日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/08(木) 00:20:17.09
>>948
演説は適切なスレでしてください
というかそんな誤字する程度なら演説しないでください
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。

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