【国際】「史上最悪の作戦」の地インパールで、地元青年らが資料館を建設 日本から支援
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1532370874/

日本軍がインド侵攻を目指し、補給を無視した稚拙な作戦に多くの兵士が飢えや病で倒れ、
「太平洋戦争で最も無謀の作戦」と呼ばれたインパール作戦。数万の日本軍兵士が倒れた地で、
地元の青年らが戦跡を掘り起こして当時の兵器や遺品を回収し、資料館をつくっている。
日本からの資金援助で11月にオープンする予定だ。

インパール作戦は、陸軍の牟田口廉也中将が、
当時の連合国軍側が中華民国に物資を送る「援蒋ルート」を遮断することを目的に、1944年3月に始めた。
ビルマから険しいアラカン山脈を越えてインド北東部に侵入し、
当時インドを支配していた英国軍を退けて北東部を占領することを目指した。

だが、上層部が食料などの補給を軽視したため、兵士らは戦闘だけでなく飢えと病に苦しみ、次々と倒れた。
作戦は4カ月後に中止されたが、険しい山中の撤退ルートに沿って日本兵の死体が積み上がり、
「白骨街道」と呼ばれる惨状となった。

精神論を振りかざして無謀な要求を突きつける上層部と、忖度する周囲。
振り回され、疲弊する現場。この作戦の構図を巡り、2017年にNHKが「戦慄の記録・インパール」を放送。
「今の日本社会にも同じような状況がある」とTwitter上でハッシュタグ「#あなたの周りのインパール作戦」が立ち上がった。

周囲には日印政府が合同で建立した平和記念碑などが並ぶ。

さらに、関連組織の笹川平和財団が、資料館のオープンに向けてソフト面での支援に乗りだした。