>>962
「こんなぁ」「あんなぁ」じゃの「こんな」「あんな」でもええし、広島人は
区別せんよ。「こんなのう、(こいつねえ、)」でもええわけじゃし、
「こんながのう。」「こりゃあ、こんなのもんで( こいつの物ですよ)」よのう。
「こんな」「あんな」は、日本古語の「こなた」「あなた」からよ。
まあ、関東弁の「こいつ」は正確にゃあ、広島弁の「こんないつ(この奴、このやつ)」
よのう。
「こんにゃあ(この方は)」「こんにらあ(この方たちは)」と「こんに」「あんに」でも
ええわけじゃが、まあ「こんならあ」使う方が多いいのう。
>>963
九州奸の武は、日本へよのう。
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1386416772/672-677
http://native.way-nifty.com/native_heart/2011/04/post-b54b.html
866「肥前国の郡司ら地方の権力者が共謀して新羅に渡り、新羅人に兵弩などの
武器を製造する技術を教えて、対馬を奪い取ろうとした事件が発覚した。
山陰道諸国と太宰府に諸国の俘夷(蝦夷)を集めて 新羅からの来襲の準備をさせた。」
は、出とるのう。
有名な肥前郡司新羅通諜事件じゃが、朝廷に忠誠心の強い先住民の蝦夷を闘争心の
無ぁ 隷属九州人を磐井の乱に表現されるよう信用出来ん畿内王権が防禦に配備したん
じゃが、強弩のハイテク兵器無しじゃ新羅の軍事力にゃ蝦夷も勝てんわけで、
そのハイテク軍事機密を九州勢力は新羅に売り渡そうとした事件が発覚した
わけじゃ。百済系統の畿内朝廷の平安期じゃ、伽耶同一文化伝統で新羅派の九州勢が
許せんゆえ、俘囚の俘奴(蝦夷の軍人奴隷)に九州を監視する意味での防人の伝統で
新羅よりも、磐井系筑紫王権の九州への監視が天智朝の畿内王権統一期じゃし、
平安期でも九州を新羅側として観る不信感も見とれるのう。