纏向 土器の問題点
@韓式系土器二点が出土した溝が布留0式の時期だとしての判断であるが、それが確定的だといえるのだろうか。
Aというのは、出土地が纏向遺跡の最北東端くらいに位置する地点であり、すぐ南東に珠城山古墳群がある。
 また、すぐ北東には現景行天皇陵(渋谷向山古墳)があって、纏向遺跡のなかでも最後に拡大した地域とみられる。
 珠城山古墳群は六世紀代に築造された後期の古墳群であり、「輪鐙」などの優れた馬具類などの出土もあるが、
 輪鐙は箸墓付近の溝からも出土があり、珠城山古墳群の影響を受けやすい地が調査地点だと考えられる。
 土器型式でも、纏向1式〜5式(遺跡としては主にほぼ纏向4式〔布留1式〕までか)の変遷がある纏向遺跡を一律にとらえるべきではないし、
 箸墓付近の輪鐙などに見るように、韓式系土器についても後世の紛れ込みも考えられる。布留0式が纏向3式(その後半とも新期ともいわれる)にあたるとしても、結論は早すぎる。
 B 韓式系土器が現実に幾つあったのか不明だが、ごく少量であり、かつ、それが半島製という保証はない。半島製か否かは現時点では判断しがたいという下での結論は早すぎる。