>>594
>「誤字」とは考えておられないのだ。
いずれにせよ、現存する刊本以前の誤字はそのままとなるわけだよ。

> 後代に「對海國を對馬國」に書き変える人がいても、「對馬國を對海國」に書き変える人がいないから、 對海國の方が「古文」であり「古形」だ。
基本的に、書写した人や刊行本を作った人は書き換えをしないものだ。底本が「對海國」となっていればそのままとなる。
紹興本「對馬國」は底本が違うのか、紹熙本を作成時或は追刻時に「對海國」と誤記したのか、は分かりようがない。
「つしま」という音が残っている以上、紹熙本に誤記がおきたのであろうよ。「古形」だ、とは恣意的。

>襄陽→宛は川を下るのであり、新野はその途中にあり、 危急があった時には「苑」よりも「新野」の方が早く行ける、と言っているのであるから、
>「苑」よりも新野の方が「宛」に近い筈であり、 という事は、「苑」は、襄陽と新野の間の、川の横の陣地であった、という事になる。
上流下流が間違っているし、「〜であり、〜にあり、〜であるから、筈であり、であった」と、ひどい構成で、何を言いたいのかがよくわからない。
(北・上流)宛→新野→襄陽(南・下流)で、襄陽が呉との最前線だよ。危急の時に向かうのは襄陽。
>二州の水軍を習練し、農事の開墾と殖産を広め、倉の穀類は盈積した。」
とあるように、戦のさなかではないから陣地は作らない。
「苑」とは動物を飼う施設の意味だよ。「鹿苑」とかね。
川の側にそういった施設は作らない。だから川の側に「苑」という地名は付かない。
「宛」という有力候補があるのに、無理のごり押しするのは恣意的。

他に「宛陵」が「苑陵」になっている誤字もあったよ。しかも同一記事内で。「宛陵」は丹陽郡の地名。