>>606
>>襄陽→宛は川を下るのであり、新野はその途中にあり、
危急があった時には「苑」よりも「新野」の方が早く行ける、と言っているのであるから、
「苑」よりも新野の方が「宛」に近い筈であり、
という事は、「苑」は、襄陽と新野の間の、川の横の陣地であった、という事になる。<

この「下る」は間違いであった。
Yahoo地図などで確認したら、川を「上って」いた。しかし、論理は同じ。

>上流下流が間違っているし、「〜であり、〜にあり、〜であるから、筈であり、であった」と、
ひどい構成で、何を言いたいのかがよくわからない。<

普通に事実や理由を述べて、結論を書いているだけであり、
それが判らないお前は、おそらく人類の常識が判らないアホなんだよ。

>(北・上流)宛→新野→襄陽(南・下流)で、襄陽が呉との最前線だよ。危急の時に向かうのは襄陽。<

訂正済み。