八咫鏡は高天原で石凝戸邊命が作ったことになっているけれど、
石凝戸邊命の奉祭氏族は、唐古鍵近くの作鏡連だ

つまり、実際には唐古鍵の銅鐸を作っていた青銅器製作技術者が、
大和の地で八咫鏡を作ったのだろう

それが、皇室の権威とともに伝世することで神聖な鏡となったんだよ

普通名詞としての八咫鏡の存在も記紀に描かれているし、その中で
皇室の鏡だけが神聖化された

平原に八咫鏡があったという説話も伝承もない
平原1号墓出土鏡は、皇統の八咫鏡とは無関係だよ