平原鏡はマンホール
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マンホールというのは外来語だから、3世紀の人間がマンホールという用語そのもので 考えていた可能性は否定できるが、
ここでマンホールというのは、暗渠や水路などの蓋という 機能面について言及している言葉であり、水路に渡した板などもこの概念に含まれるし、 肥溜めなどの蓋も当然考慮に入れられるだろう
そうした蓋は、もちろん木製で作られていただろうが、鏡としては不必要に大きく作られた 平原1号墓の破砕鏡を見て、3世紀の人間が肥溜めの蓋のようだと考えた可能性があるということだ
これを考えているのが現代人だから、それをマンホールの蓋という現代の用語で記しているだけで 本質においては変わらない
3世紀の人間が、マンホールの蓋のようだと考えた可能性は否定できない お前はどう見えると聞くからマンホール蓋に見えると言ったんだが
弥生人がどう見たか知るか アタマのレベルが違う人間にけんかを売っても、返り討ちにしかならないよw
まあ、九州説は人材が払底しているから仕方ないかw
払底って言葉が分からないっていいそうだしな 基本的な語彙レベルから違う
レベルの高いスレのレベルの高い議論にご期待くださいwwww 肥溜め好きの変態、ここで、弥生時代に肥溜めの蓋があったことをまずは証明しろよ。
「ないこと」は証明できないからな、お前がここで、「あったことを」証明しとけよ。 平原鏡はマンホール
自分で言ってりゃぁ世話ないわww
それが世界の常識ってことで構わないよw 内行花文鏡が太陽信仰の象徴だってのが
「あったこと」の証明はいつしてくれるんだ?
これが根本なんだが?
見た目が太陽だからっていう主観ではどうにもならないっていうところで、がんばれ 結局、伊都国東遷スレで、
990日本@名無史さん2018/07/16(月) 17:55:48.60>>993
>>988
で?弥生時代にマンホールがあった証拠は?
あなた、文脈無視してもダメだよ?
とか言ってたのはお鏡さん本人だったんだな これとかも
992日本@名無史さん2018/07/16(月) 17:59:27.64>>994>>995
>>991
文脈無視の文盲は弥生時代にマンホールがあった証拠を持ってこい、話はそれからだ。 自分は人からの質問に一切答えずに
一方的に要求だけする、だめ人間感が同じだわ こういうのと同じw
623岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/04/25(水) 22:27:56.82
>>621 622
そうですね、三角縁でなくて、大型の内行花文鏡が丁重にあつかわれてましたねぇ。
なんで無視したんですか? 何か不都合でも? 「畿内説者のレベルの低いこの重複偽スレッドでは、岡上氏の能力の全てを引き出せないからね。。。。
岡上氏が投稿しなくなったのも、そういうことなんじゃないのかな、」
とか
「岡上氏の高度なレベルの投稿が懐かしいね。。。 」
とか
「僕たちは、なぜか岡上氏だと勘違いされているね。。。
僕たちにとっては、あの博識な岡上氏と間違えられるのは光栄なのだけれども、、、、、
思い込みの激しい、キナイコシと皆に呼ばれている、奈良の狂った老人に、いわれのない誹謗をされている本当の岡上氏に、申し訳ないね。。。」
とかいうのは、自演ってことでOK?
九州説のやつが他人を誉めることってないしww 太陽の象徴とするのは推測でしかないが、辻褄は合うといったところか
鏡とは、どういう意味があったのだろうな
欠片でも磨いて大事にしてるし
何らかの思想があったのは間違いない 鏡は太陽を映すことができるから、丸い鏡が太陽の表象というのはいいんだよ
その中で、内行花文鏡だけが太陽信仰の象徴とか言い出すから話がおかしくなる
その理由が、太陽に見えるからって、バカっぽいにもほどがある 結局ここも無駄スレだな
まともに返事が出来なくなって逃げただけ 内行花文鏡の模様を見て太陽を想像するのは自然なことだと思うけどね。 見えるから、という理由だけで、
他の鏡種ではなく内向花紋鏡だけが太陽信仰の象徴とか言い出すから
おかしな話になるんだよ
丸い、光を反射する円形鏡が太陽の象徴というのは分かる
古代中国の図像論として、太陽がどのように描写されてるかとかを
きちんと調べて、それから八連弧文が太陽の象徴というならまだ分かるんだがね
内向花文鏡のもとの形は連弧文鏡だが、例えばこの鏡とか、太陽に見えるかい?
https://lh3.googleusercontent.com/-JkoRaOL6zWE/VquP-1b7IqI/AAAAAAAADNs/oeMTR7-sBtk/s2600/rak_thk24.gif >>20
勘違いすんなよ。
ここはマンホールスレだぞ 内行花文鏡がマンホールの蓋だった証拠はまだですか? >>20
太陽に見えなくもない。
平原遺跡までにより太陽に見えるように図案が進化したんだね。 でも、平原1号墓の前から倭王墓には内行花文鏡が副葬されていたとかいうんだよなww >>23
>内行花文鏡がマンホールの蓋だった証拠はまだですか?
逆だろ? 内行花文鏡がマンホールの蓋ではないことを示さなきゃいけないのは マンホールの蓋に見えるなら、マンホールの蓋の象徴だと認めない限りは 価値があるかどうかは問うていない
太陽に見えるから太陽信仰の象徴というガバガバ理論を認めろというなら
マンホールの蓋に見えるからまんっホールの蓋の象徴と認めない理由はない
それ以外は、ただのダブスタ まあ、八咫。古語八頭也。と書いてあるから、大きさは関係ないってことだなww この無駄すれも、とっとと倉庫送りにしないとダメかね 伊勢二所皇太神御鎮座伝記の、神鏡座事を載せておくよ
~鏡座事
一面者。從月天顯現之明鏡。
圓形座。三光天衆五飛龍守護~五座。是天鏡尊之鑄造白銅寶鏡也。
月天所作三面之内也。
崇祭止由氣宮是也。
大田命曰久。崇~天皇御宇止由氣皇太~天降坐弖。天照皇太~與一處雙坐。
于時從天上御隨身之寶鏡是也。~代天御中主~所授白銅鏡也。
是國常立尊所化~天鏡尊。月殿居所鑄造之鏡也。三才三面之内。一面是也。
今二面者。天鏡尊子天萬尊傳持給是。次沫蕩尊。次伊弉諾伊弉冉傳持給天。
~賀吉詞白賜弖。日~月~所化乃眞經津鏡是也。天地開闢之明鏡也。
三才所顯之寶鏡也。當受之以清浄。面求之以~心。視之以無相無位。
因以爲~明之正躰也。今崇祭一面荒祭宮御靈。一面多賀宮御靈坐。
已上三面辭竟奉支。
一面者。八百萬~等以石凝姥~奉鑄寶鏡是也。是則崇祭伊勢太~宮也
一名日像八咫鏡是也。八咫。古語八頭也。八頭花崎八葉形也。故名八咫也。
中䑓圓鏡形座也。圓外日天八座。
一面者。日前宮座也。石凝姥~鑄造鏡也。初度所鑄不合諸~意。紀伊國日前~是也。
已上。~代寶鏡是也。 ~鏡座事
神鏡の鎮座にかかる事
伊勢神宮(外宮、内空)に奉祭されている神鏡及びその関連した鏡の由来や鎮座について 一面者。從月天顯現之明鏡。
一面は、月天顕現による明鏡なり
(神鏡のうちの)一面は、月天(月の精、月の神)の顕現によって(從)
(作られた)明鏡(すばらしい鏡)である 圓形座。三光天衆五飛龍守護~五座。
円形に座す。三光天衆の五飛龍守護神の五座。
円形(の鏡)である。三光天(日月星)の供である五飛龍
守護神の五座(が描かれている) 是天鏡尊之鑄造白銅寶鏡也。
これ、天鏡尊の鋳造せる白銅寶鏡なり。
この鏡は、天鏡尊が鋳造した白銅の宝鏡である。 月天所作三面之内也。
月天の作るところの三面の内なり。
月天(月天顕現)によって作られた三面の鏡のうちの(一枚)である。 崇祭止由氣宮是也。
止由氣宮に崇祭するもの、これなり。
止由氣宮(伊勢神宮外宮、豊受大神宮)に、
おまつり(崇祭)しているご神鏡が、これである 大田命曰久。
大田命曰く。
大田命が曰うことには
久は表音文字 原文では小さく書かれている
大田命は不詳
崇神代の人物なので、大田田根子か? 崇~天皇御宇止由氣皇太~天降坐弖。
崇神天皇の御宇、止由氣皇太神の天降り坐して。
崇神天皇の御代に、豊受皇太神が天降りして坐した。
弖は表音文字 原文では小さく書かれている 天照皇太~與一處雙坐。
天照皇太神と一處に雙び坐す。
天照皇太神と、一つ処に並び坐す。
神道五部書は外宮の宮司家、渡会氏の書いたもの(度会神道)なので、
外宮の神、豊受大神を、天照大神と対等のように記している 于時從天上御隨身之寶鏡是也。
時に、天上より御随身の寶鏡、これなり。
(豊受大神が天降りした)時に、天上から身に随えてきた宝鏡がこの鏡である。 ~代天御中主~所授白銅鏡也。
神代に、天御中主~の授けるところの白銅鏡なり。
神代に、天御中主神が(豊受大神に)授けた白銅鏡である。 是國常立尊所化~天鏡尊。
これ、國常立尊の化するところの~、天鏡尊。
この国常立尊の姿を変えた神が、天鏡尊である。 月殿居所鑄造之鏡也。三才三面之内。一面是也。
月殿を居所に鑄造の鏡なり。三才三面のうち、一面これなり。
(天鏡尊が)月殿にいて鋳造した鏡である。三才三面のうちの、一面がこの鏡である。
三才は通常は「天地人」を意味するが、三枚セットという程度の意味でよさそうだ 今二面者。天鏡尊子天萬尊傳持給是。
今、二面は、天鏡尊の子、天萬尊のこれを傳え持ち給う。
今(述べた三面のうち)二面は、天鏡尊の子の天萬尊に伝えられ、天萬尊が持っていた。 次沫蕩尊。次伊弉諾伊弉冉傳持給天。
次に沫蕩尊。次に伊弉諾伊弉冉傳え持ち給いて。
(天萬尊の)次に沫蕩尊、その次に伊弉諾伊弉冉に伝えられ、持っていた。
天は表音文字 原文では小さく書かれている ~賀吉詞白賜弖。
~賀吉詞、白し賜いて。
神賀吉詞 ( かむほぎのよごと ) 、白し(もうし)賜いて。
弖は表音文字 原文では小さく書かれている 日~月~所化乃眞經津鏡是也。天地開闢之明鏡也。
日~月~、化するところの眞經津鏡、これなり。天地開闢の明鏡なり。
日神や月神の形をもったものである眞經津鏡がこれである。
天地開闢のすばらしい鏡である。
眞經津鏡は、日本書紀では八咫鏡の別名に使われている。
外宮の鏡を眞經津鏡とするのは、神道五部書だけ(だと思う) 三才所顯之寶鏡也。
三才の顯なるところの寶鏡なり。
三才の顕現である宝鏡である。
繰り返しだが、三才は不詳(通常は天地人、この場合は月日星かとも思うが、星は関係ない)
天鏡尊が三面の鏡を月殿で作ったとしているので、その三面を三才としているようだ。 當受之以清浄。面求之以~心。
當にこれを受くるに清浄をもってす。これを求むるに~心をもってす。
これ(三才顕現の宝鏡)を受けるには清浄でなければならない。
これ(宝鏡)を求めるには神心からでなければならない。 視之以無相無位。 因以爲~明之正躰也。
これを視るに無相無位をもってす。因りてもって~明と爲す、これ正躰なり。
これ(宝鏡)を視るには無相無位でなければならない。それによって、神明とするのだが、これがご神体である。
無相は、姿・形のないこと、すべての執着を離れた境地。
無位は、世俗の基準を超えた真実の人。 今崇祭一面荒祭宮御靈。一面多賀宮御靈坐。
今、一面を荒祭宮の御靈として崇祭す、一面は多賀宮の御靈として坐す。
今日、(宝鏡3面のうち)一面は荒祭宮の御霊(ご神体)としておまつり(崇祭)している。
一面は多賀宮の御霊(ご神体)に坐す(います)。 已上三面辭竟奉支。
已上の三面の辭、竟え奉りき。
以上の三面のこと、終え奉りき。
支は表音文字 原文では小さく書かれている 大田命曰久。
「崇~天皇御宇止由氣皇太~天降坐弖。天照皇太~與一處雙坐。
于時從天上御隨身之寶鏡是也。~代天御中主~所授白銅鏡也。
是國常立尊所化~天鏡尊。月殿居所鑄造之鏡也。三才三面之内。一面是也。
今二面者。天鏡尊子天萬尊傳持給是。次沫蕩尊。次伊弉諾伊弉冉傳持給天。
~賀吉詞白賜弖。『日~月~所化乃眞經津鏡是也。天地開闢之明鏡也。
三才所顯之寶鏡也。當受之以清浄。面求之以~心。視之以無相無位。
因以爲~明之正躰也。』今崇祭一面荒祭宮御靈。一面多賀宮御靈坐。」
已上三面辭竟奉支。
「 」内が大田命の言葉
『 』内が神賀吉詞 ( かむほぎのよごと ) 一面者。八百萬~等以石凝姥~奉鑄寶鏡是也。
一面は、八百萬~等、石凝姥~をもって鑄奉る寶鏡これなり。
一面は、八百万の神が石凝姥神に鋳造してもらった宝鏡がこれである。 是則崇祭伊勢太~宮也
これ則ち、伊勢太~宮に崇祭せるなり。
この宝鏡が、すなわち伊勢太神宮におまつり(崇祭)している御神鏡である。 一名日像八咫鏡是也。
一名、日像八咫鏡、これなり。
その名前を、日像八咫鏡という御神鏡がこの鏡である。 八咫。古語八頭也。
八咫。古語でいう八頭なり。
八咫というのは、八頭の古語である。 八頭花崎八葉形也。故名八咫也。
八頭花崎八葉形なり。故に名を八咫とするなり。
(日像八咫鏡)は八頭花崎八葉形をしている。それ故に八咫の名がつけられている。 中䑓圓鏡形座也。圓外日天八座。
中䑓は圓鏡形に座すなり。圓外に日天の八座。
中台は円鏡形をしている。円外に日天の八座がある。 一面者。日前宮座也。
一面は、日前宮に座すなり。
一面は、日前宮に座す(います)鏡である。 石凝姥~鑄造鏡也。
石凝姥~の鑄造せる鏡なり。
石凝姥神が鋳造した鏡である。 初度所鑄不合諸~意。
初度に鑄するところ、諸~の意に合わず。
最初に鋳造した時のもので、諸神の思ったようなものには仕上がらなかった。 紀伊國日前~是也。
紀伊國の日前の~、これなり。
紀伊の国の日前宮の御神鏡が、この鏡である。 已上。~代寶鏡是也。
已上、~代の寶鏡これなり。
以上、神代の宝鏡について(伝えられていることは)この通りである。 >>47の補足
大田命は、猿田彥大神の末裔で、もともとの伊勢の土地神、土君として
祭られていた人物・神のことのようだ https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sintou_gobusyo/denki01.htm 神道五部書(含む御鎮座伝記)を、やたら重視する向きもあるが、
その根本において、外宮宮司家の渡会氏が、内宮と同格であると主張するための文書だから
かなり牽強付会なところがある
史料の限界を意識して読まないといけない くだらないイチャモンはいいから、さっさとスレの趣旨についての論証を進めろよ。 >>79
>くだらないイチャモンはいいから、さっさとスレの趣旨についての論証を進めろよ。
これについてはもう決着がついてるだろ?
ここのスレタイにも書いてあるじゃないか?ww
「平原鏡はマンホール」 >>79
>くだらないイチャモンはいいから、さっさとスレの趣旨についての論証を進めろよ。
これについてはもう決着がついてるだろ?
ここのスレタイにも書いてあるじゃないか?ww
「平原鏡はマンホール」 3世紀にマンホールがあったという証明は?
あと基本的なことなんだが、マンホールは穴のことで、あえて書くなら「マンホールの蓋」と書くべきだろう。
アホの>>1 纏向珠城宮皇女倭姬命伊勢國渡遇之宇遲乃五十鈴河上之邊。
立礒宮御座之時爾。狹長田之猿田彥大神。宇遲土公氏人遠祖神也。
齋內親王。神主部。天村雲命之孫。大若子命弟。乙若子命等也。
物忌等。天見通命之孫。宇多大牟禰奈。大阿禮命等也。
訓悟白久。「凡天地開闢之事。聖人所述也。爰伊勢天照皇太神。
五十鈴乃河上爾御鎮座之制作。未露紙墨。故元始綿邈。其理難言志。願爾諸聞給倍。
『吾是天下之土君也。故號國底立神也。吾是應時從機比。化生出現之。故號氣神。
吾亦根國‧底國與理麤備疏備來物仁。相率守護之。故名鬼神。
吾復為生物仁授與壽福之。故名-大田神。吾能反魂魄之。故號興玉神。
悉皆自然之名也。物皆有效驗。我將辭訖。』遂隱去矣。」 纏向珠城宮皇女倭姬命伊勢國渡遇之宇遲乃五十鈴河上之邊。
纏向珠城宮、皇女倭姬命、伊勢國渡遇の宇遲の五十鈴河上の邊り。
纏向珠城宮(垂仁天皇のこと)の皇女である倭姬命が、
伊勢国渡会の宇治の五十鈴川の川上の辺りに、 よく考えれば、国宝指定までされて、日本人にとって普遍的価値を持つような考古遺物を、
よりにもよって肥溜めの蓋を象徴しているとまで言うとは、、、
まじ国民の資格ないな、キナイコシは。
マジスグシネヨ >>86
「キナイコシ」が出たよww
日本語がおかしいやつが日本の歴史に口出すなっての つまり、畿内説は完全に破綻してしまったのだね。。。 畿内説が、完全に破綻してしまったことが、はっきりした今、纏向遺蹟とは何だったのか研究すれば、良いのではないのかな、、、 そうだね。。。
僕たちは、もう、邪馬台国の議論からは卒業して、畿内説が破綻したことを踏まえた上で、纏向遺蹟とは何だったのかという一段、高いレベルの研究を始めたな。。。 他人に対する敬意がまったく持てず、スグシネヨなどと簡単に言える辺りも、
日本人とは違う文化圏の育ちなんだろうね、「キナイコシ」は つまり、口調を変えてごまかそうとしていた節はあるが、
やはり連続句読点と「キナイコシ」は、同じ荒らし野郎ってことだ キナイコシは日本文化への敬意が足りない。
だから八咫の鏡やら祇園祭やら沖ノ島やらをこき下ろそうとする。 しかし、なぜ、畿内説を宣伝するキナイコシは、夜麻登登母母曽毘売を卑弥呼と誤認定したのだろうか、、、 >>93
アンチに袋叩きにあうと、相手は一人だと思い込もうとするんだな。
きっと精神的な防衛機制なんだろう。
全ナントカ病というやつか? キナイコシも、本当は、夜麻登登母母曽毘売を卑弥呼だとは信じていないのではないのかな。。。 >>98
観光業界の宣伝のために、言い張っているだけではないのかな。。。 >>99
そうだね、畿内説で有名な某学者も退官したら倭人伝の記述は九州だと認めたらしいしね、、、 >>95
恣意的な持ち上げはダメだと言ってるだけ
皇統の八咫鏡は崇敬の対象だが、その権威に背乗りしようとする関係のない鏡は
きちんと関係ないと言わないと! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています