邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1
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年中生野菜を食べられる温暖な気候、
入れ墨やシャマニズムなどの文化習俗、
記録された距離、方向から想定される位置から考えて、
邪馬台国は沖縄に比定するのが妥当である。
邪馬台国の7つの国を統率した女王の墓域は北谷海底遺跡だった。
狗奴国はテイ[魚是]人が居住する先島諸島の21カ国の最果てにある与那国(海底遺跡)だろう。
侏儒国は小笠原諸島、
裸国、黒歯国はサイパン、グアムと推定される。
沖縄の邪馬台国はその後、地球のプレート活動により水没したが、
度重なる自然災害に危機感わ覚え始めていた邪馬台国はそれに先立って、
豊富な鉄器を持って九州・日向(宮崎)に侵攻して新王朝を建設したものと推測される。 >>117 追加
他の官名に「伊支馬」「弥馬升」「弥馬獲支」
だが邪馬台国に”馬”はいない コピペ貼りまくったらかえって読んでもらえなくなるよ。
掲示板というものの性質をちゃんと理解して投稿してくれ。 >>124
>だが邪馬台国に”馬”はいない
それ、大陸側の当て字の表音文字だから、馬がいるかどうかとは関係がない >>126
124のレスは、「難升米」の”米”は稲作の”米”論への反論 >>123
つまりね、じゃあまとめよう
魏志倭人伝の記述を分析してゆくと、壱岐や対馬で耕作はしている
田を耕してる。だが耕すのは畑であって稲田ではないのでは?とは思うが、
稲田だとしてもいいだろう。だが、それでは食うに足りずに倭人は海産物を食べてるのだとしてる
邪馬台国も同様だ
そこには一言も米を食ってるとは書いてない
稲田の存在への言及は、衣料などの原料目的で栽培してることと、
酒造(の原料)により間接的に言及してるのみで、食料はあくまで魚介と生野菜と肉とのみだ
もし弥生時代の倭国を訪問してその社会的特質を記すならば、
真っ先に米作に触れるはずなのにそうではないことから、
その社会は倭国の中心ではなく周辺部だとみなされる
このことは、邪馬台国を、米作に適してるようで適してない沖縄に定めることに有利な事実だと言える
そして類似性を指摘するのに持ち出した海南島民は、
そのルーツが百越ならば、
当時の海南島は米作社会だったろう
であるならなにより耕作炊事道具の共通点が指摘されるはずだが、
一致してるとしたのはあくまで戦闘・狩猟用道具である
邪馬台国の入れ墨の起源は漁労にあったと記述されている
「今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み、文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。後、稍(しだい)に以って飾と為る。」
入れ墨文化は百越、台湾、邪馬台国、ポリネシアと拡がっている
入れ墨の共通点は、民族の壁を通り越して、南方の太平洋文化の特質となっている
沖縄の邪馬台国の果てに侏儒国、裸国、黒歯国と言った記述は、
そうした広汎な海洋文明間の交流に由来した情報だと推測できる >>127
>124のレスは、「難升米」の”米”は稲作の”米”論への反論
どういう理解だ?
「難升米」の”米”しかない、というのは、
魏志倭人伝に米を食べているという直接の記述はないという意味だぞ 仮に邪馬台国が沖縄だとして、
どのようにして酒を造ったのか、
米を炊く蒸すところからだが、道具がない
だが>>111で青森亀ケ岡式縄文土器が発掘されている
縄文文化圏の超遠距離海上交易によるものだろう
それ以来続く交易ルートから炊飯道具を入手したのではなかろうか?
縄文よりは進んだ集権社会だが、弥生のような耕作社会よりは狩猟採集社会に近い、
関連項目として入れ墨やお歯黒などが出てくるのなら、
邪馬台国はいわゆる「照葉樹林文化」という別個のカテゴリーの観点から分析されるべきではなかろうか? >>129
直接の記述はないが、高位の者に”米”と付けてるからには米作りしてる社会のはずだとの論理が成り立つが、
牛や馬など存在しないものの文字を使ってるのはなんでか、
よって米と書いてても米作りしてたとは言えないと反論したんだよ 海南島民は百越だから米を作ってたろう
弥生人は百越なんだから米作ってて当然なのに、
邪馬台国民は必ずしも米を作ってない
これは邪馬台国民が百越弥生系ではないからだ
文身などの南方海洋民特有性を持ちながらも種族を異にしている >>131
>高位の者に”米”と付けてるからには米作りしてる社会のはずだ
おい、倭人は漢字を知らないし、自分の名前を漢字で付けたりしないぞ
大陸側の当て字の表音文字だから、米を食べてたかどうかとは関係がない >>133
中国はそうやって何かとその特徴と関連付けた当て字をあえてすることが多いだろ >>135
東〔魚是〕(テイ)人@ー倭国と東〔魚是〕国
https://35546864.at.webry.info/201105/article_4.html
「東〔魚是〕人」(東?人)の〔魚是〕の文字です。
*是→「ティ」、と読むときは、「ふち」「さかい」「はし」という意味につかいます。
つまり、「一番端っこ」というときに使われる文字ということになります。
そこで、「東是人」となれば、“東の一番端っこの民族”という意味となります。・・が、この場合は違います。
「是」の文字にサカナ(魚)偏が付いているのです。
このナゾを古田氏は解いたのです。それは・・・、「高句麗」の中の「麗」の文字についてです。
三世紀「魏志」の中では全て、この「麗」の文字を使っています。
ところが、宋の時代となると違ってくるのです。
「高句麗」の「麗」の文字が、五世紀の『宋書』の中では「驪」と、馬偏の付いた文字に変化して使われているのです。
これには、歴史的な由来があるのです。
(元嘉十六年〔439〕)太祖、北闘せんと欲し、lに詔して馬を送らしむ。l、馬八百匹を献ず。・・・・・・・・・・・(『宋書』高句驪伝)
〔注、「l」は、高句麗王(長寿王)の次の王の名です〕
つまり、「l」王のとき、馬が特産物として宋王朝に献上されたことを述べているのであり、その特産物の馬に因んで、
「高句麗」の「麗」の字に馬偏を付けて、書類上の記載時には「高句驪」という名の国名に取り替えて使っていたのです。
・・・・・古田氏は、ここからヒントを得たのです・・・・・。「是」に「魚」偏を付けて〔魚是〕という文字の創出へ・・・、と。
つまり、「漢」の時代から、この特産物に因んだ名前の付け方に由来していた・・・、のだ!・・・、と。
「東〔魚是〕人」の意味とは・・・、
““列島に住む「倭人」の隣の一番東の端っこに住む、魚を献上してきた民族””に対して、「東〔魚是〕人」と名付けていた、ということです。
東〔魚是〕人Aー鯷〔魚是〕(テイ)と銅鐸
https://35546864.at.webry.info/201106/article_1.html
金印の「倭人」と銅鐸の東魚是*(とうてい)人」
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku13/yamaic33.html >>122 >>132
台湾先住民には入れ墨文化があるが、彼らは山岳民族で米は作らない
入れ墨をしてるタイヤル族というのは首狩り族で山岳地域の焼き畑狩猟民
一番多いアミ族は米を作る一方で漁業や畜産も。母系氏族だが入れ墨の習慣はないようだ。
台湾の原住民族 - 台北駐大阪経済文化弁事処
https://www.roc-taiwan.org/jposa_ja/post/169.html
2018年4月17日
台湾 先住民の入れ墨文化「紋面」消滅へ 映像などで保存
https://mainichi.jp/articles/20180418/k00/00m/030/081000c
> 【苗栗(台湾北部)福岡静哉】台湾で、先住民族が成人の証しに顔に入れ墨を施す無形文化遺産「紋面」の保持者が
> 90代の2人だけとなり、消滅の危機にひんしている。
>
> 行政院によると、紋面は台湾北部のタイヤル族、セデック族などが受け継いできた伝統。男性は狩猟、女性は… なお、アミ族が米を作るようになったのはいつからなのかは不明だ 魏志倭人伝は女王の名に卑の文字をあてつけて用い、
国名には邪の文字を押し付けている
だがそこには牛も馬もいないとし、米にも言及がないのに、
なぜ国名や人名にはあえて牛や馬や米の文字を使用しているのだろうか? 縄文人というのはアイヌ人と共通祖先をもつ北方系種族とように思われて、
アイヌ人はあくまで縄文系が北方のオホーツク民と混血した者なのであって、
やはり縄文人は南方に出自し、マレーシアなどの南方系種族ということになってきてる
であれば、縄文系の沖縄民が太平洋海洋文明的特質を持ってるのは当然で、
それは倭人伝の邪馬台国の記述に示された特徴にも通じている
2011/12/05
【人類】アイヌ・沖縄同系論 研究進む祖先の歩み
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1323033748/
2012/10/31
【社会】日本列島に住むヒトの集団の中では、北海道のアイヌは本土日本人よりも琉球人と近縁性が高い
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1351688582/
2014/09/18
【国内】沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定 ★2
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1410968500/
2018/07/13
【人類学】縄文人、ラオス・マレーシアにルーツ? ゲノム配列解読[07/11]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1531460749/256,260,272 百越は長江文明の継承者だが、
稲作は収穫高に優れて人口増産に適し、集落社会の急速の発展に結びつく
そのための灌漑を通じて社会の統制は強化されるも、
農作業に労力と時間を拘束される労働集約型の欠点がある
稲作に適した水資源の豊富な地域は大河や沿岸部に位置し、
蛋白の摂取のためには漁業とセットの産業構造となる
漁業もまた、漁師を長期間海洋に送りだすため人員を拘束される欠点がある
こうして稲作漁労社会は、農業に漁業に人を縛られて戦闘要員に事欠くことになる
一方、漢族は北方文化の黄河文明の民だ
畑作は、畑に種を撒けば勝手に作物が育ってくれる
近場の草原に家畜を放せば数人で放牧が可能で人手を要しない
魚類は痛みを感じないから下処理に気苦労は不要で、必要な道具は鋭利であるだけでよい
だが家畜の食用化のための屠殺には、その抵抗を圧し潰すほどの凶器と狂気が必要だ
それは対人攻撃にも通じる強靭さを涵養するだろう
耕作に関してもぬかるんだ稲田より、乾燥した畑の方が開墾掘削のために農機具に破壊力が必要だ
要するに稲作漁労民よりも、畑作牧畜民の方が戦闘に有利な社会なのである
戦闘力に秀でた彼らは、収穫倍率の高さからより繁栄している稲作社会に嫉妬してその富を奪いにゆくだろう
今日では火器の発達により戦闘における肉弾的な対決が不要になって、
戦闘的な気質や日常の仕事道具の特質が直接の戦闘力を分けることはなくなったがかつてはそうだった
それゆえ百越は漢族に敗れ去ったし、敗れ去ったものが華夏の外縁部に存している
倭人の主要部族もまたその一つだろう
倭国に渡った百越の子孫が築いたであろう弥生社会はその後にどういう未来を迎えたのだろうか? >>136
東〔魚是〕(テイ)人というのはその所在するところが未確定だが、
魚を献上する漁獲に優れた民だと想像がつく
近年は中国との尖閣紛争に乗じて、
台湾が尖閣周辺の暫定水域への出漁をゴリ押ししてきて、
結果、領有権を棚上げして入漁を認めることになった
尖閣周辺は石油ガスが埋蔵されてるからプランクトンやエビがいて、
際だって魚が豊富だから漁民は喉から手が出るほど出漁したいエリアとなっている
魚是人を20数島の先島諸島の民と位置付けるならば、
そこに尖閣諸島が含まれる以上、漁業に特徴を持つ部族であるとの解釈に符合することになる
また、邪馬台国が沖縄の漁猟社会を指してるのだとすれば、
狗奴国との激しい対立の構図は、漁場を巡る争いだったのではないかと想像できてくる
もっとも古代には漁船に冷凍設備がないのだから、遠くの尖閣海域から沖縄まで
腐らせずに漁獲物を持ち帰ることは困難だったろうが、
より近海の漁場に限っても争いは絶えなかったはずだ
近年でも日本が韓国との間で抱えている竹島領有権問題はその発端が李ラインの設定にあり、
日本統治時代の竹島周辺海域での漁業権益継続を狙う韓国の横暴が背景だった
尖閣問題も発端は石油ではなく、漁業権を原点として複雑化している
アイルランドとイギリスとの間のタラ戦争も有名である
好漁場を巡る紛争が、周辺の島や岩礁の支配権の争いとなり、
やがては共同体や国家間の戦争へと発展することは自然の成り行きだろう 2015/01/15
【国際】日台漁業協定、ルール議論で平行線 現行ルールでは台湾のために「操業自粛」を余儀なくされ、日本側に不満募る [転載禁止](c)2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1421247728/
2015/12/10
【漁業】台湾のサンマ水揚げ量、今年は去年の半分程度 [無断転載禁止]c2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1449714535/24-25
2016/04/29
【SAPIO】台湾の「尖閣抗議団」が反日ではない理由…漁民は領土問題とは無関係[4/29]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1461912955/1-2,76-77
http://log●soku.com/r/news4plus/1461912955/1-2,76-77
2018/04/05
【釜山水産業界】 「韓日漁業協定妥結を待っていたら漁民は死んでしまう」★2 [04/05]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1522895934/
【韓国】 日本との漁業協定 今月内に妥結しないなら「決断」=韓国閣僚 [04/05]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1522901851/
2018.6.7
難航する漁業協定交渉に焦る韓国、「EEZを引き直せ」とは正気か?
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180607/soc1806070005-n1.html 沖縄、宮古、八重山でDNAに差違があってそれが2000年前以前からだとすると、南西諸島は単一種族ではなかったことになる
海に隔絶された近場の閉鎖社会同士でそうであるなら、元来は彼らは異文化異種だったわけだ
先島か、そのうちの宮古か八重山がテイ人だったという想定が現実味を帯びてくる それだけ近場で似た地勢環境にありながらも異種を維持し、その後の交流をもおそらく忌避してのか不均衡な混合に留まったのなら、
その理由は不服従や対立だったと考えざるを得ない
沖縄と先島は敵対関係にあったはずだ
それを邪馬台国と狗奴国との抗争になぞらえることが可能だろう
先島が台湾から南越を経て南朝に通じてたなら、沖縄は難儀を強いられながらも九州から対馬、半島を経て北朝に繋がりを求めよう >139
記紀が蘇我氏に馬子以下、嫌みな名付をした風に、
貶める意味を込めて国名や人名に動物名などを入れるも、
難升米については教養ある漢族の出自だから免れたという解釈に至った >>148
>教養ある漢族の出自だから免れたという解釈に至った
いや、>>148の解釈は、歴史の真実と何の関係もないから
「教養ある漢族の出自」って、どこから出てきた? >>149
難升米は外交官のような存在だろ
中国に貢納するのに独自のつてがあり、中国語が理解できて漢字が読めたはずでナチュラル未開社会人には無理
>>117
卑しい者が支配してる邪な国にはない物で名付けてる
牛馬がいない、だからお前が牛、お前は馬を名乗らす、みたいな
でも漢族の難升米は大事な米にしてやる、そう言う当て字だと想像してる だから邪馬台国は米をほとんど産出してなかったと考える それと蘇我氏も馬だの鹿だのと、
でも稲目は米なんだな 難升米が、魏志倭人伝を引用している日本書紀の神功紀では難斗米に変わる不思議 >>154
1斗=10升だ
日本側は米の量を10倍に増やしたことになる
これは倭人伝の命名の意図するところを理解してそれを屈辱に感じ、
意固地に増産したためである
それでも今日において斗米=僅かの量、僅かの給料の意味となっている
邪馬台国は米を獲れない、
それは古来より公然たる国際常識だったと言える 沖縄でも米は穫れるんだがな
>>156は、沖縄説を批判する立場なのか? >>159
対馬や壱岐に比べれば島も大きいし、当時の人口分くらいの米は取れると思うけれど?
まあ、7万戸は無理だろうけれど >>161
私は、沖縄は無理だと思ってるんだけれど、
魏志倭人伝には米作、水田稲作のことは書いてないから、
米があまり取れない沖縄がばっちし条件に当てはまるって言ってる人がいるんだよ
>>156とか 7万人じゃなくて7万戸だもんな。実数だと仮定すれば
30万人くらいの大都市になる。 >>164
沖縄説のスレまで来てそれかよw
九州説は本当に自己中で、しかも頭が悪い 沖縄の可能性も検討しに覗いてみたが、やはり福岡ということに考え至った次第。
いつも福岡前提でいるわけではない。 >>160
8世紀沖縄のコメの主生産地が伊平屋だと言うんだぜ中国の史書では>>113
そしてそれ以前の生産記録はなく、
遺跡にもない
古代沖縄はほぼコメを作ってないはず 古代日本人の発音と大陸の漢字
https://blog.goo.ne.jp/ikejun_2007/e/82afb37ed34da5470bd46acc3285fec1
魏志倭人伝に登場する人物(難升米と牛利)
https://blog.goo.ne.jp/ikejun_2007/e/9c7f8699954773b744dae556c8a342ae
このサイトの考察には同意できない部分がある
漢字は自己申告ではなく、中国側に一方的な当て字だろうし、
の地位やその後の足跡についても>>117の、
難升米は漢族 http://www.lun.ac/history/wa-3c/nanshoumei.php
の理解の方が妥当だと思う
ともあれ、普通の文字適用であれば、
「奴斯目」あたりが妥当ではないか?
それが”米”を含む「難升米」にしたことには相応の意味が込められたはずで、
これは對海國で<無良田食海物自活 乗船南北市糴>、
一大國で<差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴>の
「田に不足して「市糴」してる、との記述に対応したもののはず
この「田」や「市糴」について、
以下のサイトでは、
魏志倭人伝(原文、書き下し文、現代語訳)
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm
<田んぼ(稲田)に不足して、南北の国に米を買い入れに行ってる>と翻訳している
ただ、中国語では”田”=畑および稲作田の両義性があるのだから畑を意味してる可能性があるし、
”糴”に関しても、日本では一般的に米の買い入れを意味することが多いが、
厳密には穀物全般を対象にしてるのではないか?
であれば、正当な解釈は
<良い畑がない、やや畑があるのだがいくら耕しても食料を満たせず、やむなく南北に赴いて穀物を買い入れている>
という理解もあり得るのではなかろうか? 熟語の読み・一字訓読(その335):糴 糶
https://blog.goo.ne.jp/syuusyuu9701/e/4e02d38de27068ee4982cb38488b0e15
<糴:テキ、か(う)、かいよね、いりよね>
<糶:チョウ、う(る)、うりよね、だしよね、せり>
糴:テキ、か(う)、かいよね、いりよね
意味 :@かう。穀物を買い入れること。「糴糶(テキチョウ)」 Aかいよね。買い入れた米。いりよね。対)@A糶(チョウ)
大見出し:〈糴取(せどり)〉:同業者間の売買の仲介をして手数料を取ること。また、その人。「競取・糶取」とも書く。
糶:チョウ、うりよね、う(る)、せり *「だしよね」の訓掲載ナシ。
意味:@うりよね。売りに出す米。だしよね。また、穀物を売り出すこと。対)糴(テキ) Aせり。せりうり。競売。
下つき:糴糶(テキチョウ)
大見出し:〈糶取(せどり)〉:同業者間の売買の仲介をして手数料を取ること。また、その人。「競取・糴取」とも書く。
糶(せり):@多くの買い手に値段をつけさせ、最高値の人に品物を売る方法。せり売り。競売。「・・・に掛ける」
A競争すること。せり合いをすること。「競り」とも書く。
糶市(せりいち):せり売りの市。売り主が複数の買い手に価格のせり合いをさせる市。「競り市」とも書く
糶売(チョウバイ):@米を売ること。売り米(よね)。 Aせり売りすること。競売。
=主として大字源から=
<糴>
糴価(テキカ):買い入れる米の値段。
糴穀(テキコク):穀物を買い入れること。
糴糶(テキチョウ)穀物を買うことと、売ること。
糴買(テキバイ):穀物を買うこと。
市糴(シテキ):穀物を買い上げる
<糶>
糶糴(チョウテキ):@穀物の売り買い。糴糶。 A売り出す米と買い入れる米。
糶米(チョウベイ):米を売ること。
販糶(ハンチョウ):米を売り出す。
市糶(シチョウ):市場に売り出す米 邪馬台国が常食にしていた肉というのは豚だったのではいか?今日でも沖縄では豚料理が有名だ
また、弥生人は米は炊いて食べてたようで、
炊いて料理する習慣があるなら、野菜は生ではなく同じ様に炊いて食べるはずではないか?
そう考えれば、生野菜を常食にしていた邪馬台国では米は食べてなかったと考えるのが妥当だろう
弥生時代の人もコメを炊いて食べていた
http://best-times.jp/articles/-/1483
当時の生産力は高くなかったという意見もあるが、中期以降の西日本の平野部では1日に必要なカロリーの半分程度は十分に満たしていたという試算がなりたつ。
また、倭人伝には「牛馬なし」と記されるが、家畜のブタの存在が明らかになった。…餌が与えられることによって、頭骨や歯に違い
がみられ、歯槽膿漏が増える。発見された骨にこうした特徴がみられることや、若い個体が多いという年齢構成から家畜のブタが
飼育されていたことがわかる。
イヌも猟犬としてだけでなく、食用にもされた。長崎県壱岐(いき)の原(はる)の辻(つじ)遺跡は一支(いき)国の中心集落であるが、
肉を取るため解体された骨が大量に出土している。
…土器に残ったススやコゲの痕跡と出土品を比較して、…
弥生時代はコメを蒸して食べたのではなく、現在と同じように炊いて食べることが一般的であったことがわかった。
また、古人骨に残るタンパク質(コラーゲン)の炭素と窒素の同位体(アイソトープ)の比率を分析することで、…
この手法を用いて、北部九州の弥生人がコメを含む植物質食料で8割近いカロリーを満たしていた結果が得られている。
・クリ、ドングリは縄文時代からの伝統食だが、弥生時代になっても各地から出土している。
コメの不作をカバーするものとして重要だった。
・漁でとっていたのはカキやアサリ、ハマグリ、タイ、サワラ、スズキ、コイ、フナなど。
海に近い集落だけでなく内陸の遺跡でも、貴重なタンパク源として魚介類が食された。
・狩猟ではイノシシ、シカ、野鳥などを獲物としていた。猟犬を使って弓矢でイノシシを狩る絵が銅鐸に見られる。
家畜のブタの飼育も導入された。 >>93 >>87 >>99
>>95
>>88-89
世界最速の大隆起!うごめく台湾の大地が生み出す大奇観!〜『グレートネイチャー』
https://www.youtube.com/watch?v=bEwWCXxaVR4
> 900万年から600万年前、フィリピン海がプレートがユーラシアプレートに衝突して
> 堆積物を剥ぎ取るようにして持ち上げ始めた。その堆積物が海上に姿を現したもの、それが台湾。
> 今もフィリピン海プレートは年7cmという猛烈なスピードで移動している。
体感!グレートネイチャー 「“怪速”!大隆起の絶景〜美麗島 台湾〜」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2016067378SA000/index.html
驚き!地球!グレートネイチャー選「美麗島 台湾 世界最速の大隆起!」
http://www4.nhk.or.jp/greatnature/x/2018-08-16/10/2485/2170065/
8/16 (Thu) 12:00 〜 12:30 (30分)
NHK BSプレミアム(Ch.3)
番組概要
「美麗島」と呼ばれる台湾では二つのプレートが地上で衝突、世界最速の隆起が起こっている。
断崖絶壁の大理石峡谷、月世界、朝日に染まる玉山など絶景・奇観が続々登場。
番組詳細
“美麗島”の別名で知られる台湾。その名の通り、大地には絶景・奇観が続く。
標高差千メートルの断崖絶壁、大理石の大峡谷、“月世界”と呼ばれる不思議な泥の山並み。
そして朝日に輝く最高峰・玉山。こうした絶景の誕生には、「世界最速の大隆起」「地表でのプレート大衝突」という
台湾にしかない独特の地殻変動がかかわっていた。 台南台地の高速隆起 (1±0.5cm / 年 ?) に関連する最近の研究動向 杉山雄一
https://unit.aist.go.jp/ievg/katsudo/ievg_news/afrc_news/no.20.pdf#page=6
台湾南西部の台南台地については,’96 〜 ’98 年の InSAR データから,約 1.5cm / 年という非常に大きな隆起速度が
報告されている.地質学的なデータからも,0.5 cm / 年程度の大きな隆起速度が報告されているが,台湾では InSAR による
隆起速度が地質学的な long-term の隆起速度の 3 倍あることが注目さ れている.
富士山より高い!台湾の最高峰「玉山」登山にチャレンジ
https://www.travel.co.jp/guide/article/6246/
玉山の旧名は「新高山」。日本の台湾統治時代に測量をしたら、富士山(3776m)より高い山であることが分かったので、
「新しく見つかった高い山」=「新高山」というわけです。標高は3952m!
皆さんの台湾のイメージと違うかもしれませんが、台湾における3,000m峰の数はなんと200座以上!
日本は21座ですから、いかに台湾が「山国」かわかると思います。
写真のようにこれらの高山が連なる姿を見下ろせるのが、玉山なのです。 >>171-173
台湾は年1.5cmというハイペースで隆起しているという。
これはフィリピンプレートが北西方向に年7cmのスピードでユーラシアプレートに衝突し、
年3〜5cmずつ沈み込んでいる地殻変動の結果だ。
この衝突と沈み込みにより海上に押し上げられているのが台湾なのだ。
フィリピンプレートは年3cm〜5cm、北西方向に沈み込んでいる。
ちなみに太平洋プレートは西北西に年8〜10cmの沈み込みである。
これらはいずれも大地震の発生サイクルを作り出す原動力ともなっている。
年3cmを100年継続して3mに、年10cmを40年継続して4mに達すると大地震のリスクが高まってくる。
しかしその地震で解放される歪みは一部分にすぎず、
更に年月を経て、全解放をもたらす破局的な大地震がもたらされている。
こうして隆起し続ける台湾では、標高3952mの玉山が背を伸ばし続け、
今や我が霊峰富士(3776m)をも上回ってることはけしからん話ではある。
あの決して登ってはならないニイタカヤマノボレの旧・新高山のことだ。
それどころか、あの小さな島の台湾には3000m級の高山が数百もと、まるで砂利のように転がっているのだ。
それほどこの地域の地殻変動は劇的な効果を残している。 仮に台湾の隆起することの反対給付が沖縄の沈下であると考えてみよう。
むろん、地殻変動がもたらす物理的な関係性がそのような単純なものであるわけはないにしても、
年1.5cmのペースは2000年換算でで30mに相当してるのだから、周辺への影響は無視できない。
そちょうどそれと釣り合うように、沖縄の海底遺跡の水深は、概ね20〜30mと確認されているのだ。
仮に遺跡が確かに地上から水没したのだとしたら、
それは台湾の山脈が背を伸ばすように、平均的、持続的に、ゆるやかに沈下して行ったのではなく、
周期的破断のような方式で、地の底が抜けるように突如として沈下することを繰り返してきたはずだ。
その周期性の裏付けが600年間隔と推定されている琉球列島への大津波の痕跡である。
1771年の明和の八重山大津波はM8巨大地震の副産物である。
かくして長い年月をかけて積み上げられた文明が、賽の河原のごとく、一瞬のうちに消失することになった。
繰り返された大地震津波は、かつて280年〜700年の間にも発生してることが確認されている。
であれば、沖縄海底遺跡群がその際に水没したという可能性を否定することはできまい。
沖縄の海底に沈む遺構に残された矢穴や鍾乳洞は、それが確かにかつて地上にあったことを示している。
今我々がその遺構に遭遇して驚嘆する時、彼らもまた、かつて王宮として栄華を誇った時代を振り返り、
自身を愛でた地上の主との数千年ぶりの邂逅を懐かしく思っていることだろう。 >>175
>仮に台湾の隆起することの反対給付が沖縄の沈下であると考えてみよう。
>むろん、地殻変動がもたらす物理的な関係性がそのような単純なものであるわけはないにしても
沖縄もフィリピン海プレートに押されて隆起する側だよ
いい加減なことを書くとますますトンデモにしかならない >>176
しかし東シナ海の大陸棚は琉球孤の東で窪んでるよね
沖縄トラフのことだよ
押されてただ隆起するだけならへこむはずがない
ある時、受ける力を分散するために蛇腹のようにうねりを作り出して、
隆起と沈下とを重ね合わせにする構造を作り出す
日本列島もまた東南から押し上げられるも、北方に日本海、中腹に瀬戸内海という窪みを抱えている >>170
土地の食文化はその地域性に由来するもので歴史的なものだ
鯨と違ってイルカ食は日本人に馴染みはないが、和歌山の太地町のそれは国際的な論争を呼んでいる
今では食べなくなった鯨は縄文以来の伝統だった
壱岐での犬食痕跡は現在との繋がりを持たないが、それは鯨と同じで代替があって絶えたものだ
だが近場の韓国では今でも犬食で鳴らしている
かつて食してたのはゆえあってのことだろう
だから沖縄が豚料理に特色を持つことは地理的伝統的であり、
関西が豚の関東と比較して牛が主流であることもまた古代からの歴史的な因果を持っている
きっと沖縄にあったろう邪馬台国は豚を常食にしていたに違いない 2018/08/14
【お江戸の人らは稗や粟を食べてはるらしいどすなぁ】江戸時代の毛髪分析で食生活判明 上方人は江戸っ子より米を多く食べていた可能性
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1534241043/ http://geo-scape.com/okinawatikei/
沖縄の海岸線は白砂のビーチしかないイメージだが、実際は地盤の隆起にともなう険しい海食崖が圧倒的に多い。 >>181
隆起する地点もあれば沈下する場所もあろう、時によればその逆にもなる
例えば高知で顕著に生じている >>87
この東日本震災では東北の沿岸部で複雑な変動が起きたことは記憶に新しい
邪馬台国論にさほど興味があるわけでもないが、その所在論の一つに近江説があって、過去にそのスレに
いくつか投稿してたことがある
対馬を佐渡に置き換え、水行を琵琶湖水に求めたその発想の、
コペルニクス的斬新さを認めたからだ
考古学や社会的な時事ニュースを元にしたレスだった
こうした学究歴の盲点を付く新説の弱点というのは往々に、
物理的証拠に欠くという面にある
確かな遺跡があるのなら過去に誰かの検証にさらされるのだから当然の話だ
近江と言うならそのどこなのかで隘路に陥ってしまう
あえて近江に求めた中の一つが近年発見された琵琶湖底の沈没遺跡だった
それらは比較的新しく古代遺構はまだ見出だされてはいない
だがそれにしても湖底に没して存在を知られずに済んでいた遺跡は、
その発見により新たな歴史観を創出する可能性を持ち得るだろう
そして琵琶湖沿岸部の水没は、
プレート運動に伴う隆起で成立する日本列島が、実際にはその細部において、複線的に変動してる実態を証明している
琵琶湖それ自体が隆起する地形の中で
逆方向に運動した窪みに他ならない
水没地帯はそうした潮流に飲み込まれたのだろう
沖縄についても同じ想像が成立する >>182
>同じ想像が成立する
どこまで行っても想像でしかない
科学にはならないよ
近江は伊勢遺跡をはじめとする野洲川流域に山ほど遺跡がある
この野洲川が高天原の天安河だとか言い出す人がいてもおかしくないし >>183
想像と言うのは沈下理由についてだよ
沈下した事実それ自体は、まさに海底遺構の歴とした存在がそれを証明している >>184
>沈下した事実それ自体は、まさに海底遺構の歴とした存在がそれを証明している
どれのことだい?
海底遺構だと「言ってる人がいる」だけだと思ったが? >>185
10歩譲ってそれが遺構ではないとしても、沖縄の一部分が沈んだことは事実として確定してる
なぜなら海底に鍾乳洞は形成されない
それはこのところの言い争いにケリをつけてる
沖縄は隆起してるのか沈降してるのかという件の話だ >>186
>10歩譲ってそれが遺構ではないとしても
それが遺跡じゃなかったら、沖縄説は根拠となる遺跡が一切ないことになるよ
沈降、隆起以前の話になる
そして海底鍾乳洞一つと、海岸線の多くが地盤の隆起にともなう険しい海食崖に
なっていることを比べれば、局所はともかく、全体的な傾向としては隆起しているのは明らかだろう 沖縄の狩猟道具は海南島のそれと同一だと記されている
それは文化伝播の結果だろう
海南島先住民は百越であり稲作民だ
稲作道具もいずれ伝播して不思議でなかったはずだ
そして8世紀に沖縄では、
伊平屋にて米作が盛んだった記録が残されている
だが沖縄に弥生稲作の痕跡は認められないのである
なぜだろうか?
この事実は海底遺跡とも目される構造物の、大津波を伴ったであろう沈下の時期を示唆していると言える
縄文系の血筋からして、弥生期の沖縄に人が住んでいた事実は否定のしようがない
さて、沈下地帯に人は住んでいたでしょうか? 私もうかつだったけれど、鍾乳洞ができるほどの時間軸と、
2000年も経たない程度の邪馬台国時代を比べるのは無意味だわ
調べたら今の沖縄の隆起速度は 年に1.5ミリくらい
千年でも1メートル半くらいだ
20メートルも動いたりはしない
海底鍾乳洞ができたのはもっとずっと昔の氷河期の海退期だ
その頃にはまだ邪馬台国は影も形もない まあちょっとうかつだったわ
検索の手数を惜しんでしまった
海底に鍾乳洞は形成されない、
そう言ったのは木村政昭であって他の誰でもない、
動画にはっきり証拠が残ってる
それを引用したまでだ
あくまでそこで形成はされないと言ってるだけわけだが
ともあれ問題は形成過程に関する見解の相違だな
宮古島は珊瑚礁が隆起して出来た島で、
200ほどの鍾乳洞が密集している
海進した水没期に再石灰堆積してそれが侵食された結果としても、
それでも一時水面上にあった海底遺物界隈の方にだって、
もっと多くの水中鍾乳洞が存在してても良さそうじゃないか >>191
>海進した水没期に再石灰堆積してそれが侵食された結果としても、
陸上に石灰岩層がある時点で、隆起していることの直接証拠だろ?
>>192
>それと慶良間海裂あたりが沈降しているものと受け止めてる
>全体が隆起してるとするのはシンプルすぎだろう
なんにしても、>>190に書いたように、隆起にせよ沈降にせよ、
地質学的時間スケールの話で、10万年単位の話
卑弥呼の3世紀から現代までの2000年に満たない時間では、考える必要はない
邪馬台国の遺跡は海底に没しているとかいうのは、トンデモ以上にはならないよ
これにこだわるのは止めたら? >>194
>アトランティスは水没したとされるし、
おいおい、それを信じて根拠にするなら、オカルト板にでも書きなよ
東日本大震災でも、何十メートルの上下方向の地殻変動なんてなかっただろ?
たかだか2000年のタイムスパンで、陸が沈んだとかいうのはタダのトンデモ説 ナイルの河口域にも沈下水没した地域があるし、ある程度それをおもわせる痕跡は
じっさいにはあるんだろうけれども、超古代文明とかまで行くのはただの「お話し」だわな。
なによりまず物証だよ。 話がトンデモに振れると、人がいなくなるんだよな
まあ、しょうがない URLやコピペみるためにサイト巡回してるわけじゃないので 一応、沖縄にもアトランティスならぬニライカナイの伝承があるからな
西じゃなくて東の彼方か海底てことだけど
もしかしたら東に千余里離れた倭種の国やら侏儒国のことかも知れないが 倭種國=伊豆諸島
侏儒國=小笠原
裸國黒齒國=マリアナ諸島 >>199
> 琉球弧は海底地形の二大境界線である吐喝嘲(トカラ)海峡(悪石島と小宝島間)と慶良間(ケラマ)海裂(沖縄本島と宮古島の間)
> を境にして、大きく「北琉球」「中琉球」「南琉球」の三つの島弧グループに区分される(木崎・大城1980;町田ほか2001)。
> 4 原史・古代
> (3)中琉球グループ
> 一方、沖縄諸島では貝塚時代後期(約2,200〜1,000年前)に相当し、サンゴ礁の海を生活基盤にした「漁携文化」が発達した。
> 遺跡の立地は主に台地に生活していた人々が、標高約5m〜10m前後の海岸砂丘に集落を形成するようになり、
> 遺跡集中地域が確認され、半島状に海に突き出た地形周辺の砂丘上に立地し、大規模な貝塚も多く形成されている。
> これは眼下のサンゴ礁海が漁携生業の中心であった為で、これらの大貝塚からは大量の大型貝、魚骨に加え、陸産のイノシシ骨も
> 多く出土した。それは狩猟・採取活動が活発に行われた証左でもある。
>
> 住居は砂地に掘っ立て柱を立てた四角形の平地式であった。
> (4)南琉球グループ
> 新石器時代後期(約2,200〜1,000年前)に相当する。不思議なことに、今まで使用していた土器を忘れ「無土器文化」になってしまった。
> こうした現象は、オセアニア地域の一部(ポリネシア)にも認められるが、他に例を見ない珍しい現象である。遺跡は海岸砂丘に立地
> することが多く、集落規模が前期に比べて拡大している。前面に広がるサンゴ礁の海から得られる豊富な食糧資源に支えられて、
> 人口の増加があり漁携活動は頂点に達していた。 弥生時代の住居なんてて掘立小屋だろう
遺跡と言ったって穴があるだけだ
畿内九州の本土のだって、考古学者が発掘調査してるのって、
地面掘り返してここに建物跡を発見したとね
現場写真で、地面に柱跡とされる穴が並んでて淵を石灰でマークしてるやつ
コックリさんの硬貨みたいなもんで、脳内イメージで都合よく掘ってるんじゃないかと
沖縄の場合に至っては弥生集落は海岸砂丘に築かれていた
津波にさらわれたら跡形も残らないだろう穴すらも
さらわれるまでもなく年月を経たら消えてて当然だ
仮に邪馬台国が沖縄だったとしても証拠なんて残ってるわけがない
沖縄に残ってないからこそいまだ邪馬台国論は帰趨するところを知らないんだよ
まして戦災による消失があり、戦後は米軍基地の問題がある
普天間の珊瑚礁埋め立てる連中なんだから、
建設中に見つけても無かったことにして破壊したはずだ
日向串間の王の山古墳も江戸時代に農民が開墾破壊して歴史を失ってる
だが普天間返還されたら跡地から何か出るんじゃないか?
木綿原遺跡 もめんばるいせき
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/140087
https://www.odnsym.com/isan/momenbaruiseki.html
沖縄の歴史・文化 沖縄の“縄文・弥生時代” そのT
https://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/f06db9b0cbc1f53e6aa5329103d4dfa1
沖 縄 諸 島 に お け る農 耕 の 起 源
http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/niso/1996-12-27/s001/s018/pdf/article.pdf 沖縄本島周辺のサンゴ礁は、辺野古埋め立て云々の前に、
本島の土地開発伴う赤土の海への流入でほぼ壊滅してるんだけどね
人間の幸せ追及の経済開発の前には、珊瑚の保護は軽んじられてきたんだよ
辺野古にはジュゴンはいない
なのに反対運動では、ジュゴンの海を埋めるなとか言い出す
まあ、邪馬台国とは関係ないからこの程度にするけれど、
>>207のような書き込みはたいていは似非 ジュゴンがいないなら連れてくればいい。
畿内説のような国家主義者はアジアの平和を脅かす隣国を脅かす日本を望んでいるのだろうが良識ある市民は平和で隣国に素直に謝罪する日本を望んでいる。
畿内説→大和文化凄い、天皇凄い→俺凄い
畿内説はこのような愚者の信奉する所である。 >>208
2014/01/28
【琉球新報】防衛局、辺野古埋め立て調査でジュゴン31回確認
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1390886516/
2014/05/22
【基地問題】辺野古沿岸にジュゴン、食跡確認 2年連続
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1400762438/
2014/07/10
【沖縄】ジュゴン食跡、沖縄・辺野古沿岸部で多数発見、近くの島には貴重な鍾乳洞も…「埋め立て事業は中止して環境を保全するべきだ」
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1404947441/
2014/08/17
【沖縄】辺野古沖でジュゴン遊泳 共同通信社ヘリが撮影(画像あり)
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1408282404/
2014/08/20
【沖縄】辺野古沖でジュゴンの遊泳確認、緊迫の普天間移設現場から数キロ…海上警備でジュゴン、辺野古の海草の餌場に近づけず★2
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1408471981/
2014/08/24
【沖縄】絶滅危惧種“ジュゴン” 日本テレビが撮影に成功 辺野古沖 [8/24]
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1408877124/
2017/08/31
【生物】ジュゴン行方不明、専門家は 「工事原因の可能性高い」 沖縄本島北部c2ch.net
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1504175875/
2017/11/17
【沖縄】不明のジュゴンの鳴き音か 辺野古周辺海域で防衛局が8月に採取
https://asahi.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1508194807/
2017/09/27
【沖縄】辺野古埋め立て予定地に絶滅危惧種の「オキナワハマサンゴ」などが見つかる [無断転載禁止]c2ch.net [485540869]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1506518430/
2017/10/26
【沖縄】辺野古海域の希少サンゴ 沖縄防衛局が県に移植申請
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1508996314/ >>211
例えば
2017/08/31
【生物】ジュゴン行方不明、専門家は 「工事原因の可能性高い」 沖縄本島北部c2ch.net
「もともといなかった」ジュゴンが「いなくなった」っていうフェイク記事だよ
こんなのを信じてたらバカを見るだけ >>199
このサイト、コンパクトによくまとめられてるね
読むたびに発見がある
各県ごとに1ページこういうのを作って欲しい 琉球弧の考古学 −南西諸島におけるヒト・モノの交流史−
http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/index.htm
> 4 原史・古代
> 琉球弧における本土の「弥生時代〜平安時代」(約2,200〜1,000年前)相当期は、中琉球南半の沖縄諸島では「沖縄貝塚時代後期」、
> 南琉球では「新石器時代後期」と呼称される。九州本土の文化は、北琉球や中琉球までは影響を与えたが、南琉球に於いては
> 「琉球王国」が近世期に統一するまで、全く別の文化圏であった。
> (3)中琉球グループ
> こうした集団的・組織的な漁携活動を通して、次第に村を統括する「権力者」(首長)層が出現してきたと考えられている(新田2003)。
> 6.まとめ
> (4)大交易時代の幕開け
> 南琉球(宮古・八重山諸島)との関係:南琉球グループと北琉球グループの島々は、お互いに目視出来ない遠距離にある。
> このことが先史時代〜両地域の文化的関係を疎遠にしていたが、1429年第一尚氏が「琉球王国」を誕生させた後、
> 両地域は初めて一つの政治勢力圏に統合された。
先島の宮古島と沖縄本島の距離は400kmもある
対馬海峡は200kmだ
視認できない区間を航海するのは難事業だ
對海國・一大國が乗船南北市糴と言うが、
宮古島以西(以南)の先島民は古代、沖縄本島には行ってないだろう
イメージとしては琉球諸島は一体的な地域だが、
実際には両者は古代においては完全に別の文化圏になっている
文化圏が違えば国が違うし、集団漁業の影響により権力機構が誕生している。
土地に縛られない漁業採取文化なら抗争も生じやすい
邪馬台国と狗奴国の対立だな 北琉球グループなのか、南九州なんだろうが、種子島って砂鉄が獲れるそうだね
海岸に鉄含有物が浮遊してるようなんだが、
内陸部に産出したものではなく、海底から出たものが漂着したとする説が有力のようだ
3世紀に倭人は弁辰で鉄をとってて通貨の代替としても利用している
魏志倭人伝は邪馬台国で鉄の鏃が使われてることを書いてる
まあむろん、鉄は交易で入手は可能だろうが、
古代製鉄と言えば出雲だが、なぜか種子島の名は挙がらないね
ともかくここに後世における国内統一に決定的な役割を果たした鉄砲が伝来したというのは、
物凄く奇跡的なことだと思う
Essay ★ 17 種子島:共通性と地域性 Letter★ これも種子島・砂鉄
http://geo.sgu.ac.jp/geo_essay/2006/17.html
鉄の歴史を持つ町
http://www.eonet.ne.jp/~etizenkikou/etizensi2.html
鉄のある町 種子鋏の町「西之表」
http://www.mtlo.co.jp/jp/valueone/metal/nishinoomote/nishinoomote.html
鹿児 島県 ・ 種子 島に お ける 種子 鋏製造の 伝統的技法 に関する調査研究
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180820144447.pdf?id=ART0008565475
閑話休題:種子島までの里程
https://blogs.yahoo.co.jp/rich036kit/15234897.html >>168-169
「市糴」というのは、米か穀物に限らず、広く「交易」を意味してるという解釈が正しいかもしれない
要は買い物に行くという意味だ
南北市糴(してき) 朝鮮半島と倭を結ぶ「和鉄 (てつ)の道」 8
http://infokkkna.com/ironroad/2011htm/2011iron/11iron08.pdf
> 魏志を読むと「国出鉄、韓、?、倭皆從取之」という記事と一緒に倭人伝 壱岐・対馬の記事の中に「南北市糴」という言
> 葉がでてくる。「糴」を何と読むのか不思議で 読めなかった漢字。「テキ」と読み、「米を買い入れる」ということから
> 「交易」を意味するという。 英雄たちの選択「古代史ミステリー 巨大古墳の国際戦略〜半島危機と倭の五王〜」[字][再]
8/23 (木) 8:00 〜 9:00 (60分)
NHK BSプレミアム(Ch.3)
番組概要
世界遺産推薦が決まった大阪の巨大古墳群。
5世紀中国南朝に使節を送った「倭の五王」たちの時代に作られた。
使節派遣と巨大古墳建造の理由を、東アジアの動乱の中に探る。
番組詳細
巨大古墳からは大量の鉄の武器が見つかっている。
「倭の五王」は鉄で勢力拡大した鉄の王朝だった。
ところが鉄は朝鮮半島南部でしか採れない。...
『英雄たちの選択「古代史ミステリー 巨大古墳の国際戦略〜半島危機と倭の五王〜」世界遺産推薦が決まった大阪の…』
https://tvpalog.blog.f◆c2.com/bl◆og-entry-491.html 伊豆に眠る遺構
◆ 撮影・西村純/伊豆半島、林原利明・東京海洋大学非常勤講師
週刊新潮(2018/08/30), 頁:5
グラビア
伊豆沖の初島の沖合の水深20mほどの海底に、
徳川幕府ゆかりの17世紀の遺構が眠ってるそうだ
沈没した交易船の積載物らしい
黒潮に乗って伊豆を経由して航行してる中途のことで、
伊豆は中継地点として重要だったようだ
縄文人だって黒潮に乗っている
もっと探せば古代の何かが見つかる可能性も無きにしも非ずだろう ここは邪馬台国も時代も関係なく適当なリンクを貼るスレですか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています