こうして一口に言って新羅王家や高官と言えど、その実態は倭人であることが十分考え得るわけで、
スサノオが高天原を追われ、新羅を経由して出雲に定着したこともまた天之日矛と同じ足跡にあたるわけである。
天之日矛/都怒我阿羅斯等(蘇那曷叱智)の話に戻ると、
日本海側の有力氏族に、皇室との外戚関係に特質のある息長オキナガ氏という氏族があるが、
それが沖縄・翁長と同一語源でないかという推測が可能である一方で、
これをソナガと読んだらどうだろうか?
蘇那曷叱智の音に通じてくるし、ソ(ナ)ガ=蘇我でもある
蘇我氏=小野妹子とすれば、その始祖は天足彦国押人命で、当時の倭国王は阿毎多利思北孤
蘇我氏もまた、息長と同様、皇室に嫁がせて姻戚関係を構築することに努めた氏族である。
ここから、蘇我=都怒我(蘇那曷)=息長、天=阿毎となる。
蘇我氏(のちの石川氏)や息長は後世に創作された氏であって、
当時は存在しなかったはずだ。
彼らの真の姓は「天(アマ)」である。
ではその「天」姓は何に由来して生まれたのかでだ。
天武の時代には既に「海見」「阿麻弥」としてその名が残されている「奄美」ではなかろうか?
奄美開闢神話の女神・阿摩弥姑(アマミコ)に由来するとも言われるが、
これが琉球のアマミキヨ(アマミク)と同一だとされている
語源はオーストロネシア語のアマン(やどかり)だという説もある。