會津の政治力はある意味では、新政府を凌駕して居た。
長岡の獨立特行を越後口總督の一ノ瀬 要人が認めて、長岡の總督の河井 繼之助を味方に付けた。
長岡の獨立特行を認めなかった新政府は、長岡軍に三ヵ月近く苦戦した挙句に總督の高倉 永祜を長岡軍決死隊に討たれた。
慶應四年八月二十七日に漸く明治天皇は即位した。