平将門は愛国左翼
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朝廷と全面戦争した平将門は愛国左翼。
明治に逆賊と嫌われた神田明神から平将門を御祭神から外したら関東大震災と東京大空襲が起きたとさ。 左翼とか右翼とかどうでもいいが
海音寺潮五郎の平将門は一読に値する >>89
平将門は渡辺政之輔や徳田球一みたいな漢。 >>86
講談社現代新書 平将門と天慶の乱 920円 >>89
明治から昭和59年まで朝敵の逆賊として御祭神から外されていた
それで東京に災いが多かったのかもしれない 朝廷と全面戦争したのは平将門、木曽義仲、北条義時だけ そうだな。
作者によっては将門を朝廷と敵対した現実から逃避しようとしてる。
将門の敵は朝廷なのだ。 将門が藤太を味方につけていたら。関東国はいつまで続いていただろうか? >>103
藤太が将門に味方すればそれも可能。
純友も藤太も遠い親戚だろう。 なんで将門ばかり有名になって純友の乱の影は薄いのか? >>107
将門は山賊・盗賊の類ではない。
純友は海賊だからな。 >>111 >>110
平良将は従四位下。
藤原良範は従五位下。 >>1
捏造乙ネトサヨに愛国心とか無いから
将門は偉大だがお前はゴミ >>112当時は通字は兄弟間のみ。父子が(将)を共通することは有り得ない。 >>114
平国香(良望) 平良兼 平良文 平良正 高望王と高見王は同一人物なんだろ。
ついでに言うと将門の子が良門というのも有り得ない。 >>113
朝廷と全面戦争して将門は左翼の星だろうがボケ 明治に逆賊として神田明神から外された将門
日本共産党は将門を偉大なる革命烈士として讃えるべき ・平将門
・木曽義仲
・北条義時
皇室と全面戦争した革命烈士たち 将門が果たせなかった朝廷殺しを北条義時が叶えたのだ! 将門VS貞盛 忠常VS信方 北条氏の先祖は将門とその後継を自称する者にとって常に敵 しかし神田明神を崇拝してたのは源氏の家康
頼朝も崇拝してたみたいだが >>123
村岡五郎さんと鎌倉権五郎さんは繋がっているんだろうか? 3:日本@名無史さん08/09/02 00:12:52
富士山、浅間山の火山灰の関東ローム層で出来た茫々たる荒地だったこの
アズマの大地を、我々の遠い祖先が切り開き、幾世代にも渡って耕して来た。
そのかけがえのない大地を、我々はこよなく愛しているだけなんだ。
葛飾北斎の富嶽三十六景を見てみたまえ。
そこには大自然と闘いながら逞しく生きたアズマビトの先人の姿がある。
我々はそうした先人達に限りない尊敬の念を抱いているんだ。
古代においてアズマビトは京都の天皇や公家どもに搾取され続けていた。
その構造をぶち壊そうと最初に立ちあがったのが平将門だった。
将門の反乱は失敗に終わったが、その約250年後になって、源頼朝を担ぐ坂東武者
によって、最初にアズマ政権である鎌倉幕府が打ち立てられた。
この鎌倉幕府こそ、坂東武者=関東武装農民によって造られた最初の国家であり、
我々が最も理想とする国家体制なのだ。
そして、その規範である「兵の道」こそが、我々アズマビトの祖先が生み出した
最も崇高な道徳であり、そうした価値観を守り続けることこそが、
アズマ本位のナショナリズムなんだよ。
こうしたアズマ的な社会規範に常に敵対して来たのが京都の天皇だった。
明治維新後、薩長土肥の西国人どもが関東へ担ぎ出して来たが、
所詮天皇は京都の公家の親玉であって、決して我々アズマビトの君主ではない。
故に天皇中心のナショナリズムは、我々アズマビトが奉じるべき国家規範ではないのだ。 倭健命、坂上田村麻呂などに征服されたが、元々大和朝廷に対抗できる大国の政権が東国に存在し、将門公の反乱はその東国政権の再起である。 坂東では僦馬の党の乱をはじめ反乱は何度も起きてる。
高望王一族はむしろ鎮圧側だった。 アズマでも東北と関東と東海では意識の差がある
東北は完全にアズマとみてもいいが静岡とかアズマ色が弱まる 天皇、貴族権力への反抗と天皇家の血筋を敬う新皇将門公の愛国左翼は、天皇から権力を簒奪し権威として生かす武士政権の精神そのもの。 敵の子孫が開いた歴代幕府に再評価されるということは将門公の意志は正しかったのだ >>170
経基は世間から戦下手と酷評された貴族で将門公の相手にならん >>170藤原忠文、六孫王の征東軍到着前に決着がついてしまった。 ♪おたべ喰ったって〜
和菓子喰ったって〜
京都の中では「平家」なの♪
坊主が唸ればぁ〜
公家が弾むわぁ〜
陰陽師 呪詛 アタック!
ワンツー ワンツー祈祷 護摩
でも、涙が出ちゃう・・・
だって、「壇ノ浦」なんだモン、、、、orz(涙 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています