邪馬台国の倭人は鉄器使用
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倭人は朝鮮半島投馬国経由で鉄を採取 【三国志東夷伝韓条】
3世紀に鉄器を使っているのは「当たり前」
倭人伝に書かれた【鉄鏃】なんて
時代劇の武将ヨロシク、自宅の庭で試射しまくってたわけで
リサイクル回収なんてしないw
あれ?3世紀の遺跡から鉄器ゼロ?
マジくそん???www 扶余百済と同族ということか。
(百済は朝鮮半島にいたけれど朝鮮民族ではないよね?) どこの伝承?
姫氏というと肥国王家、卑弥呼の実家ですね。 >>109
>どこの伝承?
箕子朝鮮って知らないの?
まあ、姫氏じゃなくて箕子だけどさ
商周演義で商の王族が朝鮮に封じられたとあって、それが箕子朝鮮
後に衛満朝鮮の追われて、馬韓に入り韓王になったことになっている
その馬韓の地に建国されるのが百済 もともと百済は遼東半島にあったからね。しょうがないね。 >>110
ありがとうございます。
半島の歴史には疎いもので。
いろいろ教えていただいたので勉強させていただきます。 >>111
>もともと百済は遼東半島にあったからね。
百済は、三国志魏書東夷伝韓条の伯濟國が周囲を併呑したものだろ? ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. >>105
サルマタイ 猿田彦
オンドル式
積石墓 >>109
卑弥呼の実家が肥国王家=大国主直系(=各地ヒナモリが配下)だと? アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa
アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww
https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimFEhQrlbtGwAJkGU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8 このスレも早くも死んでるな
邪馬台国スレ、乱立させるの止めようよ 鉄鏃の分布なんか見ると絶望的だよね
奈良なんて東京や千葉の10分の1だもんね
発掘なんて東京に比べりゃはるかに恵まれた環境なのに
九州に比べれば2桁違う
農具は木製や石器なんて西日本の盟主だの王都だのってどんな妄想だよ
吉備や尾張の方が全然上
ちなみに湖沼、沼地の干拓ってのは水を抜くのに苦労をする
治水のために水路を掘ると結構な残土が出るんだな
奈良盆地に3世紀以降古墳が出来たっつのはまあそういう事だ
摂津河内も無理当時は河内湖が汽水から淡水に移行する頃で農地に出来るのはまだまだ後
http://www.infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>120
間違ったコピペを延々と貼り続けるしかできることはないのかい? >>123
>どこが間違ってるのか教えてくれ
一読しておかしいと分からないのは、能力が足りないよ
>>120
>摂津河内も無理当時は河内湖が汽水から淡水に移行する頃で農地に出来るのはまだまだ後
これがウソ
弥生時代の初め頃から奈良盆地の最低部に集落遺跡があるし、河内南部はもっと古い
>農具は木製や石器なんて西日本の盟主だの王都だのってどんな妄想だよ
>吉備や尾張の方が全然上
これもウソ
尾張にも銅鐸鋳型の出る銅鐸祭祀の中心の一つがあるがより広く、三遠型銅鐸の範囲を包む形で
畿内起源の銅鐸の分布範囲が確認できる
吉備にしても古墳時代の前代以降、畿内最大の墳墓を超えるものを一度も作っていない
>九州に比べれば2桁違う
これも資料解釈がおかしい
淡路島の五斗長垣内遺跡や彦根の稲部遺跡は、弥生時代の列島最大規模の製鉄遺跡で、北部九州より多くの鉄を扱っていたことが分かる
これを書くと淡路島と近江まで鉄があるのに、畿内には鉄が入っていない後進地って言い出すやつがいるけど、>>120の示す資料で「淡路島や近江の鉄の出土例」がどうなっているか見てごらん
最大の製鉄遺跡のお膝元でも、鉄はあまり「出土しない」んだよ
「鉄が出土しないこと」は、「鉄がなかったこと」を意味する訳ではない
単なる発掘バイアスだよ
弥生文化では実用に鉄器が使われ、祭器に青銅器が使われる
弥生時代に鉄器がないと考える方がどうかしている お前の言ってることは支離滅裂だ。勝手にそう言い張ってればいい。ないのにあるといい
あるのにないという。
証拠がない以上妄想に過ぎない。 イメージや上っ面でしか語れない伊都クズの主張は全く学問的に意味がない >>124
まともに間違いを指摘できないのは、能力の問題だな。
相手に伝えるプレゼン能力の不足、コミュ障。
おはよう、キナイコシ >>124
>淡路島の五斗長垣内遺跡や彦根の稲部遺跡は、弥生時代の列島最大規模の製鉄遺跡で、北部九州より多くの鉄を扱っていたことが分かる
日本海文化圏と瀬戸内文化圏だから、東海文化圏の纒向は関係ないよ。
そんなものを持ち出しても意味がない。
>弥生文化では実用に鉄器が使われ、祭器に青銅器が使われる
>弥生時代に鉄器がないと考える方がどうかしている
海岸沿いは集落なども発達し、外部から文化がもたらされる。
しかし、奈良盆地のような内陸は違う。
人も少なく耕地も狭く、鉄器が見つからない後進地域、早く言えば田舎だよ。 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 淡路島の五斗長垣内遺跡や彦根の稲部遺跡は、「大和+河内〜環大阪湾」に
入るか入らないかくらいの地点
まあ、普通に通商圏内
そして、淡路島でも近江彦根でも、五斗長垣内遺跡と稲部遺跡が発掘されるまで、
弥生時代の鉄はほぼ出土していなかった
でも、そこに鉄がなかったという人は今はいない
鉄ってのは朽ちやすいから、現実に出るかどうかってのは、鉄があったかどうかとは
別の問題なんだよ >>125
>お前の言ってることは支離滅裂だ。
どこがどう支離滅裂なのか、「具体的に説明」してごらん?
できるものならなww >>128
>日本海文化圏と瀬戸内文化圏だから、東海文化圏の纒向は関係ないよ。
>そんなものを持ち出しても意味がない。
近江の土器も、淡路島の土器も、纏向ではきちんと出てるよ
普通に通商圏内 >>128
>しかし、奈良盆地のような内陸は違う。
諏訪盆地のような内陸でも、古くから栄えているし、この図でも分かるように
畿内様式土器もきちんと流入してるよ
https://i.imgur.com/63f11W7.jpg
「内陸だからー」に何の説得力もないのに早く気づくといいね >>134
相手に自分の意見を伝えられないのは自分の責任だと思わないか?
コミュ障 >>135
尾張を介しているので、直接の交流ではないよ。
纒向はあくまでも終わりに従属する立場の田舎。 >>136
諏訪盆地は記紀にも建御名方が逃げ込んだという記録があるので、例外だよ。
纒向は何の謂れもない。 >>137
>相手に自分の意見を伝えられないのは自分の責任だと思わないか?
支離滅裂だと判断しているのは、>>137の中の内観なんだから、
それを具体的に書き込めばいいんだよ?
自分の考え一つ、文字で書けないのかい?
まあ、九州説の人ってのは、大体そのレベルだよねww
>コミュ障
「コミュ障」が、まだマイブームなんだww
すごいね!wwwwww >>139
>諏訪盆地は記紀にも建御名方が逃げ込んだという記録があるので、例外だよ。
>纒向は何の謂れもない。
この辺がとことん頭が悪いよね?
纏向は、新しい都を空いてる場所に作った場所
謂れがあるのは大和だよ
建御名方が逃げ込む前の時代というか、その前の代、大国主の時点で、
大国主の家出先に選ばれるくらい大和は謂れのある土地だぞ?ww
古事記 上卷-4大國主~
又其~之嫡后、須勢理毘賣命、甚爲嫉妬、故其日子遲~、和備弖三字以音、
自出雲將上坐「倭國」而、束裝立時、
この倭国は、古事記の表記だから、大和の国 >>141
>この倭国は、古事記の表記だから、大和の国
アホか
筑紫のことだよ 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>124
>河内南部はもっと古い
河内は瀬戸内だから纒向とは関係ないでしょ
>吉備にしても古墳時代の前代以降、畿内最大の墳墓を超えるものを一度も作っていない
古墳時代以降の話をしてどうするの?
畿内説は後世の話しかできないの? >>142
>アホか
>筑紫のことだよ
相変わらず何一つ根拠もなしで喚くだけw
古事記は大和朝廷の編纂で倭国はヤマト国と訓むんだよ >>134
あるのにないといい
ないのにあるという
ま、表現力を身につけてから出直せ。まずは卒論をちゃんと指導してもらえ。論証の体を成してない。 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. キナイコシはレトリックだけで人を騙そうとしているが、それに引っかかる人は少なく、キナイコシが孤立する結果となっているな。 >>147
>あるのにないといい
>ないのにあるという
>>147が日本語を読んで理解できないだけだろ
淡路島でも近江でも、五斗長垣内遺跡と稲部遺跡が発掘されるまで、
弥生時代の鉄はほぼ出土していなかった
その頃は、淡路島にも近江にも鉄は少ないといわれていた
でも、弥生時代最大級の製鉄遺跡、五斗長垣内遺跡と稲部遺跡が発掘されて、
鉄が少ないなんてとんでもないってことが分かった
でも、五斗長垣内遺跡と稲部遺跡以外で鉄の発掘が増えたかと言えばそんなことはない
要するに、あったと考えるのが相当だが、実際には出土していない
出土していないことが、鉄がないことを意味するわけではない
なぜなら、鉄は朽ちやすいから
これだけのことを、理解できないことにしないと、自説が維持できない九州説は大変だww >>150
あるということと
あったはずということ
この違いがあなたがわかってないからね。
あなたの文章では全く意味が通じないよ。ちゃんと指導してもらったら?というのはそういうこと。 福岡にも熊本にも製鉄遺跡はあるのに、まるで関西にしか製鉄がなかったかのようなことを言っているバカがいるな。
畿内説はどんどんその領域を広げないと、証拠が足りないらしい。
大和説とか纒向説とか言えないのは、根拠があまりにも不足しているからだよね? >>150
その遺跡でな…ますます奈良の田舎加減がさらに露呈してしまった >>153
>福岡にも熊本にも製鉄遺跡はあるのに、まるで関西にしか製鉄がなかったかのようなことを言っているバカがいるな。
また捏造してるww
こっちの主張は、弥生時代の日本では「どこにでも鉄があるのが当然」だ
そして、鉄が出ないといわれていた地域で弥生時代最大規模の製鉄遺跡が見つかって、
最大量の鉄を使っていても、出土量が少ないことがあることが実証されたと言っているだけ
福岡や熊本のことは一切言ってないだろ?
ただ、福岡も熊本も、製鉄遺跡のある辺りは「真っ先に畿内様式土器が流入する地域」なんだよなww
いいところは、畿内と誼を通じてるんだよ ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 >>155
「嘘も百編吐けば真実になる」と思っているのか?
朝鮮人みたいな奴だなw 3世紀の遺跡から鉄器ゼロって嘘が書いてあるスレはここですか 弥生時代の日本では「どこにでも鉄があるのが当然」だ
そして、鉄が出ないといわれていた地域で弥生時代最大規模の製鉄遺跡が見つかって、
最大量の鉄を使っていても、出土量が少ないことがあることが実証された ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. >>163
>全部九州に上納したんだろ。
また理屈に合わないことを書いてるな
九州説では半島から鉄が来るから九州優位っていう「筋立て」なんだろ?
どうして淡路島や近江まで原料を運んで、製鉄してそれを九州まで戻すなんていう手間をかけるんだ?
九州にも製鉄遺跡があるって誇ってたんじゃないのか?
九州ではまともな製鉄もできないから、淡路島や近江から鉄を仕入れていたって言いたいのか?ww 森林資源の調達するためよ。
鉄を持ち運ぶ方が木材運ぶより簡単だからな。 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 あるけど、丸裸にするわけにはいかない。
だから畿内を植民地にしてそこの森林資源を利用する。 でも纒向はカスみたいな鉄さえももらえない。
内陸では搾取する価値すらない。
淡路島とかは、海路で便利だからいいように開拓された。 なにゆえ中九州や西中国とかの近場に移動しなかったのかね?
バカ丸出しだな >>170
九州の森林資源が丸裸って??? やっぱりアホや >>174
畿内に相手してもらわんと辻褄があわへんから 移動しただろ。
九州中部なら熊本とかにも製鉄遺跡はある。
瀬戸内海沿岸にもあるだろうけど、遺跡は見つかってないんじゃないか?
畿内の開拓者である三島溝杭耳を祭る本社である大山祇神社が愛媛県にあるから、間違いなく拠点の一つだったろうね。 >>175
少なくとも、大人口を抱えていた奴国の周辺は生活のための伐採だけでかなり森林は失われていただろうね。
倭国の成長に合わせて、周辺地域の資源に手を伸ばさざる得ない。 >>177
その移動を、各遺跡名と操業時期で表記してみてよ
例
○○県○○遺跡(○○式 ○世紀○四半期)
↓
○○県○○遺跡(○○式 ○世紀○四半期)
↓
○○県○○遺跡(○○式 ○世紀○四半期) 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>150
>淡路島でも近江でも、五斗長垣内遺跡と稲部遺跡が発掘されるまで、
>弥生時代の鉄はほぼ出土していなかった
>その頃は、淡路島にも近江にも鉄は少ないといわれていた
>でも、弥生時代最大級の製鉄遺跡、五斗長垣内遺跡と稲部遺跡が発掘されて、
>鉄が少ないなんてとんでもないってことが分かった
>でも、五斗長垣内遺跡と稲部遺跡以外で鉄の発掘が増えたかと言えばそんなことはない
>要するに、あったと考えるのが相当だが、実際には出土していない
出土していないんだから、鉄がない
なぜなら、鉄は朽ちやすいが、五斗長垣内遺跡と稲部遺跡でも、
同じ日本の北部九州でも鉄が出土しているのだから
これだけのことを、理解できないことにしないと、自説が維持できない説は大変だww >>184
↓の返事がまだだよ
その移動を、各遺跡名と操業時期で表記してみてよ
例
○○県○○遺跡(○○式 ○世紀○四半期)
↓
○○県○○遺跡(○○式 ○世紀○四半期)
↓
○○県○○遺跡(○○式 ○世紀○四半期) >>165
また理屈に合わないことを書いてるな
半島から鉄が来るから九州優位っていう常識
木材が貴重だから
淡路島や近江まで原料を運んで、製鉄してそれを九州まで戻すなんていう手間をかけたんだ
九州にも製鉄遺跡があるが、王族や貴族向けの高級製品だけを作っていたんだろう
九州に製鉄所なんて置きたくないから、淡路島や近江で鉄を仕上げていたってことww >>155
また捏造してるww
こっちの主張は、弥生時代の日本では「どこにでも鉄があるのが当然」だ
そして、鉄が出ないといわれていた地域で弥生時代最大規模の製鉄遺跡が見つかって、
最大量の鉄を作っていても、地元では出土量が少ないことがあることが実証されたと言っているだけ
ただ、福岡も熊本も、製鉄遺跡のある辺りは「真っ先に畿内様式土器が流入する地域」なんだよなww
いいところは、畿内と誼を通じてるんだよ
鉄を畿内で精錬してから九州へ運ぶんだから
その勢力は
畿内から労働力も運んでくるからな 江戸幕府ですら木材を必死に管理していた
五斗長垣内遺跡と稲部遺跡なんて長期稼働してたら
周囲の山々は禿げ上がって
洪水が頻発してただろうなあ
>奈良時代の石高www 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>188
九州のアホは森林の管理も出来ないらしい 鉄器を作るには
製鉄、精錬、鍛冶の行程を得なければならない。
日本国内で製鉄が確認されたのは5世紀以降。
朝鮮半島で製鉄を行い、国内に持ち込んでいる。
精錬、鍛冶遺構は北部九州ならば
弥生中期以降は至るところにある。
日本国内では製鉄遺構と言っても、
実態は鍛冶遺構であることが多い。
国内の製鉄は5世紀以降のたたら製鉄が
よく残っている。 今のところ5世紀以前の国内の製鉄遺跡で
確実なものはない。
製鉄遺跡=5世紀以降、と判断して良い。
精錬、鍛冶遺跡を製鉄遺跡と呼称して
いることがあるので注意せよ >>190
森林を保護するため、製鉄の場を各地に分散させ、日本海ルートと瀬戸内ルートで九州に運び込んだのだろう。
海が使えない大和は後進地域のままで、畿内でも摂津など大きな港が作れるところは発展したわけだね。 森林保護の最先端だったと言うわけだな
北部九州は。 >>194
九州のアホは森林の管理も出来ないらしい >>192
>製鉄遺跡=5世紀以降、と判断して良い。
>精錬、鍛冶遺跡を製鉄遺跡と呼称して
>いることがあるので注意せよ
なるほど。
_φ(・_・
倭人は朝鮮半島で製鉄した延べ板を買い込んでいたのだったね。
それも九州の森林資源に役立ったかもしれない。 >>197
九州のアホは森林の管理も出来ないらしい 鉄器出土数
奈良県 弥生前期 0 弥生前期 0 弥生中期 0 弥生中期 0 弥生後期・終末期 1 弥生後期・終末期 5
徳島県 弥生前期 0 弥生前期 0 弥生中期 3 弥生中期 0 弥生後期・終末期 28 弥生後期・終末期 0
福岡県 弥生前期 2 弥生前期 48 弥生中期 46 弥生中期 365 弥生後期・終末期 213 弥生後期・終末期 753
熊本県 弥生前期 0 弥生前期 1 弥生中期 20 弥生中期 21 弥生後期・終末期 311 弥生後期・終末期 1254
各時代が2つあるのは(前)鉄鏃と(後)その他鉄器に分けてあります。
弥生時代九州が鉄器時代だったのに対して本州は未だ石器時代 鉄鏃しかない阿波は攻め込まれた土地なのかな。
福岡と熊本の覇権争いが目立つから、これが邪馬台国と狗奴国だろうね。 >>201
まあ、奴国の周りの乱開発で早良の倭王の権威が失墜して、伊都の天孫族の王権が成立したのかもしれないし、同じことを天孫族も繰り返して、伊都を追い出されて東征して、卑弥呼の共立につながったのかもしれない。
卑弥呼に森林保護まで目が届く才能があったかは不明だが、重臣の中に伐採禁止と鍛治施設の外部への移転を進めた人物がいたのかもしれない。
必然的に邪馬台国の影響は東の瀬戸内海などに及んで行く。
それが瀬戸内ルートを確立し、古墳時代の到来の基礎となったのだろう。 >>203
九州北部の支配下に入ったことがよくわかりますね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています