そうですね。
大山祇、三島の神などが瀬戸内海を東征した痕跡として後世まで祀られているので、その年代の確定が必要ですね。
古墳の出土品から考えると、弥生末期に東征が繰り返しあり、筑紫の倭国が畿内に進出したのでしょう。
畿内が突如として発展するのは、外部勢力の流入に他なりません。