柱として使える高さが48メートルであった出雲大社の木材は、もとは100メートル近い高さの木だったのかな。
それを必要な本数だけ集めて運ぶことができたのはすごいな。
しかし記紀では、大国主のために高天原が建てたとあるので、事業主は高天原だったことになる。
その高天原が次代の都に定めたのが筑紫なので、事実上は出雲大社を最後に出雲から筑紫に倭は遷都したことになる。