>>732
≫もともと魏では銅鏡の作成自体が下火だったようでその面数、デザインともに衰えていて南に中心地が移っている
このため、魏の政府が倭に対して大急ぎで鏡を揃える際に外の工房から仕入れる可能性は十分に考えられる
そしてそもそも鏡の大量下賜は中華的方式ではないので、鏡式などにこだわる事もなく南方系の鏡を採用したとしても特におかしな点はない
北の形式ではない=北からの下賜品ではないと言う考えは早計と言える<

口先で誤魔化して言い訳したってダメだ。
宮中には、当然「尚方作」の方格規矩鏡や、当然買い置きの 内行花文鏡などもあった。