帯方郡は、馬韓の地に開かれた。
馬韓種族は、蚕を飼い、絹を産していた。
その馬韓人(のちの百済人)の馬流れは、海を渡って倭地九州にも達し、
対馬国〜邪馬国〜邪馬台国〜投馬国〜斯馬国・・・、と養蚕・絹織りを広げていった。
(皇室の養蚕行事は、その伝統を今に伝えているわけだ)