他には、

長島一向一揆鎮圧のときに、一揆軍に停戦の間銃を撃たないと約束して銃を撃ち、信用を失う。彼らを皆殺しにして年貢皆無かつ浄土真宗(一向宗)を致命的に敵に回す。
(天皇家ゆかりの)比叡山を焼き討ちして、天皇家の支持を失う。
諸大名の支持を失い過ぎて信長包囲網を二度もやられる(朝倉の自滅でかろうじて難を逃れた)。
将軍足利義昭の支持を失い、裏切られる(義昭は追放して室町滅亡、後ろ盾を自ら捨てた)。


などなど、戦争は上手くても政治の才能は乏しいどころではなく、建国後すぐバラバラになったアレクサンドロス帝国やチンギス・ハンのモンゴル帝国レベルのダメダメさであった。