広島県出身の影佐禎昭評価

「面と向かっては態度慇懃、話が軽妙で、外面的には練れた人物であったが、一寸も油断のならない、鋭い謀略家であった」
石射猪太郎評

満州事変直前の1931年9月4日の講演では、「蒋介石が我国の恩を忘れて反抗せるは
言語道断である……支那に対し平和の解決は至難であるから戦争は避け得られない。
諸君は陸軍の後援者となりて鞭撻せられんことを切望す」と国民を扇動した

1942年北満国境の第7砲兵司令官へ転任。同年中将、翌1943年に
ラバウルの第38師団長へ転任。ズンゲンの戦いで生き残ってしまった
成瀬部隊に玉砕を命じた。この顛末は水木しげるの漫画
「総員玉砕せよ!」に描かれている。