織田信長は過大評価されすぎ!
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
真実の信長は日本の半分も支配できないで部下にぶっ殺されたマヌケだろ
こんなマヌケが天下人のごとく扱われる昨今の風潮は異常 >>440
現代の科学では三嶋ではなく京が正しいんだが >>436
信長公記 巻十五の二月九日の軍令十一個条の最後に「…在陣中も兵糧が続くよう補給することが肝要」という旨の注意書きがみられるな。 >>442
その論争では、三島暦の計算が正しいとされた。 >>438
加来耕三が言ってたな
逆に木曽義仲を庇ってた
あれは入京と大飢饉が重なったからだと >>444
信長に忖度しただけだろ
いまだに三島が正しかったなんて言ってるのはバカ信長信者だけ
西暦和暦対応表みたいな本が図書館に行けばあるから見て来いよ >>446
三島暦を押した信長は、いろいろ考えるところがあったのだろうな。
ただ単に暦(こよみ)の選択の問題じやなかったのさ。
そこらの読みができんおめらは、信長の足軽にもなれんな。 どちらにしろ、敵は毛利と上杉しか残ってなかったのよ。
ところが、そうしたまともな神経の持ち主の敵とは違った別の類の敵がいたということだな。
これは誰も読み切れん敵だった。
引きこもりの神経病者が突然刃物持って大声あげて路上を突撃するのを誰も読み切れんのと同じ。
光秀の凶行は、こういう性格のものだったわけよ。
その妄想の根がどこにあったのか、誰にも分からんな。
あ〜る日突然♪だ。
その神経病者のおかげで、秀吉と家康に天下が転げ込んだという日本近世の誕生。
きみら、光秀に線香の一本も上げてやれよ。 本能寺で火だるまにされた信長は過大評価されすぎたな確かにw 信長の足軽になって本能寺でバーベキューなんてお断りだね >>450
いやいや、信長はいつ部下や味方に叛かれても不思議じゃなかった。
それを読みきれないのが信長の限界。
部下は将棋の駒じゃないんだぜ。 暦問題についてガチンコで語れそうな相手を探していたんだが、結局井沢信者には無理だったか。 >>457
信長の脳内現実が現実なのか、神経病者の脳内現実が現実なのか、言わなくてもわかってるだろう。
信長の現実が皆が従うべき現実なの。
おわかりか。 大河ドラマの秀吉見ると、へうげものの信長殺し計画の元ネタっぽいのがちょくちょくあるな
宗易と秀長が信長の死を予見するようなことを密談して約定(?)交わしてたり
光秀を唆して本能寺にけしかける黒幕の第三者がいたり(このドラマの場合は家康) >>459
たぶん信長はお前さんと同じこと考えてたんだろうね。
だから反感買ってコロされた。
アホすぎw >>463
その殺したのが妄想という脳内現実に追い詰められた神経病者なわけだから、きみらはその妄想現実を現実とする似た者同士ということになる。
あ〜る日突然♪に追い詰められないように気を付けたまえ。 どう考えても、光秀は妄想型神経病者。
普通の脳活動をする者には理解しがたい妄想発動となる。
常識型の細川藤孝が「どうすんの〜、わし知らんからね」と、どん引きしたのも当たり前だの妄想発動だった。
そんな光秀をもっともらしく解釈して、さも知将のようなイメージに仕立て上げている最近の傾向は、どうも病理的な側面がある。
同類らからみれば、光秀は普通の脳活動をしていたように見えるのだろう。
それが神経病の脳内現実なのよ。
わたしらは細川藤孝型の「どうすんの〜」の常識型脳内活動人だから、きみたちの病理的脳内現実には「わし知らんからね〜」とどん引きするところなのよ。
病院、行ってきたほうがええよお。 延暦寺を焼いたりするから
自分が焼き殺される羽目に・・・
やっぱ仏罰ってあるんだなと思ったよ >>469
そら、抵抗やめんからやね。
火攻めは、長島でもやってるし。
長島のは仏罰ないんか。 >>470
光秀好きは神経病の傾向あるだろう。
あ〜る日突然♪とかな。 >>469
比叡山焼き討ちの実行部隊のうち秀吉は適当に人を逃がしたらしいが、光秀が一番ひどかったというな。
光秀に仏罰あっても当然。
秀吉にやられて逃亡中に、百姓の竹槍で殺されたのがそれかもな。 >>476
この妄想型神経病の潜伏性は驚異的であり、誰も発見できない。
信長とて事前発見はできない。
ところが、発現してみれば、その深刻な病状は誰の目にも明らか。
信長、「あっそ、んじゃ、しょうないわな」と即座に理解。
藤孝、「どう〜すんの、わし知らんから」と即座にどん引き。
きみたちも、だいじょう〜ぶ? >>477
いずれにしてもそれが信長の限界よwww 信長が天下人として失格だったことも理解できてないうんこ頭が必死になってます。 >>478
妄想型神経病者が最強かよォ。
けけけけけけけけけ。 後に天下を取る秀吉、家康という大器が、ともに信長にはうんもすんも言わないで従っていた事実。
なんといっても、これには勝てんよな。 秀吉のおかげで領土拡張できただけのザコだろザコナガは? 秀吉と家康のおかげで領土拡張できただけのザコだろザコナガは?
実際に武田との闘争のほとんどが家康だけ 秀吉と家康のおかげで領土拡張できただけのザコだろザコナガは?
実際に武田との闘争のほとんどが家康だけ >>483
あれ、あそこへ行け、ここへ行けと命令したの信長だけど。 >>485
家康だけで勝頼は惨敗。
信長まで出てたら、勝頼即死だろう。 お前らの脳内現実は、妄想型神経病者の現実。
光秀の(あ〜る日突然♪どん引き行動)と同じ。
な〜ん、同類神経病じゃん。
光秀の(どん引き行動)の肩もつのも、よう分かるわぁ。 >>487
秀吉がいなかったら信長は領土拡張できないだろ。
命令されなくても秀吉は自分で天下とれたんだから信長とは格が違う。 >>490
それがきみらの脳内現実。
光秀もきみらと同じだった。
しかし、秀吉は信長の草履取りから立身した男。
信長の命令なしに行動できるわけないやん。 >>488
ば〜か信長も前面に出てきてただろう
信長なんぞ秀吉なしでは何もできなかった小物 秀吉も家康も信長なしでも天下を取れたが
信長は秀吉と家康がいなければ領土を拡張できなかった 明智光秀に裏切られて殺されるなんて惨めだなザコナガw
しょせんその程度のザコだったんだよw >>493
徳川家康はあの処世術があれば誰の下でも天下統一できるであろう。
信長は負け犬。 >>496
信長は負け犬ーというそれが妄想型神経病者の世界認識。
普通の人間の認識とは大きく異なる。
やはり、病院に行って、ちゃんと現実認識できるようにお薬もらうように、ね。 現実を見ることができない人間ってやたらと攻撃的になるんだよね。
信長が天下統一もできずに部下に殺されたことすら認めることができない人って頭がおかしいんだろうな。 >>499
それ、それが妄想型神経病者の脳内現実。
普通の人間の脳内現実とは異常に異なる乖離をみせる。
やはり、病院に行ってこないと。 >>501
信長の路線は秀吉、家康へと引き継がれた。
歴史上の勝者が信長。
高笑いしてるだろうね。 秀吉のやりかたは信長と違うし。
「信長は猛将だが良将ではない。敵を倒しても制することを知らなかった。」
秀吉は信長の欠点を見抜いていましたね。 >>503
信長の基本路線の中核は、天皇と貴族による世俗政権への介入の排除にあった。
秀吉、家康もこの路線をもって政権の基軸とした。
この路線は、現在の天皇の象徴制、貴族の廃止などにつながっている。
信長が創始した路線だね。 >>503
秀吉も自分が生きている間は家康を制していたが、
自分が死んだら制するどころか逆に制されてしまった >>504
貴族と武家政権の関連で言うなら、
足利将軍は京都に本拠を置いたこともあって、
一部の公家は公家でありながら天皇よりも将軍に近侍する者が現れるようになった
これを昵近公家衆という 有名な所だと日野勝光や葉室光忠など
織田信長にも陣参公家衆といって、信長に家来のように仕える公家衆がいた
豊臣政権にもその伝統は引き継がれ、関ヶ原戦で豊臣家は天下を失ったが、
その後も大坂城へ伺候する公家は残っていた
持明院基久のように大坂の役で豊臣に味方して大坂城に入城し戦死した公家もいた
逆に江戸幕府になると江戸と京都が遠いこともあり、
貴族と武家政権は疎遠になり、直接公家と将軍、大名が私的に面会する機会も
めっきり減ったといえる
(ただ貴族の娘が大名家に嫁ぐなど血縁関係は残ったが) 軍事貴族というのはすでに平安時代からあり、平氏や源氏などがその軍事貴族の筆頭に当たる。
かれらが軍事面における臨時政権を担うまでなったわけ。
しかしながら、政治のおおもとはやはり天皇や貴族による朝廷にあったもので、源頼朝は幕府という軍事分野の臨時政権を担っただけ。
こうした軍事貴族の武門における流れはその後も続き、信長のときには長篠の戦にも参陣した者もいた。
しかしながら、かれら軍事貴族は信長らの世俗政権にはまったく参入できていず、単なる格好だけの参陣にすぎなかった。
一方、足利の室町幕府は朝廷から任命された将軍が世俗政権を運営したものだが、天皇と貴族による朝廷政治の手足であるという建前から脱したものではなかった。
そこに登場したのが信長であり、信長は朝廷政治を無視して、信長の世俗政権には介入させなかった。
これは画期的な出来事であり、信長は朝廷から何の位階も受けず、無位無官のままに自らの政治を行った。
秀吉は関白という位階を朝廷から受けて世俗政治を行い、また家康は大将軍の位階をうけて幕府を開いて軍事政権を樹立したが、朝廷政治の介入は退けて信長の路線を継承した。
信長の登場によって何が起こったのかということについては、著しい例が朝廷政治の排除だったということになる。
ここから日本の近世がスタートして次の明治の近代へと進むわけだが、明治になっても朝廷政治は復活しなかった。
天皇は国家の象徴的元首となり、貴族は帝国議会の議員となった。
朝廷が復活したわけではないのだ。
こうしたことから俯瞰すれば、現在の日本の体制のそもそものスタートは、信長にあったことは明白。
妄想型神経病者の光秀が、ある日突然皆がどん引きするような凶行に打って出たあとも、その信長が始めた路線の流れは決して止むことはなかったのだよ。
それが歴史なのだなあ。
わははははは。 毛利上杉を同時に敵に回して戦力体力気力と時間を無駄にした馬鹿信長
その二勢力と同盟して無傷で自陣の戦力を増強した秀吉
二人の器の違いがよくわかる >>508
信長は、種付け馬だな。
種つけられた秀吉、家康ともども信長の後塵を拝しただけ。
今のおめらも、信長の種の一人。
あはははは。 その意味なら信長も清盛頼朝義時尊氏義満などの後塵を拝しただけだよな >>509
秀吉は、毛利や上杉が頭下げてくればそれでよかったのよ。
毛利は、秀吉の五大老の一人となった。
一方、家康は信長的なところがあって、やはり一戦を必要とした性格だった。
関ケ原を行うことでもって、武威による決着をつけた。
そして、その家康は天皇から征夷大将軍の位をもらって幕府を開くと、そのあとはもう天皇と貴族らとは関わらなかった。
干乾にあった天皇と貴族は、年間の予算にもこと欠いた。
その非情さは、信長とよく似ているな。 >>511
その決定的な違いが、朝廷をどう扱うかだったのだね。
頼朝から足利までは、朝廷が権威権力を持っていた。
それを、信長が世俗政権に関われなくした。
政権の根源の問題がそこにあった。
信長は、世俗政権の運営に天皇はいらないと断じたのよ。
そこが信長と頼朝らとの決定的な違いだな。 そんなの、大陸じゃ普通
カビの生えた神輿をいつまでも大事に戴いてる日本が特殊なだけ
信長はそれを変えようとしたが抵抗勢力に消された >>514
この点が、日本と大陸と決定的に異なるところ。
信長は、朝廷を消し去らなかった。
秀吉も、家康も同じ。
ただ、朝廷を世俗政治から排除しただけ。
それで、朝廷は宗教的な祭政にのみ特化することとなった。
大陸の東アジアでは、宗教的祭祀者はすでに古代から世俗政治への介入を排除され、迷信世界で存在するだけのものとなった。
一方、中東や西洋では、普遍宗教として国家を超越する存在となり、世俗政治を従える超越的な独立性を保持することとなった。
しかし、西洋においては、近代になってようやく宗教的祭祀者に対して日本と同じように世俗政治への介入を排除する流れとなり、キリスト教の教皇は世俗政治の圏外に立つこととなった。
中東においては、依然として宗教的指導者が世俗政治に全面的に介入を続けているのが目立つのである。
つまるところ、西洋は19世紀になって信長の路線にようやく追いついたということになるのよ。
大陸といっても、このようにいろいろなバリエーションがみられるのだ。 >>516
その抵抗勢力は、目的を達することができなかった。
信長の路線の勝利だよ。 >>507
面白いと思うけど、
朝廷の官位に依拠しない、朝廷の高位高官で統治を正当化しないのは信長後期固有の特徴
秀吉から現代には受け継がれなかったと思う
世俗政治から天皇を切り離したのは、むしろ足利義満だと思う
朝廷の行政権力が義満から形骸化が目立った >>518
秀吉も家康も朝廷政治の排除を進めており、この路線は信長の路線を引き継いだもの。
官位を受けたのは世俗政権の根拠をそこに求めたのであって、信長ほど天下布武に徹するつもりがなかったということだろう。
世俗政治への朝廷の介入を排除できればそれでよかったということになる。
足利義満が世俗政治から天皇を切り離したとするのは、どうか。
通説では、義満は公武一体化をめざしたとされる。
世俗政治を朝廷政治に格上げ一体化させようとしたのが義満だと解釈するのがよいようだ。
南北朝の二朝分裂を解消したその余勢をかって、朝廷から預託されている世俗軍事政権である幕府を朝廷の機関として格上げしようとしたということだろう。
これは、信長の世俗政治からの朝廷排除とは真逆の在り方であって、義満と信長を同列に置くのは妥当ではないと思われる。 >>517
南北朝動乱の商社は後醍醐天皇、なぜなら明治政府に正統と認められたから。
くらいに負け犬の遠吠えだなw >>520
長い間かかったもんだ。
草葉の陰で…。 部下に焼き殺された負け犬のマケナガは過大評価されすぎたなw 部下に焼き殺された負け犬のマケナガは過大評価されすぎたなw 部下に焼き殺された負け犬のマケナガは過大評価されすぎたなw 秀吉は信長の真似をしなかったからこそ天下を制したのである
その証拠に信長が保護したイエズス会を排除して信長が弾圧した仏教勢力と和解した 信長なくして秀吉、家康なし。
冷厳な歴史の真実。
歴史を直視したまえ。 そのとおり。信長公との接点は猿と狸の人生に多大な影響を与えている。 い〜や秀吉と家康は信長配下じゃなくても天下を取れたけど
信長には秀吉と家康がいなければ勢力拡大は無理
その証拠に何度も信長は窮地を秀吉と家康に助けられた >>529
信長だって父親からの領土を引き継がなかったら何もできなかった まあ、秀吉や家康の人生に影響を与えたのは事実だけど、
だからって二人の偉業まで信長の手柄にするのは明らかに間違ってるんだよなwww >>531
秀吉は信長配下じゃなかったら、
他の大名に仕官してもただの百姓上がりの雑用係で終わりだよ
槍働きで敵将を討ち取る武勇もないし
家康も桶狭間で信長が義元を討ち取ってくれないなら、ずっと今川配下のままで終わり 秀吉と家康がいなかったら信長の天下布武は成り立たなかったかもしれないが、
逆に信長がいなかったら秀吉と家康の天下はなかったとも言えると思う こういうふうに頭のいい人がいるのは、すがすがしいな。 信長なんかいなくても秀吉は天下取れたよ
実際に信長抜きで天下取ってるしな秀吉 徳川家康なんか元は今川家人質で今川家の教育が非常に有効だったわけで信長は関係なさすぎw 徳川家康が最も参考にしてたのは武田信玄と北条早雲。
信長なんか負け犬は関係ないんだよ 徳川家康は武田信玄の旧臣を取り入れて天下統一を完成させたのだ。
信長なんか負け犬は関係ないんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています