織田信長は過大評価されすぎ!
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真実の信長は日本の半分も支配できないで部下にぶっ殺されたマヌケだろ
こんなマヌケが天下人のごとく扱われる昨今の風潮は異常 >>761
議会を開き普通選挙を実施するまで時間がかかったからな
四民平等で廃刀、庶民にも苗字を名乗らせたり
国民全員が平等に初等教育を受ける学制を整備したり
いきなり選挙をやれといっても学問不要とされてきた
一般庶民にまで政治の知識が急にはいきわたらないわけよ >>753
甲州流軍学は小幡景憲が創始した軍学。
武田の遺臣に軍法などをいろいろ聞き回り、これに甲陽軍鑑の記述を合わせて、流派を創始したもの。
景憲が甲陽軍鑑を書写したのが元和7年。
元和7年は1621年で、家康が死んだ元和2年(1616年)の5年後。
この甲陽軍鑑の記述とそれまでに武田遺臣から聞き取っていた軍法などを合わせて流派を創始したのだから、この甲州流軍学が家康に影響を与えたことはあり得ない。
甲州流軍学が広がるのは、秀忠や家光の時代。
ちゃんと時系列を把握しろよ。 >>756
江戸時代の信長評は、基本的に、油断して襲われて死んだ者というもののようだ。
新井白石はその筆頭。
白石は朱子学者だから、信長のように中世秩序を重んじない者に対して、当然そのような評価になる。
新井白石の信長評を大げさに持ち出すおめも、江戸時代のオツム以上の脳みそではないな。
そのカビの生えた江戸時代型の脳みそを一度洗い直してみたまえ。 おめみたいに、江戸時代の評価を基礎に置いて信長をどうこう言っても、カビが生えた論説以上にはならん。
無理無理。
その点、日本外史を書いて源平2氏から徳川氏までの武家盛衰史を書いた頼山陽は、江戸時代に唯一まともに信長を評価した学者だ。
ちゃんと歴史を追えば、誰でもちゃんとした信長評に行きつくことができるのだよ。
おめの江戸時代型脳みそをじゃぶじゃぶと洗い直すことを進める。
それからだな。
わはははは。 現実に信長は本能寺の変で倒されたんだけど、
コイツそのことも知らないんだなww 260年の江戸幕府を築き上げた徳川家康が崇拝してたのは織田信長ではなくて武田信玄である現実を直視できないのがキチガイ信長シンパ 260年の江戸幕府を築き上げた徳川家康が崇拝してたのは織田信長ではなくて武田信玄である現実を直視できないのがキチガイ信長シンパ 大久保長安が崇拝してた徳川家康が崇拝してた武田信玄こそ最高。
朱子学の江戸幕府だけでなくて反幕府の薩長志士連中でも信長崇拝者なんて一人もいないよ。
吉田松陰も坂本龍馬も西郷隆盛も信長には言及していない
しょせん信長はその程度の雑魚 新井白石にボロクソに評されてた信長
やっぱ一流には分かるんだよ 佐幕派だろうが討幕派だろうが信長崇拝者はいない。
しょせんその程度の小物。 一流の偉人からは全く相手にされないザコナガw
家康も秀吉も最後は信長を無視してたのはそれ >>771
ちゃんとした客観的学問が始まる明治以降の評価を基準にすべきだな。
カビをはやした江戸時代の一般的な評価を基にしてどうするよ。 吉田松陰も高杉晋作も坂本龍馬も西郷隆盛も大久保利通も渋沢栄一も誰もかれも信長なんかに憧れていませんでした。
もっとも信長が表舞台に歴史の出てきたのは1970年代から
今が異常なだけ >>778
そらあ、ちゃんとした新資料が出てくるようになったのが、このころからだからな。
戦国時代に詳しい小和田哲夫が一文を書いている。
次の入力で検索してみたまえ。
最新研究に見る「真実」の織田信長
(開いた画面の一番上のサイト)
まあ、おめは某国の工作機関に雇われて織田信長ディスリしているだけだから、どうでもいいかも知れんがな。 織田信長こそカルトのイエズス会を保護して神社仏閣を焼き払った売国奴だろうがw 織田信長こそカルトのイエズス会を保護して神社仏閣を焼き払った売国奴だろうがw 幕府側だけでなく幕末の尊王家が売国ノブナガを崇拝しなかった理由である。 織田信長みたいな独裁者は平成の日本でしか人気でないよ >>784
信長人気と韓流ブームは同時期なんだよな >>785
その二つをリンクするおめからは、某国の工作機関に雇われている者の臭いが強く流れ出しているぞ。
家康は朝鮮との国交を回復したからOKの人物というわけか?
いずれにしても、信長が近世の扉を開けたそもそもの創始者であることに変わりはない。 数多くの寺社を焼き払った信長は日本人じゃない売国奴 >>787
信長は長島の一向一揆を何度か攻めて、自軍の損害も少なくなかった。
信長自身も出陣した最後の攻略では、一揆勢の一派が降伏して長島城に入って中で蜂起すると約束して許され、
長島城へ入ったものの何の動きも起こらなかったというようなことがあったことから、信長は一揆勢の降伏を許さなくなり、
そして、兵糧攻めを行った。
この時点で、兵糧攻めによって一揆勢を殲滅する考えだったことになる。
そののちに、一揆勢の一部が決死の脱出を行って、それが成功したことから、信長は柵を設けて脱出できないようにして、火をかけて火攻めを行った。
一揆勢の籠城全員が焼け死んだとされる。
この長島の一向一揆攻めは、最初から火攻めする作戦だったわけではなさそうだ。
比叡山の火攻めも同じであり、比叡山だけに火攻めを行ったのではない。
坂本などの僧兵らが比叡山に立てこもり、これを殲滅するために包囲し、最初に坂本で家屋に火をかけたところ、子女らが比叡山に逃げ込んだ。
その後、僧院などに火をかけつつ攻め込んだもの。
最初から殲滅する考えだったようだ。
火攻めはその殲滅のための戦術の一つといえる。
火攻めせずに戦えば、信長方にも相当な損害がでたはず。
実際、比叡山の前に行われた長島の戦いでは、火攻めを行う前の戦闘ではかなりの損害を出している。
この時期、敵対する宗教勢力は武装しており、在地の武将なども加わった強力な態勢を築いていたからだ。
信長にとっては、敵対する宗教勢力との戦いは生死をかけた壮絶なものであったようだ。
この峠を過ぎると、武装宗教勢力が敵対することはなくなり、毛利、上杉などの武将との戦いとなって行く。 馬鹿の対立軸
ネトウヨ(信長信者)←→チョン
一般人の対立軸
ネトウヨ(現実を直視できないバカノブヲタ)←→史実をしっかり見ている知識人
さーて、ノブヲタさんは「信長は本能寺で戦死した負け犬」という事実を直視できるのかしらw >>789
信長が本能寺で戦死したのは事実だからな。
その後、信長が切り開いた近世は、秀吉と家康によって着地した。
これが歴史の真実だということだから、信長は勝者ということになるわな。 まだ本能寺で焼達磨にされたマケナガを崇拝してる池沼がいるの? まだ本能寺で焼達磨にされたマケナガを崇拝してる池沼がいるの? >>782
超歴史家の吉田松蔭も織田信長への言及なし ↑しょせんその程度の武将に過ぎなかったんだよ。
ちなみに吉田松陰は孔明と孟子がお気に入り。
自由民権運動の板垣退助は武田氏を武田信玄を崇拝してたらしい。 自由民権運動の板垣退助はを武田信玄を崇拝してたらしい。 信玄流こそが家康の覇権を完成させたのは歴史の事実。 誰一人も信長を参考にしてませんでした。秀吉でさえ・・ 信長のようなタイプについては、尊敬するとかいうものではなく、畏れ憚るというくらいが妥当。
皆、信長を畏れ憚ったのさ。
それくらいの強力な男が、時代を変えてしまったということだな。
信長、秀吉、家康によって着地した近世なくして、明治以降の現代への発展はなかったのよ。
中国国民や朝鮮国民、その他のアジア各国民の肌合いが日本人の肌合いとどこか微妙に異なるのは、そうした近世を経験したかしなかったかによるところが大きいのではないか。
ということは、信長をいくらこき下ろそうが、いやでも信長のお蔭を被っているのがおめ自身だということなんだよ。 >>799←こういうヤツって妄想の中の信長を崇拝してるけど実際の信長は大嫌いなんだろうな。
本能寺で死んだリアル信長は認めたくない、世界を制覇する妄想信長マンセーなんだろうな。 >>796
家康は戦が下手で若い頃は負け戦だらけだったため
武田滅亡後武田兵を大量に雇い入れた
天下統一は戦の天才・豊臣秀吉がやってくれたので
家康が天下を取るためにやったことは
秀吉死後に諸大名たちに正室との離縁を命じて
自分の養女を継室として送り込んで義親子関係を結び
関ケ原で好条件を提示して自分へ寝返らせたことのみ
以降は信玄を参考にしていないだろう
あんなのただの地方大名だし お歯黒つけた今川を桶狭間で打ち取ったときから、近世が始まっていたということ。
古代、中世世界を破って近世の空を見たそのときの信長の意識は、どんなものだったのだろうなあ。
はればれしたものだったのは、まちがいないな。
信長の高笑いが聞こえるよ。 ここの歴史オタクどもより明治の英雄たちの評価こそ真実である。
よって徳川家康、武田信玄、北条早雲>>>>>>>>>>>>>>>>>>織田信長 敗者の信長ブームはバブル崩壊後の1990年代からだからなw 暴君のイメージが強すぎる信長を大っぴらに崇拝しては人格が疑われるからな
隠れ信長支持者は昔から多いはず
例えるならヒトラーを再評価するようなもんよ
そういう鬱屈した国だろ日本は >>807
信長なくして秀吉、家康、明治維新、現在はなし。
信長嫌いがごたく言えるのも、信長のお蔭。
信長さまさまじゃないか。 >>805
江戸時代の頼山陽がすでに大評価してるのに。 織田信長を一番に崇拝してた究極のバカなんぞいないよ >>810
「超世の才」が頼山陽の信長評。
最高の評価だな。
また、信長の覇業こそが豊臣、徳川の平和に続く道を作ったとちゃんと評価としている。
上杉には、こんな評価は与えてないだろ。 >>810
頼山陽は武将感状記に記されている塩を送った話をもって謙信を褒めて美談にしているが、その感状記の話は史実ではないらしいな。
山陽のこの評価は、間違いだろう。 頼山陽は謙信贔屓で有名だろ
信長は二の次
それにしても頼山陽しかいないのが悲しすぎる
新井白石からはは非難轟々されてるのに 日本外史では毛利元就と楠正成が最大限に評価されて信長は少ししか出てこねえよ。 >>815
朱子学は教条的な上下秩序至上主義で、白石はその朱子学者だからと前にも言ったがな。
信長のような旧秩序に信を置かなずにどんどん自分の価値観で進んで行く男は、白石には秩序破壊主義者のように見えるのだろうよ。
江戸時代は朱子学が基本だから、全体に信長は受け入れられないのよ。
それでも頼朝からずっと武家政権の流れをみてきた頼山陽のような男は、何度も秩序が破られてきたのを知っているから、信長を評価することができたということだな。
おめも、ちゃんと歴史を学べよな。 >>816
毛利は地方勢力だし、楠はゲリラ戦だし、いずれも旧秩序をどうこうしようなんて考えたこともなかったろうよ。
頼山陽は、そうした政治的なことはあまり触れてない。
やはり、お上を気にしていたそうだからな。 >>817
みんな信長より格下だったということやね。 >>817
しょせん負け犬の信長から見習うものなどなかったのよ >>817
しょせん負け犬の信長から見習うものなどなかったのよ 幕府の秩序と全面戦争した薩長土肥の志士に信長崇拝者がいないことが信長のレベルが知れてる >>823
おめが持ってる海舟の氷川清話に出てるだろう。
海舟が長州の代表と会ったとき、「海舟は幕臣で自分らは長州藩主の家臣の家来だから、海舟とは対面して座れない」と廊下に出て、それから海舟と話をしたいということだったそうじゃないか。
幕府を敵として戦いながら、長州下級藩士たちは幕藩制度の秩序をそのままに生きていたのだよ。
海舟は、そんなに肩ひじ張らなくてもいいからと、座敷に上げて話をしたそうだ。
そんな彼らが、信長を崇拝するわけないじゃないか。
ちょっと考えたら分かりそうなことだよな。 何度もいうが
勝海舟の評価は武田信玄、徳川家康>北条早雲>織田信長で四番手にすぎんわ >>823
吉田松陰は諸葛孔明
大久保利通は徳川家康
板垣退助は武田信玄
このように討幕派にも信長信者は一人もいないが
それもそうだ信長みたいに、ただ秩序を滅茶苦茶に破壊すればいいものじゃないと志士たちは知っていたからだ
信長みたいな滅茶苦茶な破壊じゃなくて西洋列強と戦える新時代の創造を望んでいたのだ 大久保利通だけでなく木戸孝允も家康を高評価してた。
意外だが討幕派ほど家康を評価してる偉人が多いんだわ。 >>826
そういう新時代の創造を可能にする考え方を信長が作ったということだな。
歴史を読めよ。 >>827
みんな信長より格上だな
なぜなら信長は何一つも想像できないで半端に終わって殺されたからだ >>826
さすがは幕末の大英雄たちだ信長なんぞからは見るべきものなどないことを見抜いていたのだ >>833
みな信長より長く生きたが、その人生の総括は信長の半分ほどにも達していない。 >>838
西郷は、明らかに秀吉、家康よりかなり格下だな。
反政府活動家に引っ張り込まれて西南戦争に与するが、功を上げることなく自決してしまう。 信長は、崇拝するより畏れ憚る人物だからな。
崇拝する者がいなくても、それでいいの。
そうした傑物が近世を押し開いたのよ。
それが信長の歴史的な評価だ。
素人には、わかんめ。 >>842
信長が本能寺でころされたこと知ってる? ぼくがかんがえたのぶながのかくしんせい
政教分離
兵農分離
三段射撃
装甲戦艦
重商主義
妄想に生きるバカノブヲタw >>844
斎藤道三が信長をどう批評したか知ってるよね。 殺戮の能力があるから信長の功徳はだれにでも愛された。 幕末の英雄達は誰も信長を崇拝してなかった
これが信長のレベル >>852
学ぶ必要はないな。
信長の遺産をもって現代を生きれば上等。 >>854
近世という新しい日本文化の基を作ったのが信長。
ありがたいと思えよ。 >>855
近世の始まりは秀吉からだがまだ完全ではなく、いつまた戦国に戻ってもおかしくない。
天下太平の世を築いた家康が近世を開いた。信長は戦国を終わらせることも出来てない。
天下もとれなかった信長になんの手柄があるんだか。 信長の手柄を横取りしたのが家康や秀吉、戦国の世に生きずおいしくもない。 信長単体では天下統一は無理だからな
秀吉と違って部下がついてこないから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています