面白い見解があったのでコピーさせていただきました
546: 11/25(日)17:08 ID:qvgWxeKF0(1) AAS
倭国の政変は3世紀末〜4世紀前半頃で、卑弥呼の時代より少し後
卑弥呼のいた弥生末に九州中心に分布していた破鏡が古墳前期には瀬戸内海〜畿内へ移動している
一枚の鏡を割って割符とし、穴を開けて紐を通し兵士たちが持って移動した
 166 :ホワイトケープ :2018/10/06(土) 18:57:54.78
 破鏡をご存知ですか。銅鏡を割った破片で、縁をナイフ状に後加工したものや穿孔したものが、墳墓からだけでなく住居跡や田んぼからも見つかります。
 弥生後期の遺跡から出土する、神武東征由来の遺物です。
 次は破鏡の分布図で、図40は弥生後期〜終末期の分布、図41は古墳時代前期の分布図です。「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎から借りています。
 図40(画像リンク[jpg]:vbsoft.sub.jp
 図41(画像リンク[jpg]:vbsoft.sub.jp
 熊本平野、大分大野川流域の状況が特徴的です。
 ほとんどが集落域からの出土ですが、弥生終末期にのみ見られ、古墳時代には全く見られなくなります。
 当然なことで、神武東征が九州を発つ前に狗奴国や大分の従わないクニとの決着の戦いの痕跡だからです。
 福岡平野で募られた兵は、家族との長い別れに、親子兄弟、妻とも家族の絆として鏡を分け持って出発したのです。
 家族の証明はこの割れた鏡が合わさることでしか、確認できない時代です。
 出征兵の親は、待てど帰らぬなか亡くなっていき、鏡とともに副葬されました。
 兵たちは落とさないよう穴をあけ首にかけていたが、戦闘の中で田んぼに落とすこともありました。
 突然の出立に、置き忘れることもあったでしょう。
 妻や子は、小さなかけらをもって後を追いかけました。

 鏡種を調べると、内行花文鏡と方格規矩神獣鏡が多く、三角縁神獣鏡は一面もありませんでした。
 三角縁が東征後の鏡であることは明らかです。
 東征を卑弥呼の前とする説がありますが、その時代にはこのような痕跡は全く見つかりません。
 九州の三角縁神獣鏡は古墳から出土し、奈良から帰還した兵が持ち帰ったものと思われます。
 
素晴らしい見解と思いませんか?