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■「平塚川添遺跡」の出現
『古事記』『日本書紀』によれば、高天の原には「天の安の河(あめのやすのかわ)」という河が流れていた。
天照大御神と、その弟の須佐の男の命(すさのおのみこと)とがこの河を中において談判をしたり、
神々が「天の安の河」の河原で、会議を開いたりしている。
 九州の地図をみれば、
現在でも北九州のほぼ中央に「夜須」という地名がある。
この北九州の「夜須」の地名は、『日本書紀』や『万葉集』では「安」の字が当てられている。
 筑後川の支流の小石原川は、
「夜須川」とも呼ばれる。そして1992年に朝倉市(当時は甘木市といった)を流れる夜須川のすぐ近くから、
弥生時代後期の大環濠集落跡として「平塚川添遺跡」が出現した。
考古学者の佐原真氏は当時この平塚川添遺跡を「学術的には吉野ケ里に匹敵する遺跡」(朝日新聞)と述べている。

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★1が立った日付2019/01/01(火) 00:05:54.36
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