(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島)
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資料の多い九州
邪馬台国卑弥呼や倭人について語ろう >>770の続き
雲南民族の傣(たい)族、哈尼(はに)族
哈尼族→巴里→榛→土師?
ずっと前から思ってたことがあって
海幸山幸彦が釣り針捜しで喧嘩する神話があるでしょ。
あの釣り針って都里巴里(都里榛)じゃないかなって。
福岡のどこかの神社の伝承(朝倉近くか飯塚あたりか失念)に、
木に登って釣り針を探したってあったのよ
「木に登って小さい釣り針見つけるんかい!」
って思った
釣り針って国の名前だと思ったの
証拠もない空想だけどね、ぜんぜんダメかなあ? 熊本県天草市下島
熊本県の最西端で一番美しい夕陽が見れると言われている所
天草のアマとは昔は海と言われていて
草とは日だったと言われている
天草→海日
いにしえの倭人達は、きっとここに来ていたはず
どんな気持ちや祈りで美しい夕陽を見ていたのだろうか
ここにもきっと古代人の思いが詰まった遺構があったはずなのに・・・
例)日下部くさかべ、日下くさか
草→日 >>774
天≠海説はすでに解決済み
天は甲音のamaで、海はwataが古音でアマへの変音ごは乙音のama >>775解決済み?どんな理由
よかったら教えてください。 日本人は掛詞とか好きだし、漫才だってその程度の音韻の差は無視しているだろ?
根拠にならんよ。 天=海にすると困るキナイコシ
ちゃんと説明したれよ >>781なにそれ?教えてください。
高天原は海の集落?宮崎さんの島原説 >>775
甲乙の区別が無くなった時代に混同されたのでは? 海洋部族「天津神」が、陸上稲作部族「国津神」の頭領であった大国主から国土を奪ったのが出雲の国譲り。 阿波さんひさびさっす
ついでに質問
沖縄の氏名に阿波連や勝連といった名字の人達がいるんですが
阿波と関係あるんですか
沖縄と言えば琉球王朝やウミンチュ(海人)で有名ですし
古い時代からの名前が残ってるんですか? 分かりません。
勝連って阿波と関連するの? @阿波 沖縄の凄い綺麗な海水浴場が阿波連ビーチって言うよ
関係あると思うなあ 高天原は鷹天原だと思うなあ
田川は鷹羽だったというし 阿波連は福建人の牛氏阿波連家が地名の由来で分家に阿波根家もある
徳島とは無関係 「式内社 阿波國名方郡 天佐自能和氣神社(あまさしのわけじんじゃ)」
御祭神 神皇産霊尊・高皇産霊尊・日子刺肩別尊・意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命
徳島県徳島市。吉野川の南岸、四国三郎橋の近くの堤防側にある。
現在の祭神は、四柱だが、もとは、日子刺肩別尊一柱。ついで、その母にあたる意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命も合せ祀り、さらに、二柱を後世に加えたと考えられている。
意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命は、孝霊天皇の第三夫人であり、日子刺肩別尊は、その第二子。
高志之利波臣・豊前之国前臣・五百原君・角鹿海直の祖とされている。
ちなみに、第一子は、大物主命の妻となった夜麻登々母々曾毘売命。第三子は、四道将軍の一人・大吉備津彦命。
すごい兄弟なのである。
神紋は、『式内社調査報告』には、菊紋とあり、境内の石碑にも菊紋が付いていたが、拝殿には鷹羽紋があった。 @阿波 勝連も福建人の久米勝連家がルーツ
福建からの入籍時の読みは阿波連がアバチン、勝連がカッチン >>794
スレチ過ぎんだろ
ここに書き込む理由がなさすぎる >>796
大有りだよ。
日子刺肩別尊は、豊前之国前臣の祖とされている。
神紋は、『式内社調査報告』には、菊紋とあり、境内の石碑にも菊紋が付いていたが、拝殿には鷹羽紋があった。 @阿波 >>797
豊前之国前臣なんて豊前側には一切登場しない吉備だけのキャラやんけ
論外すぎ >>799
また文盲病の発症かな?
吉備にしか名前のないキャラで豊前側の史料や伝承に豊前之国前臣なんてキャラは存在しないと指摘している。 ア〜ワキチファンタジ〜
そうさユ〜メだ〜けは〜
誰も〜う〜ばえない
こ〜ころの、翼だ・か〜ら〜 >>800
まあまあ、そういきらないの。
吉備も豊前も同じ「忌部はん」 なんだから。 本国倭国(阿波)に任せなさい。 ちゃんとお祀りしてあるから。 @阿波 >>802
屠殺業、葬儀業の一族「忌部」の下請け精肉屋・葬儀屋が○○ガスショップサービスよろしく勝手に「忌部」名乗っただけの阿波忌部でしょう? >>803
そういう君も「忌部はん」 の末裔なんだよ。 諦めなさい。 @阿波 ア〜ワキチファンタジ〜
そうさユ〜メだ〜けは〜
誰も〜う〜ばえない
こ〜ころの、翼だ・か〜ら〜 >>803
そういう君も「忌部はん」 の末裔なんだよ。 諦め給え。 ワハハハハ @阿波 ここのスレッドタイトルは「(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 」です。
スレッドタイトルと無関係な話題は専門スレッドでやりましょう。 高天原は鷹天原でいいの?
田川は鷹羽だったんだよね
香春町の前の山が香山
英彦山が高千穂 神紋は、『式内社調査報告』には、菊紋とあり、境内の石碑にも菊紋が付いていたが、拝殿には鷹羽紋があった。 @阿波
「式内社 阿波國名方郡 天佐自能和氣神社(あまさしのわけじんじゃ)」
御祭神 神皇産霊尊・高皇産霊尊・日子刺肩別尊・意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命 >>808
>高天原は鷹天原でいいの?
根拠なし
>田川は鷹羽だったんだよね
はい
>香春町の前の山が香山
はい
>英彦山が高千穂
根拠なし 鷹羽紋に菊が背乗りってことでしょうか?
伊勢信仰みたいな
私は高千穂だって鷹ちほと思ってますからね
勿論妄想ですけどね >>812
>鷹羽紋に菊が背乗りってことでしょうか?
いずれにせよ、天皇家ゆかりの地だからね、倭国(阿波)は。 @阿波 >>812
真っ向から否定するわけではないが、現状では根拠が乏しく、語呂合わせの域を出ていない。 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹いて
様々なスレを逃げ回り、あらためて妄想を書きなぐる 根拠が乏しい、わかりますけど・・
古代史全て根拠乏しいし
九州とくに福岡県の神社の古文書や巻物は
陸軍だか宮内省だかしらんけど
全部燃やされて、何の証拠が残るのかと。
いまだに伊都の都がツなのかトなのかですら揉めてるレベルで
何が正しいのか何がトンチンカンなのか
このままずっと永遠に判らずじまいで私のほうも
何にも知らないで死んでしまうわ
語学もない学校もでてない素人の古代史ファンだけど
はやく結果が知りたい本当のことが知りたい
べつに邪馬台国が島根だろうと群馬だろうと構わない
いつか本当のことが知りたい
古代の先人たちが命をかけて守って残してくれた美しい日本
私はこの美しい日本のことをもっと知りたい
もっともっと愛するために
今日は風呂入ってもう寝る >>816
> 九州とくに福岡県の神社の古文書や巻物は
> 陸軍だか宮内省だかしらんけど
> 全部燃やされて
何その陰謀論?詳しく教えて >>816
そこまでの情熱があるのに、何故自ら調べようと思わないのかが理解不能。 日本書紀など、イソシが怡土になったと書いているくらいだから、細かい音韻の差は意味がないね。 天皇はイトテを褒めて、「いそし」と言いました。
これから、イトテの本国を名付けて、伊蘇(いそ)の国と言うようになりました。
今、伊都と言うのは訛っているのです。
だそうだ。 >>822
まーた人のブログのコピペかよ本当に能がないんだな 糸島の伊都国は訛りなのか
九州弁のせいで伊都国に化けたというわけだな シサノヲのせがれは五十猛でイソタケルと読む
五十迹手をイトデ(テ)と詠ませるのは恣意的すぎる
迹を勝手に無音化してるのも恣意的
普通に古文をやってるやつならイソアトデないしイソアトテとしか読めないだろ >>825
ホンマやね
なんで五十をイトと読ませるんやろか
普通はイソだよな サイキバ(さかきばら事件のような人物)
が考えたんだよと言ってる人がいたでしょ
例えば『モバイオドキ』 五十狭城入彦=いさきいりひこ
五十瓊敷入彦=いにしきいりひこ
五十迹手=五十(い)迹(と)手(て)
普通に記紀を読み慣れていれば読める 十(ソ)は、何かの都合で発音するときとされないときがある。
五十猛はイソタケと読むが、
十(ソ)の次にサシスセソが来るときは、十のソはスキップされるようだ。
言い換えれば、十(ソ)だからといって、いつでもスキップされるわけではない。 『ザンボット』
『ビックリマン ヘラクライスト』
同じ存在でしょ、誰のことだと思う?日本人 万葉仮名
「と」・・・「等、登、跡、常、与、十、得、迹、鳥、共、騰、止、飛、澄、杼、砺」 家の老婆の話によると
伊達郡というところがあって・・・
と言っているんだけど >>830
倭迹迹日百襲媛=やまとととひももそひめ >五十鈴川も知らないバカが恥を晒したらしい
イソスズガワでは舌をかむから、訛ってイスズガワになっただけ。
訛りは憑き物。 「いがらし」には諸説あるが
元々は「いつがらし」で「つ」と同じ意味の「ケ」で代用されて
「いヶあらし」で「いがらし」という説がある
その説が正しければ 五十を「いつ」と読んだ時代があるという事になる >>814語呂合わせと思うか?
ところが英彦山の神社伝承には高千穂と書いてあるんだぜ
調べてみな
もし高千穂が[鷹ちほ]なら一気に話が進む >>846
イトと読むのが新しいという根拠がないのに何を言ってるんだ無能? イトと読むのが古いという根拠がないのに何を言ってるんだ無能?
仲哀記ではイソシだろ >>852
は?仲哀と神功は4世紀半ばだろ
3世紀に書かれた魏志倭人伝に伊都国と明記されてんだからイソよりイトの方が古いだろマヌケ だから、三世紀に書かれた「伊都国」はイツコクと読むんだよ。
それとも、三世紀に書かれた伊都国をイトコクと読む根拠はあるのかね。それが聞きたいのさ、、。 >>854
三国志の中で「都」を「ツ」と読む実例を挙げてみろよマヌケ >>853
そうそう
日本書紀は神功皇后を卑弥呼の時代に設定しているから、伊都の語源を述べたりしているけれど、実は神功皇后が4世紀だとバレているので、語源の話も創作だとわかってしまう。
神功皇后のところだけ、やけに語源の話が多いが、おそらくほとんどは創作、つまり嘘だと思う。 三国志の中で「都」を「ト」と読む実例を挙げてみろよマヌケ >>856
考察すべきは「なんのために」語源ストーリーを残さなければならなかったか?ではないかな?
くだんの伊蘇志も仲哀を出迎えたクマワニ(鏡・剣・玉)と神功を出迎えたイソトデ(玉・鏡・剣)の対比や
クマワニは讃えられず、イソトデは「よく勤し(伊蘇志)んだ」と讃えられたのか
なぜ芦屋から那ノ津に入る海路の水先案内人がイト国の者なのか >>857
どうしたキチガイw
実例見つけられなかったんだなwww >>857
無能wwwww
三國志卷一 魏志一武帝紀第一の五節目に何と書いてあるのか読み上げろよ無能wwwww 三國志卷一 魏志一武帝紀第一の五節目に倭の伊都国のことが出てくるのか?
中国本土の読みは全く参考にならぬぞ。
「倭国の伊都国」を倭人はどのように呼称していたかだ。 当時すでに硯もあった。
ということは、郡使い役人はもちろん、優れた倭人は文字を良く操っていたわけだ。 五十迹手と云ふと日本史初のホラ吹き「伊都都比古(本名:都怒我阿羅斯等)」と同定する研究者もいる 『古事記』では、「伊都二字は音を以(もち)いよ」などとの割注がついている。すなわち、わざわざ「イツ」と読めとあるね 都がtsuなら>>771が面白い
ツリハリ
ハリは地名か畑や水田ともおもえるし、
だいたい釣り針ぐらいで喧嘩しないでほしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています