(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島)
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資料の多い九州
邪馬台国卑弥呼や倭人について語ろう 勝連も福建人の久米勝連家がルーツ
福建からの入籍時の読みは阿波連がアバチン、勝連がカッチン >>794
スレチ過ぎんだろ
ここに書き込む理由がなさすぎる >>796
大有りだよ。
日子刺肩別尊は、豊前之国前臣の祖とされている。
神紋は、『式内社調査報告』には、菊紋とあり、境内の石碑にも菊紋が付いていたが、拝殿には鷹羽紋があった。 @阿波 >>797
豊前之国前臣なんて豊前側には一切登場しない吉備だけのキャラやんけ
論外すぎ >>799
また文盲病の発症かな?
吉備にしか名前のないキャラで豊前側の史料や伝承に豊前之国前臣なんてキャラは存在しないと指摘している。 ア〜ワキチファンタジ〜
そうさユ〜メだ〜けは〜
誰も〜う〜ばえない
こ〜ころの、翼だ・か〜ら〜 >>800
まあまあ、そういきらないの。
吉備も豊前も同じ「忌部はん」 なんだから。 本国倭国(阿波)に任せなさい。 ちゃんとお祀りしてあるから。 @阿波 >>802
屠殺業、葬儀業の一族「忌部」の下請け精肉屋・葬儀屋が○○ガスショップサービスよろしく勝手に「忌部」名乗っただけの阿波忌部でしょう? >>803
そういう君も「忌部はん」 の末裔なんだよ。 諦めなさい。 @阿波 ア〜ワキチファンタジ〜
そうさユ〜メだ〜けは〜
誰も〜う〜ばえない
こ〜ころの、翼だ・か〜ら〜 >>803
そういう君も「忌部はん」 の末裔なんだよ。 諦め給え。 ワハハハハ @阿波 ここのスレッドタイトルは「(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 」です。
スレッドタイトルと無関係な話題は専門スレッドでやりましょう。 高天原は鷹天原でいいの?
田川は鷹羽だったんだよね
香春町の前の山が香山
英彦山が高千穂 神紋は、『式内社調査報告』には、菊紋とあり、境内の石碑にも菊紋が付いていたが、拝殿には鷹羽紋があった。 @阿波
「式内社 阿波國名方郡 天佐自能和氣神社(あまさしのわけじんじゃ)」
御祭神 神皇産霊尊・高皇産霊尊・日子刺肩別尊・意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命 >>808
>高天原は鷹天原でいいの?
根拠なし
>田川は鷹羽だったんだよね
はい
>香春町の前の山が香山
はい
>英彦山が高千穂
根拠なし 鷹羽紋に菊が背乗りってことでしょうか?
伊勢信仰みたいな
私は高千穂だって鷹ちほと思ってますからね
勿論妄想ですけどね >>812
>鷹羽紋に菊が背乗りってことでしょうか?
いずれにせよ、天皇家ゆかりの地だからね、倭国(阿波)は。 @阿波 >>812
真っ向から否定するわけではないが、現状では根拠が乏しく、語呂合わせの域を出ていない。 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹いて
様々なスレを逃げ回り、あらためて妄想を書きなぐる 根拠が乏しい、わかりますけど・・
古代史全て根拠乏しいし
九州とくに福岡県の神社の古文書や巻物は
陸軍だか宮内省だかしらんけど
全部燃やされて、何の証拠が残るのかと。
いまだに伊都の都がツなのかトなのかですら揉めてるレベルで
何が正しいのか何がトンチンカンなのか
このままずっと永遠に判らずじまいで私のほうも
何にも知らないで死んでしまうわ
語学もない学校もでてない素人の古代史ファンだけど
はやく結果が知りたい本当のことが知りたい
べつに邪馬台国が島根だろうと群馬だろうと構わない
いつか本当のことが知りたい
古代の先人たちが命をかけて守って残してくれた美しい日本
私はこの美しい日本のことをもっと知りたい
もっともっと愛するために
今日は風呂入ってもう寝る >>816
> 九州とくに福岡県の神社の古文書や巻物は
> 陸軍だか宮内省だかしらんけど
> 全部燃やされて
何その陰謀論?詳しく教えて >>816
そこまでの情熱があるのに、何故自ら調べようと思わないのかが理解不能。 日本書紀など、イソシが怡土になったと書いているくらいだから、細かい音韻の差は意味がないね。 天皇はイトテを褒めて、「いそし」と言いました。
これから、イトテの本国を名付けて、伊蘇(いそ)の国と言うようになりました。
今、伊都と言うのは訛っているのです。
だそうだ。 >>822
まーた人のブログのコピペかよ本当に能がないんだな 糸島の伊都国は訛りなのか
九州弁のせいで伊都国に化けたというわけだな シサノヲのせがれは五十猛でイソタケルと読む
五十迹手をイトデ(テ)と詠ませるのは恣意的すぎる
迹を勝手に無音化してるのも恣意的
普通に古文をやってるやつならイソアトデないしイソアトテとしか読めないだろ >>825
ホンマやね
なんで五十をイトと読ませるんやろか
普通はイソだよな サイキバ(さかきばら事件のような人物)
が考えたんだよと言ってる人がいたでしょ
例えば『モバイオドキ』 五十狭城入彦=いさきいりひこ
五十瓊敷入彦=いにしきいりひこ
五十迹手=五十(い)迹(と)手(て)
普通に記紀を読み慣れていれば読める 十(ソ)は、何かの都合で発音するときとされないときがある。
五十猛はイソタケと読むが、
十(ソ)の次にサシスセソが来るときは、十のソはスキップされるようだ。
言い換えれば、十(ソ)だからといって、いつでもスキップされるわけではない。 『ザンボット』
『ビックリマン ヘラクライスト』
同じ存在でしょ、誰のことだと思う?日本人 万葉仮名
「と」・・・「等、登、跡、常、与、十、得、迹、鳥、共、騰、止、飛、澄、杼、砺」 家の老婆の話によると
伊達郡というところがあって・・・
と言っているんだけど >>830
倭迹迹日百襲媛=やまとととひももそひめ >五十鈴川も知らないバカが恥を晒したらしい
イソスズガワでは舌をかむから、訛ってイスズガワになっただけ。
訛りは憑き物。 「いがらし」には諸説あるが
元々は「いつがらし」で「つ」と同じ意味の「ケ」で代用されて
「いヶあらし」で「いがらし」という説がある
その説が正しければ 五十を「いつ」と読んだ時代があるという事になる >>814語呂合わせと思うか?
ところが英彦山の神社伝承には高千穂と書いてあるんだぜ
調べてみな
もし高千穂が[鷹ちほ]なら一気に話が進む >>846
イトと読むのが新しいという根拠がないのに何を言ってるんだ無能? イトと読むのが古いという根拠がないのに何を言ってるんだ無能?
仲哀記ではイソシだろ >>852
は?仲哀と神功は4世紀半ばだろ
3世紀に書かれた魏志倭人伝に伊都国と明記されてんだからイソよりイトの方が古いだろマヌケ だから、三世紀に書かれた「伊都国」はイツコクと読むんだよ。
それとも、三世紀に書かれた伊都国をイトコクと読む根拠はあるのかね。それが聞きたいのさ、、。 >>854
三国志の中で「都」を「ツ」と読む実例を挙げてみろよマヌケ >>853
そうそう
日本書紀は神功皇后を卑弥呼の時代に設定しているから、伊都の語源を述べたりしているけれど、実は神功皇后が4世紀だとバレているので、語源の話も創作だとわかってしまう。
神功皇后のところだけ、やけに語源の話が多いが、おそらくほとんどは創作、つまり嘘だと思う。 三国志の中で「都」を「ト」と読む実例を挙げてみろよマヌケ >>856
考察すべきは「なんのために」語源ストーリーを残さなければならなかったか?ではないかな?
くだんの伊蘇志も仲哀を出迎えたクマワニ(鏡・剣・玉)と神功を出迎えたイソトデ(玉・鏡・剣)の対比や
クマワニは讃えられず、イソトデは「よく勤し(伊蘇志)んだ」と讃えられたのか
なぜ芦屋から那ノ津に入る海路の水先案内人がイト国の者なのか >>857
どうしたキチガイw
実例見つけられなかったんだなwww >>857
無能wwwww
三國志卷一 魏志一武帝紀第一の五節目に何と書いてあるのか読み上げろよ無能wwwww 三國志卷一 魏志一武帝紀第一の五節目に倭の伊都国のことが出てくるのか?
中国本土の読みは全く参考にならぬぞ。
「倭国の伊都国」を倭人はどのように呼称していたかだ。 当時すでに硯もあった。
ということは、郡使い役人はもちろん、優れた倭人は文字を良く操っていたわけだ。 五十迹手と云ふと日本史初のホラ吹き「伊都都比古(本名:都怒我阿羅斯等)」と同定する研究者もいる 『古事記』では、「伊都二字は音を以(もち)いよ」などとの割注がついている。すなわち、わざわざ「イツ」と読めとあるね 都がtsuなら>>771が面白い
ツリハリ
ハリは地名か畑や水田ともおもえるし、
だいたい釣り針ぐらいで喧嘩しないでほしい いや、古事記の「〜字以音」は音を当てただけで漢字に意味はないって説明だろ ホラ吹き「伊都都比古イツツヒコ?(本名:都怒我阿羅斯等ツヌガアラシト?)」と同定、、、 >>870
万葉仮名で読むんだよ
万葉仮名では「都」は「つ」
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/kana/1ran.htm 此処、根拠厨の来るところじゃないんだけどねえ、、、 万葉仮名でなかったら、都怒我阿羅斯等がトヌガアラシトになってしまう。 だんだんツのような気がしてきた
大発見だな
傍観者1 >>877
額にツノという前置きがあるだろうマヌケ 倭人から聞き取った地名に音を当てた魏志倭人伝の「伊都國」が最古の表記。
当然、記紀や風土記に登場する「伊都國」も魏志倭人伝に準じたもの。
古事記に於いても「此二字以音」とあり「伊」と「都」は当て字であり漢字のチョイスに意味はない。
三国志全文に於いて「都」をツと発音しない以上、イツと読む可能性はゼロと断言できる。 >>881
これに反論できるだけの根拠はないだろうな 当時の発音は「つ」というより「トゥ」だったんじゃないか? カールグレンの字典引いたら
都は
Tag
イツじゃなくて
イタ
だね。 >>881
おいちょっと待てよ、
魏志倭人伝の伊都がイトとするじゃん?
>>877
奈良時代には伊都と書いてイツとしたら、
イソシがなまってイツであると読まないとつじつまが合わん
倭人伝の伊都と記紀の伊都って全然違う場所を指してるってことにならんのかこれ? イソシの話がそもそも創作なんだよ。
神功皇后の実年代は4世紀だと推察されているが、3世紀には伊都の名はすでにあったわけだから。 いつから国や村の始まりができたのだろう
いつから神や信仰心がでてきたのだろう
私は古事記や書記よりずっと前から九州の人達が
お互いに助け合いながら大自然に住んでいたと
おもう
そのなかでこっちは蛇信仰、あっちは太陽信仰、
ほかにも鮫や鷹や山だったり
みんなに恐れられたり崇められたり・・
そんなに簡単な話ではない。
弥生時代は九州を起点に稲作文化が広まるが、それには灌漑、暦法などを操る指導者層が必要になる。
身分社会、王権の成立が弥生時代だ。
筑紫を中心とする倭国が成立し、内行花文鏡など三種の神器を用いた神道の様式が整ってゆく。 >>889 名前:日本@名無史さん 2019/05/30(木) 08:24:18.27
>イソシの話がそもそも創作なんだよ。
>神功皇后の実年代は4世紀だと推察されているが、3世紀には伊都の名はすでにあったわけだから。
その通りだけど、問題はその伊都国の在った場所が未解明・未確定なことだ。 >>892
>筑紫を中心とする倭国が成立し、
妄想に過ぎない。
>内行花文鏡など三種の神器を用いた神道の様式が整ってゆく。
三種の神器(勾玉・鉄剣・鏡)も 神道も「忌部はん」 の専売特許。 @阿波 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています