(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島)
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資料の多い九州
邪馬台国卑弥呼や倭人について語ろう >>889 名前:日本@名無史さん 2019/05/30(木) 08:24:18.27
>イソシの話がそもそも創作なんだよ。
>神功皇后の実年代は4世紀だと推察されているが、3世紀には伊都の名はすでにあったわけだから。
その通りだけど、問題はその伊都国の在った場所が未解明・未確定なことだ。 >>892
>筑紫を中心とする倭国が成立し、
妄想に過ぎない。
>内行花文鏡など三種の神器を用いた神道の様式が整ってゆく。
三種の神器(勾玉・鉄剣・鏡)も 神道も「忌部はん」 の専売特許。 @阿波 >>895
阿波説は逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 はい、次の方 どうぞ。 @阿波 >>892
>筑紫を中心とする倭国が成立し、
丹の採れないところに倭国は成立しない。 @阿波 末廬國から東南陸行五百里で伊都國に至るんやろ。
現在の糸島市前原以外にあり得へんやん。 >>902
現在の糸島市前原は、あり得へんやん。 @阿波 >>904
丹の採れないところに倭国は成立しない。 @阿波 >>905
その理屈だと壱岐対馬を始めとする九州全域が倭国じゃなくなっちまうな(笑) まぁ魏代の「丹」が何を指すのかも分かってないからな。 丹は赤い顔料のことっちゃんね説
丹は辰砂以外にありえんじょ説
丹は赤土に決まっとるやんけ説 >>907
今はね。
ただ五世紀より以前に採掘していた痕跡がない 南朝梁·萧统《文选·左思〈吴都赋〉》:“赪丹明玑。”李善注:“丹,丹砂也。”古代用作染色的颜料。
http://www.baike.com/wiki/%E4%B8%B9&prd=button_doc_entry >>910
痕跡なんて、構成の撹乱で容易に消えてしまう。 >>906
>その理屈だと壱岐対馬を始めとする九州全域が倭国じゃなくなっちまうな(笑)
この人、なに勘違いしてるの? はなから、九州全域、倭国じゃないよ。 @阿波 やっぱり阿波は脳内が完全にお花畑だってことが分かった >>909
「やんけ」は関西弁だよな
「ちゃんね」は博多弁?
「じょ」はどこの訛り? >>916
> 「じょ」はどこの訛り?
倭国(阿波)。 @阿波 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹いて
様々なスレを逃げ回り、あらためて妄想を書きなぐる 倭国大乱
あまり議論されないけど
ここに秘密がある気がする
まず、なぜ大乱になったのか
詳しい人がいたら教えてください。 倭国大乱なんて
魏志倭人伝で48文字、後漢書東夷列傳で43文字しか書かれとらんのやで
書かれてる以上のことは全て妄想になってしまうんやから議論の余地なんかないやろ 要するに、先住の渡来人グループと
後来の渡来人グループの出入り抗争事件ということだろう。
大陸(ないし半島)の混乱の延長戦であり、それがおさまったのも、これまた大陸の影響と考えれば良いのではないか。
ということは・・・、 >>919
高良玉垂命が高木神の領地である高良山を占領した >>919
倭国大乱の前の男王が日向三代なら、神武たちが筑紫を出るきっかけとなったのが倭国大乱であったということになる。
ただ、記紀にも詳しい理由はない。
もっと良い政治をしようと思った、東で饒速日が王国建設に成功していた、などが書かれているが、三代に渡って君臨した王都であった筑紫を捨てる理由としては薄く、実は内乱が収まらなかったからではないか。 >>921
また気持ちの悪い妄想をおっ始めやがったなwww つまり、博多地方・田川地方の新羅系先住渡来種族の王であったスサノオは、
新来の邪馬台国勢力とは不倶戴天の敵・・・
これ邪馬台国の怪談なww >>925
でた新羅系先住渡来種とかいうトンスルファンタジアwww スサノヲは、天照に肘鉄くらわされて、出雲に安住の地を見つけた。
その出雲は新羅種族の国としてしられる。。(尤も、出雲大社や島根県はそれに触れたがらないけれど・・・) 安本先生は、田川に安住の地を見出したのではなかったかな。。。 スサノオは新羅に行って帰ってきたけれど、だからといってスサノオが新羅族なわけではない。 神功皇后っていたの?
身重で三韓征伐とか行けるか? スサノヲとその息子は天降るときに持参した草木の種を新羅に植えるのを惜しみ
泥舟で逃げ出すほど新羅後を嫌ってた
そんなスサノヲがなぜ新羅系wwwww 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカマ先生)
海人族スレでは摂津チョンコ
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹き、様々なスレを逃げ回る
しばらくすると記憶喪失を発動させて懲りずに妄想を書きなぐるが、読解力に乏しく、
また思考に一貫性がないのでアルツハイマーの可能性が高い >>931
船に乗っていただけだから。
いなかったという根拠がないし、応神天皇が不倫の子だとなると皇室にとっては嫌な話だが、有名すぎたので載せないわけにもいかなかったのだろう。 >>935
色んな憶測できて楽しい人物ではあるけど、本当に不都合な事実があったとしたら
仮に四世紀の人物だとして400百年後の人が隠蔽できないわけはないと思うんだよな
神功が不都合なら全て厨愛の仲哀にすりゃ良かっただけだし
アホは「そんな簡単に忘れられるものではない。キリッ」とか言うけど
平均寿命75歳オーバーの俺たちだってせいぜい聞けるリアル昔話は100年前程度
そう考えれば神功の存在が特に皇室(天武)にとって何も不都合がなかったんだろ 記紀が編纂されていた頃には、他にも複数の史書があり、もっと細かくいろいろ書かれていたのかも知らない。 >>937それがしりたい
どうして大乱になったのか
大乱後は元の土地に住めたのか移住したのか
いろいろ知りたい 寒冷化であれば、そのうちに証明されるかもだが、寡聞にしてそのような証拠は見つかっていない。
後漢の乱世の影響とも考えられるかも知れない。 >>940
>寒冷化であれば、そのうちに証明されるかもだが、寡聞にしてそのような証拠は見つかっていない。
倭国乱の原因は、弥生の大洪水によるものだよ。
その証拠は
この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。 @阿波 田川の銅山を取り合ったのが倭国大乱
伊田の人は糸島へ疎開した
ちなみに証拠はない この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。
その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、一部で大柿遺跡の棚田がみられるが、縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせるらしい。
弥生時代前期中葉に大規模化した灌漑水田稲作経営は、災害の影響もあって一段落したものと考えられている。
土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。
徳島大学 中村 豊 教授 祈祷文だったという説
ひふみよいむなや こともちろらね
しきるゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえにさりへて のますあせゑほれけん
ぜんぜん意味がわからん
ひふみよいむなやこと→12345678910あってる?
だれか詳しい人教えてください。 宮崎康平さんのまぼろしの邪馬台国
島原説はどう評価されてるの? _人人人人人人人人人人人人人人人_
> チョンコロがいるぞ殺せ!! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
倭人
三 ( ´・ω)
三 ー(‐∪─→
三 / ̄ ̄ ̄ 》  ̄\
三三 | ナウマン象U ・ | 死にたくないニダ!!!
三 と| ι| | 三┏<;`Д´ >┛
三 /_∧∨ ̄ ̄/_∧U 三 ┛ ┓ ´ ヾ
゛ (⌒) ヽ
((、´゛))
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マスター、このスレの奴らにはトンスルは一切やらないで!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ | ∠|
(゜\./,_ ┴./゜ノ(
\ \iii'/ /,!||!ヽ
/V,,ニ..,ニ、、 ノ( \
\ヽY~~/~y} `/~,/ ∧ ∧
| ,k.,.,!,.,.,r| ,! く / `ー一′丶
<ニニニ'ノ \/ : : :: :: :::::ヽ
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____ \=::|. i 、 : ::::|____
{'〜:;} \ | ..::| : :::|::::::|;;;|
{_.:;}.... \ : :::| : :::|::::::|;;;| チョンコロキナイコシ三種の神技
記憶喪失(論破されても半日で忘れる)
文盲病(前後の文脈や論の大局を読めない)
チョンコロ目(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る) 面白いと興味もったところ
宮崎康平さんも真鍋大覚も
巴利(はり)を朝倉方面
投馬を天草と言ってるところ
投馬国から邪馬台国へ繋がらないだろうか
天草なら未発見手付かずの古墳があると思う いにしえの田川の国と
近江国は同じルーツかも知れん
近江の熊野を田川の英彦山と同じとおもえば
すぐ近くに伊都があったとも思える ┏━━┓ ┏━┓┏┓┏━━━┓
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┗┛ ┗━┛ ┗━━━━━━━┛┗┛┗┛┗┛ ┗━┛ ┗┛ ┗━━┛ ┗┛ 阿波チョンと畿内チョンが来ないと過疎化が止まらんな 侏儒国が奄美大島
わかりやすい部分で
日本書紀斉明3年にトカラと海見島(あまみしま)とある
海見島→奄美あまみ
もしかしたら(倭人伝の頃の女王国として)
邪馬台国は
天草の上島(上妻が訛った?)か
宇土半島かも 安徳台はなんで調査しないん
安徳台→平原公園が有力なのに >>962
>那珂川町の歴史資料館は凄いな
倭国(阿波)の」「長国」=「那賀川が元祖だね。 @阿波 宇治の平等院
もともとは、太宰府の宇治川の近くにあった 奈良大仏の土台には
宇佐の小椋山にあった阿弥陀如来の大仏が隠されている
大仏の銅は田川の銅山から供給して大仏を作った なんとなく小倉百人一首を見てみた
柿本人麿、彼は古代の邪馬台国や倭国について知っているんだろうなあ
中納言家持、歌に鵲(カササギ)を読んでいる。倭人伝の鵲無しと関係ないかな
安倍仲麿、春日に三笠とか興味深い地名の歌を読んでいる
小倉百人一首に何かのヒントないかなあ
万葉集みたいに
誰も興味ないか・・・ 後漢書倭伝の「無牛馬虎豹羊鵲」への注(「鵲」或作「?」)も不思議ではある シンプルに後漢書の編纂者が参考とした魏志倭人伝の「無鵲」の意図を汲み取れなかっただけだと思われ 邪馬台国=バチカン市国
(元?倭国)=ローマ
女王国=ラツィオ州
伊都国=ソラーノ
狗奴国=カンパニア州
倭国=イタリア >>974
それを書くなら
邪馬台国=バチカン市国
([旧]奴国)=ローマ
女王国=ラツィオ州
伊都国=ソラーノ
狗奴国=カンパニア州
倭国=イタリア
じゃないか? 春過ぎて夏来(きた)るらし白妙(しろたへ)の衣乾(ころもほ)したり天(あま)の香具山(かぐやま)
この歌は田川郡の香春岳をよんだもの
異論ある方どうぞ 太古の時代
始めて鏡をみた人は何と思ったのだろうか
太陽を反射して眩しい不思議と思ったのだろうか
鏡に写る顔を誰と思ったのだろうか
落語に「松山鏡」という噺があるんだけど
古代の人なら、尚更鏡の自分を理解出来なかったと思う
鏡が普及してきてからは一気に理解されただろうけど
紀元前の書物「周礼」より
司こう氏は、夫遂を用いて日から明火をとり、
鑑を用いて月から明水をとることを掌る
と書いてある
古代中国では、凹面鏡を夫遂、凸面鏡を鑑(水鏡)と区別していた
オリンピックの聖火をギリシアで白い服装の女性が火をおこすでしょ
あの火をおこすのは凹面鏡、円周8尺位あるかなあ
もしかしたらもしかして
聖火の点火と同じことを卑弥呼はしてたんじゃないかな
時代と共に鏡の使われ方もかわって、
凹面鏡から凸面鏡が主流となり、凹面鏡は忘れ去れ
あー時間がない、また今度 倭人伝は短期の見聞録ではない
長期にわたる倭国の伝聞と短期の旅行記をまとめているだけ
不老長寿の蓬莱山や薬なんてないのに
国々の距離にこだわり杉 >(吉備の内側削りで薄く仕上げる)庄内式・布留式土器
器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法は、阿波の「東阿波型土器」が元祖だよ。 @阿波 「其山有丹」でも阿波。 「橘」でも阿波。 「楠」でも阿波。 なにがどう転んでも、阿波。 @阿波 『和名抄』 阿波国板野郡の郷名に「田上」がある。 阿波の田上郷は鳴門市大麻町坂東に比定されている。
この郷の民の一部を記した延喜2年の「田上郷戸籍断簡」が遺っている。23氏487口の名簿である。
この「田上郷戸籍断簡」の中には、帰化人系の氏である「服部(はとりべ)」、「錦部(にしきべ)」、「漢人(あやひと)」、「秦(はた)」が見える。
このうち漢人(あやひと)を除く三氏はすべて衣手(職業集団)である。
この「田上郷戸籍断簡」により、倭国(阿波)に半島帰化人が来ていた事実が分かる。 @阿波 そもそも、卑弥呼のような大王墓は奈良盆地や福岡平野のような平地なんぞに築かない。 神は山稜に宿るもの。
ましてや、前方後円墳など何をか言わんや 無礼極まる話である。 板野命婦」(いたののみょうぶ)
生年:生没年不詳。
奈良時代の女官。粟凡直国造若子とも。 外従五位下。 藤原房前の七男 楓麻呂を出産。
阿波国板野郡貢上の采女で,光明皇后の御所に仕え、写経事業のための経典貸借などの責任者として活躍し、造東大寺司との連絡係などを務めた。
出家し、尼となった。 <参考文献>『正倉院文書』、「板野命婦」(『角田文衛著作集』5巻)
「板野命婦」も8世紀の奈良遷都に伴い、天皇家に付き従い、阿波国板野郡から奈良の都へ移住したとみられる。 @阿波 【祓詞】
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」
倭国(阿波)の「竺紫(とくし)」で、倭国(阿波)の「阿波岐原」
高らかに、倭国(阿波)を讃えている。 阿波 奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。
ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。
それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。 @阿波
阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。