鎌倉幕府が存続してたらどんな社会になっていた?
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日本の交通は鎌倉が中心になってるから
当然日本国道路元標は鶴岡八幡宮 そして政治と交通の中心が鎌倉であるように
経済と文化の中心が京都になってた そういえばなんで武蔵野の開発が進んでなかったんだ? このままいくと神奈川の人口が東京を超えて鎌倉時代復活 武蔵野と香取海が貴重とされて
ユネスコ自然遺残に認定されていた 西国に鉄砲が到達したら西国で謀反がおきて滅ぼされてそう 鎌倉幕府って陰謀はさておいて結構強力で安定した政権だったな
すくなくとも室町よりはマシ 得宗・御内人の勢力がさらに増大する一方、鎌倉幕府の形骸化が進んだと思う。
鎌倉幕府の求心力がなくなって、御家人・悪党はどこかで離反することになる。
得宗・御内人が御家人・悪党を制圧できれば、得宗体制(+形骸化した鎌倉幕府)は
維持できたと思うが、制圧に失敗すれば、史実のように劇的に崩壊したと思う。 鎌倉は手狭であり、荒波の太平洋も港湾機能の維持が難しい
江戸へ本拠を移し、江戸時代と呼ばれるようになっただろう キャバクラへ行こうとするときに、いざ鎌倉、と言うのが流行るだろう 縄文時代が存続していたらどんな社会になっていた?
数千年前の社会が体験できるとして世界中の観光客が押し寄せる
近隣の韓国、中国あたりの人間が観光案内や宿泊業者として落とされるカネをかき集める 天皇は滅びて
北条家が新たな天皇家になっていただろうな
というか普通に天皇の男系子孫だし 鎌倉時代の末期には、北条氏本家(得宗)とその家臣団(御内人)の権力と
財力が強くなっていた。その一方、御家人は離反して鎌倉屋敷を引き払って
所領へ引き上げる御家人が増加していた。
楠木正成など、鎌倉幕府に統制されない武士も台頭していた。
だから、鎌倉幕府が存続したとしても、反乱や紛争は多発し、次第に戦乱の
時代に入っていったと考えられる。 幕府は事実上は存続していて店舗が増えたと考えること。 >>29
1322年(元亨2年)正成は北条高時の命により摂津渡辺党・紀伊国安田庄司湯浅氏・大和国越智氏を撃っている。正成御家人説。 アメリカみたいな訴訟社会になってた
とにかく土地をめぐってまず訴訟みたいな社会だったから 徳川は一族である尾張徳川家や譜代の井伊が寝返ったが
北条で一族が寝返った例ってあったか? 新田義貞「集まれぇ!」→200人
千寿王「あちゅまれ☺」→30000人 >>38
親父より集めてる。尊氏が丹波篠村で反旗を翻した時23000。 >>40
千寿王も義貞と合流するまでは200しか集めてなかったじゃないか。
義貞はその頃越後新田党2000と信濃源氏や甲斐源氏など5000を集めている。 鎌倉幕府は悪党はもちろん、御家人たちも統制できなくなる
一方で、得宗や御内人の勢力は強くなり、得宗被官になる武士も増える
鎌倉幕府が存続したとしても、この分裂は避けられない
長期の戦乱になるだろう 元寇の報復で倭寇と連帯して元と高麗の崩壊滅亡が早まる。 朝鮮の冬の厳しさは北海道以上
高麗に侵攻してたら凍死者がでて失敗してた 鎌倉幕府が続いていたら、東国と西国で分裂してただろう
北海道の開拓は早まったかもね 幕府より西洋の制度かなあと思うけど、幕府の実体は実は存続しているのでは。
天皇の政権も存続しているのだから。 >>55
大和大神氏の末裔とか日下部氏の末裔とか言われてるね。 >>50
朝廷だよ
「鎌倉」幕府は東国(武士)の東国による東国のための政権だからな。
東西が一つになるのは江戸幕府からだ。 >>57
北條が義貞を倒して尊氏が東国を追われたのね。で尊氏は後醍醐から新しい領地をもらったのね。
それか楠木・赤松・名和の悪党連合で六波羅を落とし、菊池一手で九州を落としたのね。 まじで高麗に攻め込んでたら征服はできていたんだろうか? 鎌倉幕府は16世紀半ばまでは何とか存続する。しかし、結局は乱世となることは不可避であった。
やがて、その乱世を収める一人の英雄が現れる。
益田四郎時貞である。 鎌倉幕府に敵対する勢力
・足利氏のような幕政からは遠いが家柄・実力ともにある御家人
・幕府から疎外された御家人
・御家人社会の外縁にある悪党
・後醍醐天皇のようなイデオロギー的な倒幕勢力
上記の勢力から防ぎきるのは容易ではないと思う。 >>68
尊氏が後醍醐が隠岐から脱出して伯耆船上山に篭った時その時に撃っ手の大将の1人として西へ向かわされ無かったらどうなっていただろうか? 尊氏が離反したとき、多くの武士が尊氏に従ったのは、潜在的に多くの武士が
鎌倉幕府への忠誠・親近感を失っていたことを示している。尊氏の離反は
きっかけに過ぎない。
北条氏の覇権は盤石に見えて、いつでも短期に瓦解する下地はすでにあった
のではないだろうか? 飾りでも源氏将軍が続いていたらとは思うな
それだと >>70
尊氏は鎌倉で兵を挙げることはできたかな? 六波羅も鎌倉から左遷された奴らが行くとこだったんだろ 北条が独裁に走ってしまったのは欲望や傲慢からなのか?
それともそうしなければ北条自身が生き残れないからそうするしか無かったのか? >>74
末期は御内人の欲望や傲慢。
歴代の執権は善政を敷いてたと思うけど。
滅びる時は一瞬だったな。 鎌倉幕府上層部で争い事があるたびに
大して話し合いもせずに武力で相手を滅ぼして解決していたんだろ?
こんな超武断・超恐怖政治がいつまでも通用するはずがない 仮に尊氏を京都に上洛させなかった場合赤松・楠木・名和だけで六波羅は落とせたかな?
六波羅を落とせたとし新田が挙兵して尊氏が内応した場合鎌倉幕府を打倒できたかな? 御成敗式目という法律ができたんだから
もう時政時代の様な暗黒武断陰謀粛清政治は終わってたんだよ いや。弘安年間の霜月騒動で安達家を粛正するまで続く… >>48
たかだか数百名の倭寇に万単位の軍を送って討伐できず
壱岐や五島、対馬の船主と呼ばれる海賊の頭目たちに官位を与えて懐柔して代わりに討伐させるという搦手に出てるじゃん
まぁコイツ等自身が倭寇やってたのだから全然根本的な解決になってないんだけどね >>74
北条氏に権力・富が集中したのは、得宗(執権)個人の欲望以上に、一門・御内人の
要求が大きかったと思う。
御内人にすれば、鎌倉幕府全体のバランスを欠いたとしても、主家の北条氏が
大きくなったほうが、自分たちの生活・社会的地位は上がる。
だが、その反動として、御家人は鎌倉幕府への忠誠を失い、鎌倉幕府は危機に対して
脆弱になっていく。 善政を敷くことしか権力の正当性がないからな北条氏は。貴種性のない在庁官人の出身だし。頼家か実朝の子どもを保護しときゃよかったのに、根絶やしにしてるし。 ならば自分が貴種になればよい
北条家が天皇家とるのだ
皇位簒奪じゃ 武士が皇室の藩屏である源氏平氏に囚われている時点で天皇簒奪は難しい 頼朝のは独立国でないからな。将門のは懷良親王の九州独立国に近い。 義朝、頼朝の配下には関東独立派の上総広常や大御家人の千葉常胤などの将門の由来の子孫がいるからな。東国自治の悲願は頼朝が叶えた。 鎌倉幕府が存続していたら、西日本や朝廷を押さえるために、政権を京都へ移転
していたのではないか?
そうなると、親王将軍ではなく、天皇を擁立してその補佐・代行をするという
やり方のほうがふさわしくなると思う。 >>99
北条が摂関?または摂関も傀儡で北条は蔵人頭あたり。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています