鎌倉幕府が存続してたらどんな社会になっていた?
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>>55
大和大神氏の末裔とか日下部氏の末裔とか言われてるね。 >>50
朝廷だよ
「鎌倉」幕府は東国(武士)の東国による東国のための政権だからな。
東西が一つになるのは江戸幕府からだ。 >>57
北條が義貞を倒して尊氏が東国を追われたのね。で尊氏は後醍醐から新しい領地をもらったのね。
それか楠木・赤松・名和の悪党連合で六波羅を落とし、菊池一手で九州を落としたのね。 まじで高麗に攻め込んでたら征服はできていたんだろうか? 鎌倉幕府は16世紀半ばまでは何とか存続する。しかし、結局は乱世となることは不可避であった。
やがて、その乱世を収める一人の英雄が現れる。
益田四郎時貞である。 鎌倉幕府に敵対する勢力
・足利氏のような幕政からは遠いが家柄・実力ともにある御家人
・幕府から疎外された御家人
・御家人社会の外縁にある悪党
・後醍醐天皇のようなイデオロギー的な倒幕勢力
上記の勢力から防ぎきるのは容易ではないと思う。 >>68
尊氏が後醍醐が隠岐から脱出して伯耆船上山に篭った時その時に撃っ手の大将の1人として西へ向かわされ無かったらどうなっていただろうか? 尊氏が離反したとき、多くの武士が尊氏に従ったのは、潜在的に多くの武士が
鎌倉幕府への忠誠・親近感を失っていたことを示している。尊氏の離反は
きっかけに過ぎない。
北条氏の覇権は盤石に見えて、いつでも短期に瓦解する下地はすでにあった
のではないだろうか? 飾りでも源氏将軍が続いていたらとは思うな
それだと >>70
尊氏は鎌倉で兵を挙げることはできたかな? 六波羅も鎌倉から左遷された奴らが行くとこだったんだろ 北条が独裁に走ってしまったのは欲望や傲慢からなのか?
それともそうしなければ北条自身が生き残れないからそうするしか無かったのか? >>74
末期は御内人の欲望や傲慢。
歴代の執権は善政を敷いてたと思うけど。
滅びる時は一瞬だったな。 鎌倉幕府上層部で争い事があるたびに
大して話し合いもせずに武力で相手を滅ぼして解決していたんだろ?
こんな超武断・超恐怖政治がいつまでも通用するはずがない 仮に尊氏を京都に上洛させなかった場合赤松・楠木・名和だけで六波羅は落とせたかな?
六波羅を落とせたとし新田が挙兵して尊氏が内応した場合鎌倉幕府を打倒できたかな? 御成敗式目という法律ができたんだから
もう時政時代の様な暗黒武断陰謀粛清政治は終わってたんだよ いや。弘安年間の霜月騒動で安達家を粛正するまで続く… >>48
たかだか数百名の倭寇に万単位の軍を送って討伐できず
壱岐や五島、対馬の船主と呼ばれる海賊の頭目たちに官位を与えて懐柔して代わりに討伐させるという搦手に出てるじゃん
まぁコイツ等自身が倭寇やってたのだから全然根本的な解決になってないんだけどね >>74
北条氏に権力・富が集中したのは、得宗(執権)個人の欲望以上に、一門・御内人の
要求が大きかったと思う。
御内人にすれば、鎌倉幕府全体のバランスを欠いたとしても、主家の北条氏が
大きくなったほうが、自分たちの生活・社会的地位は上がる。
だが、その反動として、御家人は鎌倉幕府への忠誠を失い、鎌倉幕府は危機に対して
脆弱になっていく。 善政を敷くことしか権力の正当性がないからな北条氏は。貴種性のない在庁官人の出身だし。頼家か実朝の子どもを保護しときゃよかったのに、根絶やしにしてるし。 ならば自分が貴種になればよい
北条家が天皇家とるのだ
皇位簒奪じゃ 武士が皇室の藩屏である源氏平氏に囚われている時点で天皇簒奪は難しい 頼朝のは独立国でないからな。将門のは懷良親王の九州独立国に近い。 義朝、頼朝の配下には関東独立派の上総広常や大御家人の千葉常胤などの将門の由来の子孫がいるからな。東国自治の悲願は頼朝が叶えた。 鎌倉幕府が存続していたら、西日本や朝廷を押さえるために、政権を京都へ移転
していたのではないか?
そうなると、親王将軍ではなく、天皇を擁立してその補佐・代行をするという
やり方のほうがふさわしくなると思う。 >>99
北条が摂関?または摂関も傀儡で北条は蔵人頭あたり。 六波羅探題を置いていたが、その六波羅探題が攻略されるところから鎌倉幕府は
崩壊に向かった
ならば、幕府を京都に置いて、鎌倉に出先機関を置くという方針に代わる
可能性もある 鎌倉を譲った恩人直方の子孫であれば源氏将軍にマウント取れるから平氏名乗りました >>102
まかり間違えて尊氏が京都で戦死するようなことがあり幕府が六波羅探題の防衛に成功するが、義貞は鎌倉を攻略して北条一族を追い落としていたらどうなるだろうね。 >>114
六波羅探題が残れば、幕府側が朝廷を抑えることになるので、抗戦できると思う。
また、六波羅探題を守り切れば、その情報は関東にも伝わって、関東武士たちが
「幕府側有利」と見て、幕府側に味方し、鎌倉の防衛にも成功する可能性がある。
うまくいけば、分倍河原で新田軍を撃退できるのでは? 徳川家康は江戸に江戸幕府を開く事前準備として
鎌倉幕府公式史書の吾妻鏡を熟読し分析研究してたのは有名 徳川家康が「吾妻鏡」を読めたのは、漢文の学力があったからだね
戦国武将の中では、家康は相当な教養人だと思う
信長や秀吉は、「吾妻鏡」は読めなかっただろう
「教養がある」というのは、家康の重要な特徴だと思う ご歓談中失礼します
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高麗時代史専用スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1556797827/ やっぱり幕府が続くには朝廷を滅ぼして
北条氏が天皇にならないとだめだと思う やっぱり後鳥羽を斬らなかったのが失敗だったな。
後鳥羽を斬らなかったら御醍醐も斬られていただろうし、討幕は失敗した、 鎌倉時代の末期には、御家人が幕府から離反していたので、北条氏の権力が強い反面、
幕府は脆弱になっていた
後醍醐天皇を始末できたとしても、護良親王が令旨を出すなどして、北条高時追討は
継続できるので、やっぱり史実のような展開になったと思う もし元弘の変から続く足利新田楠木の乱を北条が鎮定して、後醍醐を再度捕えて、
北条が完全勝利した場合
たぶん北条邦時(得宗高時の嫡男)が将軍になって、長崎高資が執権になると思う
そして幕政の実権は高資の実父の円喜が掌握する 北条氏得宗が将軍(鎌倉殿)になるには、関東武士の大半が御内人(得宗被官)に
ならねばならない。
だが、名門の御家人、特に足利氏のような源氏御門葉が御内人になるのは現実的
だろうか? >>129
足利家当主は代々北条家の姫様をありがたく正室としていただいていたから
血の半分はほぼ北条 得宗家は鎌倉幕府の頂点に立つというよりも、鎌倉幕府から超越した立ち位置で
実質的な権力と財力を伸ばしてきた。
また、出家して公職を退き、組織に縛られない立場でもあった。
そう考えると、征夷大将軍任官、公卿の身分を獲得するという方向性ではなく、
出家して自由な立場でいっそう実利を求める方向に進んだのではないか?
そして、幕府組織の形骸化がいっそう進んだと思う。 自分も北条得宗というのは幕府組織の外で私的な権力を拡大するところに特徴があったと思うな
だから、得宗被官という陪臣勢力が権力を持つこともできた 東国人の野蛮さ
(東国の武士)狩猟民の系譜を引いている者が多く、東国は狩猟民の社会。
東国の武士団そのものも殺伐とした側面が存在。
弓を得意とし、馬を巧みに乗りこなす者たち。
(実盛の発言)東国武士団が西国の武士団のように田畑を支配の中心にすえた武士団ではなかったことを
多少オーバーに述べているのであるが、事実東国は「殺生」や「死」というものについて
重大視しない社会であった。日常的に殺生が行われている社会であった。
(2001年、福島大・伊藤喜良氏) 関東武士の心得
「家を継ぐからには心がけねばならない。常に馬の餌の為に庭草はボーボーにしておけ。調練場には生首を絶やすな。人殺しは常にやっておけ。」
「門前を通る坊さんや乞食、修験者は弓の的に丁度良い。しつこく逃げるから弓の標的として活用せよ。」
「武士と生まれたからには殺しまくれ!」 当時の関東の法律御成敗式目
・みだりに通行人や旅人を殺してはいけません
・勝手に百姓の嫁を犯して殺してはいけません
・他人の領地の田畑から作物を盗んではいけません
・他人の物を自分の物にしてはいけません
・行商人を殺して金品を奪う事はいい加減やめましょう
・旅女や歩き巫女を無理矢理犯してはいけません。きちんとお金を払って犯しましょう 「兵力分散」つうのも結局は総兵力あればこその話なんだよね
奥州藤原氏が鎌倉幕府に負けた理由を兵力分散のせいにする人いたけど
「昔の東北じゃまず兵隊の数がそろえられなかったろ」と思う(まして福島県の半分は鎌倉に味方したと思われ) >>133
なにそれマッドマックスヒャッハーな世界w ρ(ーoー)♪
あなたも私もアベコロナ〜
あいつもコイツもアベコロナ〜 鎌倉幕府が存続してきていたら、令和二年で将軍は何代目になるんだ >>142
リアル鎌倉時代で9代、室町時代で15代、江戸時代で15代、近代以降で天皇の代数が
5代だから、40〜50代くらいになっていたと思う
旧宮家と摂家から下向して将軍になっていただろう つーか、鎌倉時代ですら
均一に日本支配できてないけどw 鎌倉幕府が存続していたら、鎌倉幕府のまま近代を迎えたことになる。
親王将軍が国家元首、執権が首相、連署が副首相、評定衆が閣僚会議、鎮西探題が外交部になる。
ただし、執権、評定衆はやがて選挙で選ばれるようになるが、名目上、執権は得宗が指名し、
親王将軍が任命する制度が残ったと思う。 >>145
内管領は得宗家の私的な被官なので、近代以降は得宗家の大番頭のような存在になるんだろうな
巨大な財力を持つ得宗家は近代産業を起こして財閥となり、その実務に内管領を始め御内人
が当たるようになる ρ(ーoー)
あなたも私もアベコロナ♪
みんな揃ってアベコロナ〜 室町以降も鎌倉幕府みたいに将軍が居なくなる事は無いけど明治維新までに組織のno.2の世襲の執権が主君を無力化して実質的なナンバーワンになってる例は幕府とか問わず国単位でも何度も起きてるのな
長期政権になればどこもそう言う感じになってるのは面白いね >>127
これ
御家人が幕府への反感強くなってたから
後醍醐抹殺しても
次から次に離反者が出てきて滅びると思う
なぜ離反者が出るのか 幕府が続いたとしても
北条が実権を失って
執事が実質的な権力をもってそう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています