>>162
身分的に差別されてはいるけど、その生業たる「斃牛馬」の処理とか皮革の製造加工など、社会的に需要があり収入も多い仕事を独占的に請け負っていたので、
一般農村よりもむしろ裕福だった。

明治に入って特権(生業の独占)は廃止されたけど差別は維持され、他の生業に写ることができないことで貧しくなって今に至る。

という側面があるのと、江戸時代後半の農村で人口が伸びにくくなった理由の一つに若者が年季奉公に出て帰ってきてから結婚出産していたことによる出生数の減少がある
被差別部落からは都会に出稼ぎに出ることがないので年季あけてから帰って結婚というコースがない分だけ早くから結婚するのではないか、
だから出生数が多くなり人口が増えるのではないか


町へ出稼ぎに出て定着しちゃった人の多くは子孫を残せてないらしい
当時の都市部は農村よりも栄養状態が悪いのと人口密度が高いので伝染病の拡散が速いことから死亡率が高く、周辺農村からの出稼ぎを吸収し続ける傾向があった
それで都市周辺の農村は遠隔地の農村と比べて人口が伸び悩んだ
江戸周辺や機内周辺は江戸時代後半になって人口が減少傾向になった一方、遠隔地(中国地方西部とか九州南部とか)の人口は伸び続けた