弘化3年(1846年)12月16日:従四位下侍従兼玄蕃頭に叙任。
嘉永2年(1849年)12月16日:左近衛権少将に任ぜられる(玄蕃頭兼任)。
嘉永3年(1850年)12月27日:玄蕃頭から掃部頭に遷任(権少将如旧)。
安政2年(1855年)12月16日:左近衛権中将に転任し、掃部頭は従前通り兼任する。
安政4年(1857年)12月16日:従四位上に昇叙。左近衛権中将掃部頭は留任。
安政6年(1859年)12月15日:正四位上に昇叙。左近衛権中将掃部頭は留任。

最初が侍従兼玄蕃頭
次が玄蕃頭兼左近衛権少将
次に左近衛権少将兼掃部頭
次に左近衛権中将兼掃部頭
次に従四位上に昇進して左近衛権中将兼掃部頭
最後に正四位上に昇進して左近衛権中将兼掃部頭

つまりほとんど兼任で箔をつけるためですね。