【初心者】スレッド立てる前に質問をPart38【歓迎】
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前スレ
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ46
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1530453710/ 前半は真面目に突っ込もうかと思ったけど、
後半で台無し。頭の悪いコピペ厨だと自分で認めてどうすんだよw
民主党政権がゴリ押しした日銀総裁による通貨供給量抑制。
日本家電の衰退と韓国メーカーの躍進。
夢よもう一度と本国政府から指令でもでたのか… 民主党政権がゴリ押しした日銀総裁
↓
民主党が与党になる前にゴリ押しした日銀総裁 二つの質問。
昭和の終わり生まれで、私が6歳だかの時に平成が発表された。
その当時は過ごしているんだけど、その時の記憶はない。
なので、ユーチュブなどで、動画を見るしか方法はない。
あとはテレビで時々放送されるくらいかな。
次の令和の時は、私が35歳で、リアルに発表された時は時間的に仕事中だったから見れなかった。
録画した番組やユーチュブであれば見れる。
疑問だけど、平成といい、令和といい、昭和や大正の元号を見た事がない。
当時はテレビがなかったけど、写真とか存在しないの?
二つ目。
私は高校生の時まで学校の授業で日本史を学んだ。
ところが今の小学生や中学生なんて私の時より日本史の範囲が広い。
例えば私が小学生の頃の、阪神大震災や地下鉄サリン事件は今の小中学生は生まれていない。
日本史は当たり前だけど、自分の生まれる前(それも数百年前や数千年前)の事を学ぶわけで。
将来、日本史の範囲って削られるのかな?
ここは勉強を教えなくていいんじゃないか?って。 テレビのない時代に平成や令和のような大衆の視線を意識した会見はしない
平成以前、改元は凶事とセットの出来事だったから、お祭り騒ぎにはならなかった
映画や写真はあってもまだまだ高価で取り扱いしづらい代物
明治天皇や大正天皇の喪儀、大正天皇や昭和天皇の即位礼ですら、動画や写真は数少ない 官房長官がテレビカメラの前で元号額を持ち上げて発表などというのはテレビ時代の平成、令和でやり始めたことに過ぎない
昭和の発表時は新聞に新元号は「光文」とすっぱ抜かれて、急遽昭和に変えた
江戸時代なんてのは朝廷から幕府へ、幕府から各地方の庄屋まで新元号を知らせたが、行き渡るのに随分暇がかかっていた
江戸時代の水戸光圀による「大日本史」は神武天皇から南北朝まで、頼山陽の「日本外史」では源平の争いから徳川十代将軍までを扱っていた
今は列島への人類居住から近現代まで扱っているが、その時代、時代でそれなりに取捨選択して歴史を述べているんだからなんとかなるでしょ *今よりも扱う時代は短いかもしれないが、「大日本史」は全397巻、「日本外史」でも全22巻と大部のもの
今の教科書を読むよりも大変なんだから ありがとうございます。
明治や大正、昭和の即位に関する動画や写真は少ない。
となると今の人達がそれらを見れる機会なんてほぼ無理に等しいんですね。
改元に関する情報を伝える方法って今のようにテレビなどが無い時代は、極端に言えば元号が変わった事すら知らない人もいたくらいなんですね?
日本史の勉強範囲って、今のように教科書一冊なんてまだ易しい方なんですね。 徳川家茂、明治天皇はじめ亡くなってから葬られるまでかなりの日数が開いている人が沢山います。
冷蔵設備などもない時代、ましてや夏場などどうやって死体を安置していたのでしょう?
腐って悪臭放つのをひたすら我慢って訳じゃないですよね? >>404
>将来、日本史の範囲って削られるのかな?
既に坂本龍馬とかが削られると言われてる。そうやって時代が増える分項目を減らして調整するんでしょう。 坂本龍馬が削られるのはまた別
歴史小説で人気があるキャラと歴史的重要人物は分けないといけないという話だよ 日本史の教科書では宗教に関して、仏教伝来〜平安仏教〜鎌倉仏教あたりはかなり詳しく載っていて、
戦国期のキリスト教があり、その後はほとんどなくなって、幕末の頃に天理教、大本、黒住教あたりが
ちょろっと出てくる感じです
それだけ、古代〜中世に比べて近現代では宗教の存在が相対的に低下したということなんでしょう
しかし、戦後の高度成長期に田舎から都会に出てきた大勢の若者を取り込む形で、さまざまな
新宗教が百花繚乱勃興しました(立正佼成会、霊友会、真如苑、真光教団、PL教団、その他)
これらは純粋な宗教という部分にプラスして「地縁のない若者のコミュニティー」としての
側面があり、その意味で宗教の存在が相対的に上昇したといえると思います
後世において、教科書レベルでこの時代(高度成長期)の(新)宗教の記述ってなされますかね
(記述量の多少はともかくとして)
社会学や歴史、宗教に詳しい方の意見を聞いてみたいです
何卒よろしくお願いします >幕末の頃に天理教、大本、黒住教あたりがちょろっと出てくる感じです
明治 創価学会、オウム真理教、幸福の科学あたりは?
あと神社本庁、靖国神社 特定の団体、宗教法人の名前は出ないだろうけど、新宗教ブームみたいな言葉で記述があるかもしれないね
あと、特定の名前が出るとしたらテロを起こしたオウム真理教、自公政権から創価学会あたり? 歴史に詳しくて頭がいい人教えてください。
「旗本○○氏」というものの意味がわかりません。
以前から、よく、「浪速の○○」とか「土佐の○○」「三河の○○」「○○国の○○」みたいな、
江戸時代以前の地名で人を表すのを見て、カッコいいなと思ってたんですが、
つい先日、都内の大型図書館で、自分の生まれ故郷(市とか町レベル)の昔の地名を探してみたんです。
そしたら、すぐ隣の市なんかは「○○藩」ってなってるのに、私の町とかは「旗本○○氏」って
なっていました。
旗本○○氏って何ですか?その土地には縁もゆかりない人が幕府から派遣されてきて行政をやってたって
ことでしょうか?つまり、藩を構えようにもそれだけの人材がなく、農民ばかりなので、しかたがなく
中央から偉い人がやってきて治めた、ってことでしょうか?
そんなんありですか? 大名ばかりが領主ではない
旗本の領地というものもあった
徳川将軍家直属家臣団のうち石高が一万石未満で将軍にお目見えできる家格の者を旗本と言った
もっと石高の少ない御家人などは米やカネで禄をもらったが、中級旗本以上になると領地(知行所)を持ち、殿様と呼ばれた
石高の多い旗本なら知行地に陣屋(お城のかわりみたいなもの)を構え、代官を派遣して領地を治めた
石高の少ない旗本は地元の人間(在地代官、大庄屋、庄屋)に領地を治めさせた
こういうところでは殿様は江戸にずっと居るだけだし、村には家来の侍も居ないし、どうしても警察力が弱くなる
関東にそういうところが多かったので、関東取締出役が設置され、巡回して治安維持にあたったが限界がある
上州などは旗本領ばかりで大名が居ないものだから、やくざ、無法者の天国
上州名物はカラっ風とカカァ殿下にヤクザ者だ
黒澤明監督の用心棒の舞台は空っ風吹きすさぶ上州の宿場だし、テレビ時代劇でヒットした木枯らし紋次郎も上州三日月村の出身、史実では国定忠治大親分も上州国定村だ 単なる徳川の家来だけではなく、元々は大名もしくは大名の一族だったり、室町・戦国期以来続く由緒正しい武家の旧家も「旗本〇〇氏」として取り立てられている者がある 旗本領が集まってる地域とかだと、幕府代官が一括管理して、
年貢だけ旗本が受けとるようなことも多かったようだ
それでも年始挨拶とかで毎年最低一回は領民(代表ら数人だけかも?)と顔をあわせる機会はあった >>417
定義としては石高1万石以上が大名で一万石未満が旗本です。旗本は基本江戸定府つまり江戸に居て
参勤交代しないので領地の経営は代官に任されます。例外的に参勤交代する旗本は交代旗本と称されます。
江戸時代の領主は時代によっては「鉢植え大名」などと称されて幕府の意向でどこへ飛ばされてもおかしくない
時代もありました。それは大名であってもです。江戸時代の前の話になるけど豊臣秀吉は越後(新潟)の上杉を
会津へ移動したし、徳川家康だって本拠地の三河から関東へ移動させました。縁もゆかりもない土地へです。
それを拒否した家は次々と攻め滅ぼされますから仕方がないわけです。仙台の伊達家だって元々は福島県の
伊達郡が本拠地だし伊達政宗の生まれは米沢で宮城県とは何の関係もありません。 >>417
>つまり、藩を構えようにもそれだけの人材がなく、農民ばかりなので、しかたがなく
>中央から偉い人がやってきて治めた、ってことでしょうか?
例えば会津を例にとりましょう。東北の領主は源頼朝の奥州征伐の恩賞として鎌倉幕府の御家人に与えられた
例が多いです。伊達氏もこの時に伊達郡を得たので伊達氏を名乗りました。会津は三浦氏の一族蘆名氏に
与えられました。今の会津若松はその頃は黒川という名前でした。蘆名氏は勢力を拡大して戦国大名化して
いきますが伊達政宗に滅ぼされてしまいます。ところが新領主伊達政宗は秀吉を怒らせて仙台に飛ばされました。
それで空いた会津には近江(滋賀県)の蒲生氏郷を置きました。この氏郷が出身地にちなんで若松と名前を
変えました。それ以来ずっと若松です。またこの時に氏郷の家来のなんとかさんがそれまで信夫だった土地を
福島に変えました。福島県の由来は以外と歴史が新しいのです。そして蒲生氏は氏郷が死ぬと宇都宮に
飛ばされて後には越後の上杉氏が入ります。上杉氏は関ヶ原で徳川に負けて米沢に押し込められます。
米沢は会津領の一部として秀吉から与えられていたけど本体の会津を取り上げてオマケだけになった形です。
その後には蒲生氏、さらに加藤嘉明と縁もゆかりもない武将が次から次へとやってきて支配しました。それは
地元に人材がいないからではないのです。 地元に根付いている人間は庄屋、村役人、町役人などで自治組織を持ちますが、それ以上の領主となると住民が自分たちで選ぶのではありません
民主主義の時代じゃないんですから
将軍家が全国支配するには人事を握らなければなりません
大名領地、旗本領地の配置も全部指図し任命できることが重要なのです
庄屋以下の下っ端は地元に任せて置きますが コジュケイは外来種とのことですが戦国時代にいましたか? 秀吉に敗れた柴田勝家に半兵衛や官兵衛のような軍師はいなかったのでしょうか? そもそも日本では軍師という職掌がない
半兵衛も官兵衛も軍師じゃなくて武将 秀吉にニ兵衛、正宗に小十朗、景勝に兼続、家康に正信
戦国を生き延びた大名にはそういう戦略家のような人がちゃんと居ますよね
勝家は配下に恵まれなかったのかな?故に滅んだ? 勝家の配下というか寄騎の利家は裏切って秀吉についたからなぁ。 勝家は主君信長を生前・没後2度に亘って裏切ったから許より人望は望めない 民主主義&象徴天皇制に移行して以降、天皇が歴史教科書に掲載される可能性は
かなり小さくなったように感じますが、もしも今後女系天皇が誕生したり、
あるいは旧皇族の皇籍復帰からその系統の天皇が誕生したときは
教科書に掲載される可能性の大きさは如何でしょうか? >>431
>>今後の天皇陛下が歴史教科書の本文に記載されるようなことをされれば掲載される。
未来の天皇の行動行為云々はさておき、「女系天皇の誕生」または「旧皇族の皇籍復帰」、
「皇籍復帰した系統の天皇の誕生」ということそのものが教科書に記載されるレベルの
ことなのか、そうでもないのか、という疑問です 真面目に質問です
教えて下さい
子供のころは親の持ってた歴史小説や漫画を読んで
伊達政宗かっこいーとか
武田信玄VS上杉謙信かっこいーとか
零戦カッコいいとか
無邪気に歴史を楽しんでいました
大人になってから真剣に歴史解説本をよんだり
大河だったり歴史創作とか読んだりしたら
なんか悲しくて悲しくて辛くなりました
こんな事人に相談も出来ないし
歴史モノ好きだったはずなんだけど
どうなってるんだろうって
検索したら
歴史クラスタはすでに推しが死んでいるから
平気とか出てくるんですけど
ホントに平気なんですか?
平気になる方法あるんですか?
後、太平洋戦争モノのメカとかカッコいいってはしゃぎたいけど
なんか不謹慎な気がして艦これのファンを
装ってたりします
その辺の気持ちの折り合いはどうしてますか? だから何なんだ?
武田〜とか聞いた事もない人物ばかりなんだけど、
家の老婆も知らないと言っているし、なぜか?w これは本当の話
アマテラス〜、???、〜〜〜〜?とか、
あと最初のほうの天皇などは知っている
どこかで習ったと言っていたり、
なぜか山の上のほうに住んでいて〜とか >>433
今現在の世界で飢餓に苦しんでる人がいるとか内戦で苦しんでる人がいるという話と
過ぎ去った過去の話を同じレベルで悲しむのは如何なものかと思います。
もしかしたら創作のキャラクターも例えば酒呑童子だまし討ちにされて可哀想とか悲しくなるんですか?
兵器については宮崎駿もそれはそれ、これはこれ、と言ってるので気にしなさんな。 >>433
宮崎駿(昭16生)は従業員数千人を擁する「宮崎航空興学」を経営する家に生まれて、航空機他の軍事メカおたくになった
物心ついてからは戦後民主主義の中で育ち、人並み(以上)に平和主義、左寄り思想となった
質問者と同じく、頭の中が右と左に引き裂かれた状態となったはずだが、本人は気にしてないんである
この一筋縄ではゆかない人間というものを今後も歴史の中から探求していってください >>436
飢餓で苦しんでる人とか映像みるのもちょっと苦手です
寄付とかもしますが痛みを共感しやすいのかもしれないです
酒呑童子に騙し討ちは
物語へののめり込み度が高かったり
えぐい描かれ方してるときついです
大河は特に長い話で
俳優さんが演じてるのでイメージしやすくて余計に死のシーンが
悲しい気がします
近代だと写真が沢山残ってて逸話や資料が沢山残ってて
ひどい死に方したりしてると
割りと悲しいです……
>>437
一筋縄にはいかない人間性ですか……う〜ん 兵隊に行って戦争してくるんだな
もう命の値段の安いこと
死を見てもな〜んにも感じなくなる
いちいち感じてたらやってられないから
‥でも、やっぱり神経をやられてしまう者もあるけど >>439
ここは多分戦争に行ってない人の方が
多い気がするんですが
それでもみんな推しの死とかは平気なんですか?? >>440
例えば弁慶とか死に様あっての人気なわけで死んでなかったら人気が半分になるよ。 >>440
正直、歴史はたいていの場合は権力抗争の話ばかりだろう?
昔の権力抗争は武力行使が伴う例が多いよな?
となると戦争の話ばかりで、
歴史好き=戦争好き(戦争の話を聞くのが好き)になるからな。 >>433
>歴史クラスタはすでに推しが死んでいるから平気とか出てくる
‥わからない文章だな >>442
一人殺すと殺人犯だが数万人単位で殺せば英雄
昔からそういわれている タマヨリビメの説明に神武天皇(初代天皇)の母であり、天皇の祖母である豊玉毘売の妹とあるんですが、
天皇が息子でなんで姉が天皇の叔母でなく祖母になるのか全く理解できません
解説お願いします >>441
それは凄く分かります
>>442
たしかに戦国時代とか
戦争が多かった時代が人気ありますね
>>443
推しの死が悲しいので歴史好きな人はどうやって
悲しみをのりこえてるか
「歴史クラスタ 推し 死」などで検索したところ
「推しはすでに死んでいる(ので今さら悲しくない)」
という検索がいくつか出て来ました
自分もそういうふうにメンタル強くなれる方法を知りたいという感じです
>>444
言われてみればそうですね、不思議です ツイッター隠語やAKBおたく用語を多用されても多くの国民は理解しかねる‥ >>446
古代にはよくあった叔母と甥の結婚だから
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊は母(豊玉姫)の妹(玉依姫)で叔母に当たる結婚
叔母と甥の結婚で神武天皇が生まれた
神武天皇にとって玉依姫は母、豊玉姫は祖母 >>445
とりあえず埋葬してしまってから、日を開けて葬儀したんじゃないの?
現代でも立場がある人が亡くなったらそうするケースはあるよ >>450
徳川家茂は徴収出兵に遠征中、大坂城において慶應2年7月20日に没した
遺体は8月12日に幕府がイギリスから購入した長鯨丸で運ばれることになった
家茂の遺体を乗せた長鯨丸は、9月2日に大阪出航、9月6日、江戸着
9月23日葬儀、江戸の増上寺に埋葬
同様に明治天皇は明治45年7月30日、東京の皇居で崩御
陵墓は京都の伏見桃山御陵に埋葬されることになっていた
9月13日、東京青山の陸軍練習場で明治天皇の大喪(葬式)が執り行われ
同日、明治天皇の棺は専用に造られた国鉄の霊柩車両に乗せられ東京出発、京都着
9月14日に伏見桃山御陵に埋葬された
どちらも亡くなった場所と埋葬場所が離れていて
輸送する船や列車が特注のためすぐには輸送させておらず
遺体は近場に埋葬して後日葬式だけということではない 古代の葬儀だと、殯(もがり)という儀式があるからねえ
とりあえずググれ >>452
明治天皇と徳川家茂の遺体をどうしたかという話なのに完全なスレチ
文盲? まあ偉い人だと「殯宮(もがりのみや)」作っておいてそこに安置だねえ
つまり「臭くなっても大丈夫! 隔離してるし!」みたいな感覚
庶民だと火葬とか塩漬けとかいう直接的な方法に打って出る 723年の三世一身の法である土地を開墾したとして3世代の間
その土地の収穫物は無税になるの? エンバーミングに相当する技術があったんじゃないの知らんけど 明治天皇は亡くなった2週間後に殯宮に移されたが
この殯宮は明治天皇が皇居として用いていた明治宮殿桐の間だった
つまり皇居宮殿の中に大喪まで1か月半の間遺体が安置されていた
(桐の間は明治天皇の皇后・昭憲皇太后が来客を謁見した部屋)
明治御殿は大正天皇、昭和天皇の皇居ともなり
昭和20年、空襲の類焼で焼けるまで皇居として機能していた
匂いがどうだったかは分からない 不平士族の反乱が倒幕に中心的役割を担った藩だったところで起こっているのが面白いね
倒幕して勝ち組になったと思ったら負け組になっちゃった なんで明治の初めの10年間を大久保利通体制っていうんだろ
政府のトップは太政大臣の三条実美だから三条実美体制じゃないの この画像の
一番左列上から二番目の家紋、どこの家か教えていただけませんか?
https://i.imgur.com/lQJspMm.jpg >>451
臭いや液体が漏れないように、棺を何個か重ねたり、その隙間に木炭や朱を詰め込んだりするらしい 殿様が江戸で急死したら、遺体をクニへ持って帰るの? >>465
ありがとうございます
私の先祖がこの家紋を授かって、少し変えて使っていたらしいです
秋田に上杉関連の何かがあったりしませんでしょうか? 上杉の家紋を伊達が授かったと言う逸話は有名ですね
直接授かったかもしれないし伊達の末裔かもしれないし
地域的にも近いので調べたら面白いかもしれませんね >>471
伊達政宗の大叔父(祖父の弟)に当たる伊達実元が上杉定実の養子に入るときに
(実元の祖父植宗の正室が上杉房実の娘。女系で上杉の血を引いている)
引き出物として上杉家から伊達家に与えられたんじゃなかったっけ
ところが定実が伊達家の精鋭を引き抜いて上杉へ同行しようとしたとして
定実の兄晴宗(伊達政宗の祖父)が激怒、定実を幽閉して養子入りを取りやめにしてしまった(後に幽閉は解かれる)
養子入りはなくなったが上杉から貰った紋はそのまま晴宗が使い続けて伊達家の紋にしたとか ありがとうございます
伊達から調べたところ、国分家というのが伊達の名字になって、最終的には秋田藩佐竹家の家臣になったらしいというのが出てきましたが、家紋は全然違いました
情報が少なくて難しいですかね
北海道の開拓に行ってそのまま今も北海道に本家があるらしいのですが 古代から中世ころの平均寿命は30歳代らしいけど、よくこの平均寿命で子孫や文化や仕事の継承ができたなあ
今みたいに高度な文化ではなかったとしても >>463
奇兵隊の末路も反乱を起こして壊滅だからな。
ちなみに松下村塾も門下生は萩の乱を起こしたしな。 >>474
早く死ぬ奴が平均下げてるだけで大半が30代で死ぬわけじゃないからな ほんの数十年前でも、25歳は立派な大人
30歳はおっさん、おばはん
40歳は髪白く薄くもう年寄り
50過ぎるといつ死んでもおかしくない老人という感じだったな
磯野波平なんかはまだ勤めてるから55歳の定年になってない
妻のフネはもっと年下だろうにお婆さんだ
昔の人はあんな感じだった >>474
0歳死亡が多いから平均したら30くらいになる。一人60まで生きても一人0歳で死んだら平均したら30になる。
平均値は30でも中央値は50手前くらい。 >>479
織田信長がいってた人生50年のとおりなんだな 江戸時代って無駄な時代だったのだろうか
参勤交代の負担が重くて経済が停滞してしまったし >>482
参勤交代のお陰で街道が整備され商人は儲かったんだがな
江戸が100万人都市になれたのも
全国の大名が参勤交代で家臣たち連れて江戸に集住
国元にいるときも正室と嫡子の江戸留め置きを命じられていたため
貧しい農家の二男三男は江戸に出れば人並みの生活ができたから 参勤交代がなかったら室町、戦国の世で見たような地方大名の幕府からの離反、戦乱があったやも知れない 結果的に薩長土肥くらいの戦力でひっくり返せるんだものな >>488
戦国時代には結婚して苗字が変わる夫婦同姓の風習は普及してないから、前田の妻の苗字は前田じゃないぞ >>488
天下人の城下町に諸大名集住はもともと豊臣秀吉がはじめたことで
秀吉の聚楽第や伏見城の周辺には各大名屋敷があった
関ケ原の時に諸大名の妻子が秀頼のいる大坂に集住
西軍の人質にされると噂になったのもそのため
前田利長は本来大坂に差し出さなければならない母を
関ケ原前に家康の人質として江戸へ差し出した
前田は豊臣ではなく徳川の家臣であると関ケ原前に表明したことが
関ケ原に大きく関係した なんで安土桃山時代なんだろ
秀吉の本拠地って伏見城より大阪城のイメージだけど >>490
秀吉以前にも、室町幕府ですでに行われているぞ
応仁の乱の終息後から、また明応の政変を期に、などと徐々に京都を離れていっただけで。
いやまあ、九州の大名やら関東・東北の大名は室町時代を通して常に、京都に出向いてないけどな
だから全国の全大名という意味では秀吉が最初かもな >>492
室町時代は管領が幕政を行うために京都常駐を命じられた程度
応仁の乱で勝手に大名が上洛してくるようにはなったが
将軍が諸大名に京都集住を命じたことはない >>491
天下に号令するのは関白として京都から行う
大坂城は豊臣さん家の私的な城として作った
あと、伏見の城跡に桃を植えて桃山と呼ばれるようになったのは明治のことなんだけどね
なぜか安土伏見時代とは言わない 利家の妻まつは12歳で初産し、11人も生んでいる。ただ、個人的には曾祖母が大正から昭和初期にかけて11人出産していたり、高祖母も10人生んでいたりとまつの凄さがよく分からない。
歴史に名の残る人で、もしくは日本人の中で最も多く出産したのは誰で、何人でしょうか?
男の子沢山は一夫多妻ならいくらでもあり得るが、女性は限られてる分同着多数かな。 >>493
命令という形をとってはいないけど、実態として、中部地方から中国四国地方までの大名は全員が在京原則で領地に帰る際には許可をとってたんだが
軍政の建前上、軍事貢献を求められる上、その目的で本営たる幕府のもとに在陣するのが事実上の前提条件だ >>496
それを言ったら鎌倉幕府だってそうだろうw
足利やら主要な御家人たちは領国に住まず鎌倉に屋敷を構えて住んでいた
奈良時代の律令制からして中央官僚を地方に派遣して国司をやらせるが
本邸は京都に構えていて妻子はそこに置いたままだったりしたし 江戸時代、下級武士は馬を持っていませんよね?
馬に乗る練習とかするの? >>494
私的というが、「豊臣氏の根拠地」という意味では京都ではなく大坂だぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています