【初心者】スレッド立てる前に質問をPart38【歓迎】
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前スレ
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ46
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1530453710/ 世間が真相を見破るのも都合が悪い
秀次様は何も悪くなかったなんて思われたら困る
そこでいろんなありもしないことまで罪状として挙げ、秀次の側に居た者たちの口も封じなければならない
京の六条河原、秀次の生首の前で秀次の子(いたいけない幼児たち)や、側に仕えた女たち数十人の首を次から次に切った
京の民衆もこんなにむごい仕打ちは見たことがないと涙を流した
亡骸は集めて河原に埋めてしまい、「秀次悪逆塚」の捨て札を差した >>727
秀次の、秀吉秀頼への絶対恭順では済まなかったんだろうか?
秀吉はそりゃ自分の死後が不安だろうけど、諸大名の前で秀吉秀頼への絶対恭順を誓っていれば、秀吉が死んだからって好きにはできんだろうに おとなしくしていても、そのうち秀吉に含むところのある勢力に担がれて敗者復活を図るやも知れない
有名どころの血筋の者はよく担がれるのよ
徳川も秀頼を殺してしまわねば安心できなかった 秀次は罪を重ねたから成敗するのである
そうなんだからいろいろ申すでない
頭下げたからと言って許されはしない
御免で済むのなら首切り役は要らぬ 高野山で出家されたから全て許される
なのに秀次は抗議の意で自ら切腹した。聖なる高野山を血で汚された秀吉が激怒
秀頼は托卵で生まれた子は秀吉も知っていたけど,継がすのに適当な者が他にいなかっただけ 比叡山延暦寺は権力や煩悩により、聖なる地とはだいぶん違っていたけれど、
高野山金剛峰寺はまだ当時聖なる地としてのステータスや権威を保っていたのかな? 信長は本願寺との抗争で最終的に本願寺と和睦(信長側が有利)したと思うんだけど、
延暦寺とはどうなったの?
焼きっぱなし? 戦力を保持したままの本願寺とは交渉しただろう
しかし、戦力も何も失った延暦寺とは交渉する必要がない
交渉相手もいない
跡地は織田勢の管理下に入った
羽柴秀吉により山門再興が認められたのはおおよそ13年後のことだった 信長は石山本願寺と10年も戦っていたが、叡山焼き討ちは一日で終わったでしょうが 江戸時代の剣術道場の内弟子ってどういう身分だったのでしょうか?
道場やってる家の武家奉公人? 内弟子は住み込みの弟子というだけの意味だが
剣術道場には百姓町人も押しかけたので身分がどうのというものでもない
土方歳三も百姓身分だった 金剛峯寺って名前は特定の寺院の名前じゃなく、高野山全体の総称だったようですが、
明治2年に高野山の中核寺院だった青巖寺のことを金剛峯寺としたそうです
これって誰が決めたのでしょうか?
高野山の高僧が決めたのか、それとも明治政府か、はたまた全然違う人なのでしょうか? 明治二年、高野三方と呼ばれる学侶、行人、聖の僧侶身分を新時代を迎えるにあたって廃止した
それにより、それぞれの僧侶が拠っていた青巌寺、興山寺、大徳院の三つの寺が統合されてひとつの寺(金剛峯寺)となる流れとなったのであろう 江戸時代の経済について質問です。
江戸時代は地方分権でしたが、
各藩の1人当たりGDPの差は一番豊かな藩と一番貧乏な藩でどの位差があったのでしょうか?
また、江戸幕府は藩毎の経済格差を埋めるために施策をしていたのでしょうか? 幕府の領地政策を見本にしながら、それぞれ頑張って生きてゆけってのが基本
あんまり悪政を敷いて百姓が悲鳴を上げたり一揆を起こせば、大名の改易、処罰もある
富士山宝永噴火では東麓の農地が灰をかぶってエライことになったが、地元の藩にはとても手に負えない
被災者は自分で頑張れと布告を出しただけ‥
幕府が資金とお助け役人を出して灰の除去を指揮した例がある
あまりにも見てられなかったんだろうな
島原の乱みたいに幕藩体制をゆるがすような事態では幕府自体も鎮圧に出動する
幕府は四公六民だとか五公五民などと言ってたが、貧乏藩だと九割取ってしまうのも珍しくなかった
一方、経済力を蓄えた"雄藩"は倒幕する力を持ってしまった 近年の説では、9公とかいうのは名目石高と実収入の乖離が激しい都市部の事例ではないかと言われている
たとえば、輪島塗の産地で会った輪島村が(実態は手工業メインの都市部だが行政区分では村)9公1民だ 戦後史になってしまいますが、よろしくお願いします
警察予備隊→保安隊→自衛隊と変わってきましたが、
警察予備隊のまま組織改組や規模の拡大などを行うことはできなかったのですか?
警察予備隊→保安隊→自衛隊と2回組織名が変更になっていますが、
同一組織名で組織改組や規模の拡大をするのが不可能なくらい、
根本的、本質的な変更だったのでしょうか? 自衛隊というと自衛戦争をするところだ
戦争を思い起こすような刺激的な言葉は避けたい
軍隊じゃなくて警察だからと始めて、次は保安であって軍隊じゃないよ
こうやって段階を踏んで自衛隊までたどりついた
そういう命名者の心の動きを感じるんだがねぇ >>749
ありがとうございます
水平社→部落解放同盟はいかがでしょうか?
ネーミング的には絶対に水平社の方が良かったと思うのですがね
水平社のままでの組織改組や規模拡大は無理だったんでしょうかね 運動体の合同や分裂があると、従来の運動とは違うということを示すために名前を変えるのは普通のことだ
合同のとき、元の名前を存続させると、まるでそちらの系統に自分のところが降参したかのように感じて、名前を変えでもしないと収まらないのだろう >>751
水平社の他に類似の運動体があったのですか?それは知りませんでした
それらの運動体が合同、分裂する中で解放同盟が生まれたというわけですね
ありがとうございました 明治以降の「国家神道」
戦後のGHQによる国家神道解体を指示した「神道指令」
どちらも近代日本を語る上で良くも悪くもかなり重要なトピックだと
思うのですが、如何せん、あまり重要だとされてないような
感じを受けます
社会や世間がわざと「国家神道」「神道指令」を忘れている(ふりをしている)
そんな不自然さを感じます
良くも悪くも、近代日本におけるこれらの重要さについてどう思われますか? 土方歳三ってそんなすごい人?
イケメンで五稜郭で死んでスター性があるってのはわかったけど、それと実際の功績って違うじゃん?
どんな功績残したの? 凄いかどうかは分からないが
副長として汚れ役、恨まれ役を買って出た所かな
それに近藤は半ばに退場したけど土方はその後の新選組を牽引して最後まで戦った
旗色が悪くなろうが信念を曲げなかったって所でしょうね人気な所は
農民の出身でありながら武士よりも武士らしいとかそういう所 >>755
ありがとう
けど、教えてもらって何だけど、それイケメン補正かかってない? イケメンじゃなかったら埋もれてそうな経歴だなぁ
いやね、地元がゆかりの地らしくて土方土方うるさいんよ。だからそんなすげーのかって。どこ見てもポスター貼ってあんの。
でも、俺は何した人か知らなくてさw
でもあんがとね。
ジョジョ描いた人だよ、とか言われてもしゃあなしと思って質問したw 新撰組メンバー(特に幹部級)のうちで数少ない、最後まで戦った人なんだよな
幕府がなくなったあたりから次々とリタイア者が出るなかで戦い続けて最後まで戦ったってだけで十分にすごい 土方は歴史的な意義よりも
生き様が文学的に取り上げられて好まれた
真田幸村とか坂本龍馬とかと一緒 そうだなぁ。大河ドラマ「真田丸」の真田信繁も「あんたは何にも成し遂げてない」とヒロインのダーコさんから言われた上に
最後の見せ場の大坂夏の陣でも成し遂げられなかったもんなぁ。 >>757
アニメ版ラブライブで、どんどん人が抜けてったアイドル部をたった独りで三年間守り続けた「にこ」みたいなもんか。そう考えると健気ではあるね
>>758
>>759
あー、幸村枠かぁー
なんか腑に落ちたw そっかぁ… 各地の「地元の戦国大名」たちの多くも、ろくな成果を残せないまま滅亡してったけど、地元じゃ人気だろ
「浅き巧みの守」(=バカ殿)さんだって、本人はなにもやりとげないで打首」形式上は一応切腹)だけど、人気だし >>757
え、あれ、ちょい待ち
幕府側の人だよね?
幕府無くなっても戦うのって変じゃね?
???
にわかでwiki流し読んだけど
慶喜がギブした後、函館行ったんよね?
戦う大義名分無くね? もと幕府関係だった人とか奥羽列藩同盟の関係で薩長と戦った残党とかで、
降伏しがたい立場の人たちが逃げ延びて、函館を拠点に独立国作ろうとしてた
降伏しても助かりそうにない人が多かったみたい >>763
なるほど! 全部繋がった、ありがとう!
ヘッドが折れた上、戦犯として居場所が無くなって死ぬか生きるかで(死んだけど)独立国家か
確かにロマンはあるね、なるほどー >>764
その独立国の親玉榎本武揚はのちに外務大臣や文部大臣などを歴任してるけどね。 それを扱うと民衆運動であった「廃仏毀釈」のトピックに繋がってしまうからです。
今世の中を支配している創価学会にとって触れて欲しくない暗部なんですよ。かつては徳川幕府と癒着し
今また安倍自民党と結託している負の歴史があります 廃「仏」毀釈とは言うけど、実際には神社だって半分以上は潰されてるし、それまでの神社の主要な収入源は明治には国に取り上げられてるんだよ 国家神道っていっても国が神社を統制下に置いただけで
神仏分離後、神道の国教化は早くに挫折していて
神道政策が国民生活に大きな影響を与えることはなかったからな 日本史で神道を過小評価してるんじゃないか、
ていうやつが定期的に湧いてくるな 国家政策と民衆運動をごっちゃにしているね。
民衆運動に対して創価の言う宗教弾圧あーの論理は通じないよ >>772
実際、これは議論のテーマとして面白いと思う
自分も神道は過少評価されてるとは思う テーマとして面白いと言っただけなのに、なんだコイツ 日本語が不自由な方にも丁寧に接しましょう!
× ていうやつが定期的に湧いてくるな
◎ 不定期
■神社・仏閣■
総合質問スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1406213669/ 仏教、神道単体っていうよりも、日本においては神と仏が同一であるっていう
神仏習合の歴史が一番長かった
いうなれば、神仏習合こそが日本の伝統でありお国柄
だけど学校教育では神仏習合なんて出てこなかったぞ 高校日本史なら確実に習っているはず
日本の学習指導要領に基づいた授業をしてる高校ならね 自己紹介乙。“アスペ”しか言葉を知らない人なんだろうなぁ
ここは議論スレではなく質問スレです >>780
高校でも習ったかな?
歴史は得意だったが記憶がないわ
中学歴史では出てこなかった
でも、仏教習うなら神仏習合は出さなきゃって思う 断言した割には記憶は曖昧とかw
いい加減だな、おいw 神道を宗教として指定した占領軍の命令のことですね。
これが仏教勢力による神道弾圧の嚆矢となった。言い換えれば純日本文化の排斥 GHQの行なった様々な改革の中でも神道指令はなぜか影が薄い GHQの行なった様々な改革の中でも神道指令はなぜか影が薄い >>785
明治大正期の神道は明治以後に新造された伝統的でない宗教要素の方が大半なんだけど、どこをどうみたら純日本なんだよ では。慶應以前の神道は純日本文化と認めますね?
実際は聖明王・厩戸皇子以来穢されて来ましたが,隔離宣告を受けたということです 自分はそこまで思わないけど、一部では国家神道が日本人を戦争へ駆り立てた、
あるいは国家が国民を戦争へ駆り立てるのに神道を利用した、なんていうことを
言う学者や政治家もいるやん
そういうことも含めて、近代日本にとって国家神道、並びに国家神道の解体を
指示した神道指令って重要なトピックだと思うのだけどね
さらに言うと、国内世論を分断し、外交問題にも発展することもある靖國問題
良い、悪いの価値判断はしないけど、純粋に問題としてある
古代や中世とは違い、近代においては仏教よりも神道の方が重要度高い気がする
しかし、相変わらず神道は影が薄いし、存在感が低い 神道自体は清いのにそれを汚れた奴らが悪用するんだよね
そろそろ天誅が下るんじゃね?どっかから キリスト教が欧米人を戦争に駆り立てたレベルにも国家神道は達していなかったよ
徴兵制はフランス革命の産物だし,利用というか… 日本の文化を守るためだろ
どこの国でも同じだが,日本ではその要素は薄い 神道政治連盟ってあるけど
政治に利用しようとする人は国賊だわ >>792
戦争に駆り立てたのは神道だけじゃなく仏教もだが >>796
実態はわからないけど、いま、仏教が日本人を戦争へ駆り立てたっていう学者や政治家っていなくない?
あくまで太平洋戦争の想定だけど
そういえば日蓮系は血盟団事件とかあったね 駆り立てるとまではいかないが、かなり戦争協力をしてたのはたしか あの時代に戦争協力しなかった団体や組織なんてあんのかね 神道だって戦争に対して組織的活動をして協力したわけじゃないだろ
現人神思想、神国思想といった、神道から派生した思想が
戦争にいたる過程に大きな影響を与えたのは事実だろうけど 靖國のA級戦犯合祀の問題も、いまはまだ現代史、あるいは社会問題だけど、このまま時代が下れば歴史的史実、歴史的トピックとかになっていくのだろうか?
それともそこまでいかないか
大きな問題なのか、そこまでいうほど大きな問題ではないのか、よくわからん 戦前の陸軍軍大臣、海軍大臣、参謀総長、軍令部総長の序列ってどうなっていたのですか?
また、軍令部の総長ってことで軍令部総長だと思うのですが、参謀本部の総長は
参謀本部総長ではなくて参謀総長なのはどうしてですか? 陸軍の方がエラい、軍の根幹を為すと言うのが多くの国で普通だったが、日本海軍はとてもそんなことは認めなかった そのせいで、海軍が活躍できる戦争様態を求めて対米戦争に手を出したのではないかと疑う余地が少し。 ありがとうございます
>>802の後半もよろしくお願いします 陸軍参謀総長と海軍軍令部長(後に軍令部総長)とは対等
日本でも陸軍が圧倒的に規模が大きいため最初は陸軍参謀本部しかなかった
対等の地位を求め続ける海軍はすぐに海軍参謀本部を設け、軍令部と名を変えた >>806
参謀本部総長と軍令部総長
あるいは
参謀総長と軍令総長
なら対応した敬称で座りがいいと思ったんだけど 陸海で対抗心燃やしてるから、対応がどうのこうのは後回し それだけ対抗心が強かったのは、薩長の藩閥意識のせい?
陸軍=長州
海軍=薩摩だっけかな 違う
陸(東條)も海(米内)も岩手県が仕切ってた。反長州の怨念 己れの省益を図るのは昔も今も同じだが、陸海が互いになぁなぁでやるほど海軍の方に余裕がなかっただろう
規模からみて陸軍の方が主で海軍が従なのは、日本でも免れなかった所
太平洋戦争終結に至るまで、戦力の統一強化のための陸海統合、海軍消滅の危機はずっとあった 維新三傑の二人が薩摩藩だったのに、明治以降長州藩が上手いこと牛耳っちゃったよね
現代から見れば、薩長というよりも長薩じゃない? >>813
でも、その西郷を討って、初代の内務卿として明治国家のグランドデザインを敷いたのも
薩摩藩の大久保
その後が続かずに長州藩にしてやられたって感じなのかな 大久保が暗殺された時点で後継者はどうなってたんだろうなぁ? 長州藩の伊藤博文が初代内閣総理大臣、同じく長州藩の山県有朋が軍部のトップに
座ったのが大きいのかな 文化史について質問です。
テレビでは、江戸時代は平和が長く続いたので、庶民文化が花開いたとテンプレートのように良く言われますが、
そもそも日本は源平と元寇と応仁と戦国時代以外は一部の紛争除いて概ね平和かと思います。
一部の紛争なら江戸時代にもありましたし。
江戸時代以外の大半の平和な時代には庶民文化は花開いて無いのでしょうか? 意外とそうでもないんだよ
平安時代後半から室町時代まで(戦国時代も含む)は、地方では小規模な戦いが日常的に起きてるといっていい 庶民レベルが違った。平安時代は清少納言等の宮廷文化が栄えたから 冷蔵庫と洗濯機の普及が女性を家事から解放した。と言われている。
その日暮らしで一日を終える庶民が一定の文化に親しむためには、市の存在と貨幣経済の発展を待たねばならなかった。
鎌倉期から緩やかに広まっていった貨幣が農村に浸透し、必要なものを、必要な時に手に入れられる生活の余裕ができてこそ、
庶民は文化的な生活をおくれるのである。
鎌倉期に萌芽がみられる庶民文化が花開く室町期まで、この国の庶民には文化を顧みる余裕がなかった。 石川県にある気多大社の歴史として、奈良時代に歌人大伴家持が参詣したとのことですが、
当時は社殿などはなく、岩か木かわかりませんが自然物の磐座があったということですよね?
当時の有名(有力)神社の境内ってどんな状態だったのでしょうか?
何もないところにポツンと磐座だけがあったのですか?
社殿はないはずですが、それなりに整備されてきちんとした状態だったんでしょうか? 仁徳天皇陵などに拝むための簡素な鳥居だけしつらえてあるけれど、昔の雰囲気を出しているのかな
八幡さまは名のとおり、やはた(多くの旗)で飾り付けてあったのかしら 神社に社殿が建てられるようになったのは仏教の影響であり、当然仏教よりも遅れ、
平安時代の途中〜鎌倉時代くらいからって話を聞いたことがある
でも確か、出雲大社には古代から現在の本殿をも上回る高さの神殿があったんじゃなかったっけ?
古代っていうのが具体的にいつ頃なのか知らないけど 出雲大社に本殿が作られるようになったのがいつかってのは知らんけど、古代から中世への移行は平安時代の半ばか後半ぐらいだぞ
その辺から作られ出したんだとしても古代から云々ってのはウソではない
んで、そのへんの由緒とか創建譚とかには後代の創作が多いもんだから、神社の自称を鵜呑みにできないんだよね >>826
出雲大社の社殿の高さは平安時代の歌にも詠まれていたから史実だろ
神社の社殿が普及したのが平安時代〜鎌倉時代ってだけで、一部の有力神社とか、早いところはもっと早かったんじゃないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています