〜銅鐸は朝鮮半島出土の無紋小銅鐸がルーツだと言い出したチョンコ得意の起源説を叩き潰そう♪〜


朝鮮半島から出土した小銅鐸はサイズや製法、その構造などから殷の馬鈴がルーツと断定されています。

馬鈴とは多数の騎馬を統率するために用いられた馬具ですが、遊牧民族が牧畜の際に家畜の統率用に転用するようになり、
それが朝鮮半島に伝わったと考えられています。

傍証として挙げられるのが外側が無鰭(むき)で鈕(ちゅう)と共に摩耗が激しい、また家畜と共に出土している点です。
つまり家畜の頸に結わえ付けていた証拠であり、小銅鐸ではなく畜産用の首鈴と名称を変えるべきという意見が国際学会では大半を締めていますが、
朝鮮ヒトモドキどもがチョンコ起源を主張したいがために頑なに拒否し続けています。 松菊里式住居と同じ発想ですね。

なにより朝鮮半島では3世紀以前の遺跡からは出土していないという点も重要です。


一方、紀元前3世紀の遺跡から出土している日本の銅鐸は越の祭祀鐸がその起源と考えるのが一般的です。

傍証としては同時期に銅と鉄の鋳造技術が越から同時に伝播しており、実用品は鉄、装飾・祭祀用が青銅と使い分けが明確である点です。
また、越の祭祀鐸はその使用目的から有鰭(ゆうき)装飾があり、司祭が手に持って振っていたために持ちやすいよう鈕は平たく、共に磨耗は少ないのです。
これは日本国内で発見されている銅鐸もまったく同じで、鈴ではなく鐸という共通点もあります。

2世紀前半から巨大化と装飾が増えていきますが、これも当初から祭祀鐸であればこその正常進化と言えるでしょう。

さらには朝鮮半島で出土する銅矛と銅戈は九州の鋳造技術で作られており、半島北部で出土する銅剣は小銅鐸と同じく曲げ加工で作られています。
つまり鋳造と曲げ加工という製作手法自体が大きく違うのです。


上記の検証により、日本の銅鐸が朝鮮の小銅鐸とは何ら関連がないのは明白です。
なお、朝鮮半島で小銅鐸が出現する3世紀に、忽然として日本から銅鐸が消えている点の因果関係は皆無である点にも留意しなければなりません。