入植と支配の実例

アメリカ東海岸
1620年に約150名のプロテスタントが、迫害を逃れるため北アメリカに入植
迫害から逃れる逃避行のため中古の商船(180t、全長30メートル前後)に組み立て式祭壇と40頭の馬、100丁のライフル銃以外は数日分の日常生活品だけを船載

銃という強力な武器と馬という強力な機動力を持ってしても、数の多いネイティブアメリカンとは融和姿勢で接する
なお、この時点でのネイティブアメリカンの文明は銅器文明に比定されるレベルであった
入植は1629年、1630年、1633年、1634年、1639年と続く

植民地の拡大のため1637年より白人VSネイティブアメリカンの戦いが始まる
銃と馬という圧倒的武力を持ってしても東海岸で白人が実効支配を手にするのは1819年である

入植から実に200年という時間がかかっている

ここから推察すべきは渡来系弥生人という存在の真偽である

あたかも1-2世紀に大陸から一部の部族が渡ってきて倭国を建てたという説がまかり通っているが、現実的には不可能だ
17世紀という近世の白人文明が人数分の銃を携え、馬を駆っても銅器文明のネイティブアメリカンから自治権を奪い取るのに200年かかっているのだ
しかも入植は1回ではない平均すると5年と空けずに次々と入植しているのである

倭国舶来説は例外なく大陸からの逃亡者が高度な文明を持って縄文人を服従させたというイメージで語られるが、一体何万人の逃亡者を想定しているのであろうか?
ましてや時鉄器時代の大陸人と準鉄器時代の縄文人に圧倒的な武力差はない

仮に何万人もの逃亡者が倭国に侵入でき、超人的な腕力で縄文人を屈服できたとしよう
それでも平地の少ない倭国では文化の伝播にかかる時間は膨大に必要となる

当時の倭国内で準名を塗り替えるためには最短でも紀元前700年には数万単位での侵入が実現していなければならない
そしてその当時にそれだけの人数が東シナ海や対馬海峡を渡れた可能性は皆無である

>>6に続く