先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る4
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純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る
前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1337303208/ ここはホントに馬鹿ばっかしだな。
俺が昔の戸籍(現在の夫婦単位で構成されている戸籍じゃない、いわゆる階段戸籍)
について説明してやってもいいのだが、そうすると長いとかシッタカだとか言うに決まってるわ。
ここを仕切ってるのが嵐みたいな小僧だからな。
馬鹿が集まって永遠に実りのない議論していくんだろうな、このスレは。
お前らは知識に対する謙虚さが無いよ。ほんと馬鹿ばっかし。 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>188 >>183 昔は戸主制度だったから、独立できる力がなければ誰かの戸主の元の戸籍に入ってたんだろう。
うちも一時期いとこの戸籍に入ってたことがあり変だなと思ったことがあった。 多分朝鮮から引き上げてきた時に土地がなかったから従兄弟の戸籍に入ったのだろうと思う。
何年かでぬけてるけど。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>190 >>193
先祖の話とか昔の戸籍の話とか嫌がる人いるよな
なんでだろうなwww 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 俺の男系の先祖は源頼兼(源頼政の子)でしゅ
俺の家系は幕末時代に養子同士が結婚して家督相続したので、家系の先祖と血筋の先祖は異なりましゅ
幕末時代のひひひおじいちゃんの先祖が源頼兼でしゅ
幕末時代のひひひおばあちゃんの先祖は藤原の公家の方に辿り着きましゅ
家系の先祖は桓武平氏の鎌倉御家人だったのでしゅが、有力御家人過ぎて没落させられたのでしゅ
家系も、おじいちゃんの実家も、おばあちゃんの実家も、明治維新まで武家の、維新後は士族でしゅた
源氏と平氏と藤原氏の先祖を持っていましゅ
こういう先祖だったため、維新後は、急降下で没落したのでしゅ
具体的には、上級武士ではなく、おじいちゃんの実家は代官とか勤めていたり、
おばあちゃんの実家は城下町の本陣役つまり今でいう市役所みたいな大富豪の廻船問屋をやっていたりして、
家系の先祖は家禄300石の平士だったりなど、中級の武士だったためでしゅ、
いちお上級武士の名簿には連なるかたちで連名されてましゅた
だから農地なんて持っていませんでしゅた
維新後は、おじいちゃんの実家は軍人家系、おばあちゃんの実家は戊辰戦争で全てを藩に持っていかれ没落して絶家今では分家が一族会の宗家を名乗っていましゅ、家系の先祖は商売やったりしましゅた
藩に救済された上級武士や、農地持ってた農家は、あまり変化はなかっただろうと思います
でも、ウチの先祖みたいな中間管理職は、激動だったと思うんでしゅよね 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. 源頼兼って
源氏嫡流だと思うんでしゅ
だって源頼朝とか足利尊氏とかって源頼信の子孫でしょ
庶流じゃん?
源頼光の子孫がやっぱり源氏嫡流だよね
その中でも源頼政の子孫がやっぱり源氏嫡流
そのなかでも源頼兼の子孫がホンマモンの源氏嫡流でしょ
しかも源頼兼の子孫って世の中にあんまいない
おそらく僕の一族くらい うち、かなり珍しい名前で、有名人には同じ名前がおらず、ネット検索しても同名の地名がヒットするくらいなのね。
ただ、出身地の歴史なんかを見ると、ほぼ間違いなく平家の落人なの。
平氏の苗字一覧なんかを見れるページとか無いかな?
あと、平家関係者でもただの家臣なら全然関係ない名前だったりするの? 俺は母方の先祖の苗字が珍しくて、ネット情報だが全国に20人しかいないっぽい
山がついてて平凡なんだが、びっくりした
由来も何もないから明治時代にてきとうに付けたんだろうな ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 源姓を名乗ってる、源氏一族がいると思ってる人がいて驚き。
藤原家ですら、藤原姓名乗ってる家はひとつも無いのに。 >>204 ただ旧漢字を使ってたと言う事じゃないの? >>206
傍流の遠いとこなら新規苗字を得られなかったりで藤原を名乗り続けてた可能性はあるぞ
主要な分家は(もちろん本家もだが)違うけどさ。 >>207
大○山という苗字や
○に入る字も新字体や 清水徳川家が、幕末にいったん清水姓を称して徳川姓に改めたりはしてるから、何らかの理由で、自分の家の名前じゃなくて藤原を称した人がいても不思議はないとは思う。
俺は実例は知らないけどね。 安藤とか遠藤とか近藤とかの苗字って「安房藤原」「遠江藤原」「近江藤原」を略しただけの、地名苗字じゃない藤原姓のままの苗字だぞ
藤原を名乗り続けた部類の一派だろ
その仲間で冠すら付かないヤツなら藤原苗字で通しただろうに、なんで無いと言い張るんだよ。論拠がないと納得できない案件だぞ 自分の家系が源氏だの平氏だのと信じる人は遺伝子検査受けてみましょう
奇跡的に男系で伝わってたらY染色体ハプログループD1b1a2b1a1が出るはずだ
遺伝子検査スレではD1b1a2b1a1のヤバい家系がたくさん出現して完全に冷温停止状態になった
真実を知る覚悟が出来たらやるが良い 自分の名字由来検索してみたら、全国人数約2500人ほどの比較的珍しい?名字だった。
それでルーツが清原氏(天武天皇の皇子舎人親王の子孫)ということだった。 >>215 あんなのほとんど信用できないよ。 自分の苗字も珍しかったが、あまりにもデタラメが書かれれてたから訂正させた。
人数だって全国400人くらいになってるがそんなに少なくはないはず、少なくとも2〜3倍はないとおかしい。
俺の本籍地に200人くらい住んでるからね。
そんな噂もある土地がある程度のこと。
ただ、そんなに少ない苗字なら何か残ってる可能性は高いが農民だったらほとんど何も残っていないだろう。
全国で一番多い土地が多分ルーツの土地の可能性は高い。 >>214
また肝心のことは知らないDNA馬鹿か?
家系は遺伝子関係ないだろ。
当然傾向の差はあれどこの誰も混じってるだけの話。
皇統でさえ実際のDNAはどうでも良いのよ、「認められた系譜」が残ってるかどうかよ。 皇族 D1b1a2b1a1
物部氏 D1b1c1
藤原氏 O1b2a1a1
秦氏 O2a2b1a1a
百済王 C2c1a
豊臣氏 C1a1 >>216
人数が一番多い県に住んでて、
名前の由来となった地名もお隣の県だからあながち間違いでもない気がして… >>217
男はY染色体がそのまま受け継がれるから関係あるよ
遺伝子検査で全て分かる時代に来てしまった訳か
恐ろしいことだ 曽祖父の母親(岐阜県)が全国で300人くらいしかいない比較的珍しい名字なんだけど、その分布が岐阜県と大分県に殆ど集中している
同族の可能性はまあまあ高いと見ているが、調べようもないからなぁ 父方、母方の高祖母にそれぞれ希少な姓の人がいる
どちらも全国で30名程度らしいけれどあれって電話番号簿で統計取ってるんだろうから実際はその10倍くらいではないかと思う >>225
海外のどっかの研究では姓を共有している人は人数が少ないほど同族の遺伝子を持っている比率が高いそうだ(見たものでは数百人で7割〜8割だった)
人数が多くなれば多くなるほど比率も下がるらしい >>227
そんなもん大袈裟に研究しなくてもわかるわなw >>226 そう、特に最近は電話番号を隠すようになってきてるから全く信用できない。 >>231
分かってない人だから、放置しておきましょうW >>221
近衞忠大
高祖父:細川護久(熊本藩第12代藩主・藩知事)
高祖父:池田詮政(侯爵、元貴族院議員)
高祖父:近衛篤麿(第3代貴族院議長、第7代学習院院長)
高祖父:毛利高範(子爵、元貴族院議員)
高祖父:明治天皇
高祖母:柳原愛子
高祖父:九条道孝(公爵、元貴族院議員)
高祖父:高木正善(丹南藩第13代藩主)
高祖父:入江為守(元貴族院議員)
曾祖父:細川護立(元貴族院議員)
曾祖父:近衞文麿(元首相)
曾祖母:近衛千代子
曾祖父:大正天皇
曾祖母:貞明皇后
曾祖父:高木正得(昆虫学者、元貴族院議員)
祖父:細川護貞(細川家第17代当主。元内閣総理大臣秘書官)
祖父:三笠宮崇仁親王
祖母:三笠宮妃百合子
伯父:細川護熙(元首相)
父:近衞忠W(近衞家当主。社団法人日本赤十字社社長)
母:近衞ィ子(三笠宮崇仁親王の第1女子)
妻:近衛桂子(旧宮家の久邇朝建(久邇宮朝融王の第2男子、朝建王)長女)
桂子夫人との間に4人の子供がいる。 >>233 突然何を言いたいんだ? あんたと繋がっていなければ関係ないんじゃ無いの?
しかもそんな浅い歴史で何を自慢したいの?
明治政府の大臣の氏素性はみんなデタラメだぞ。
大事な事はその人間が生きてた時に立てた功績。
自分の生き方の参考にする為に先祖の功績を参考にする事は良いと思うが。 明治の元老の中でも桂太郎と井上馨と西園寺公望は毛並みがいい 井上馨調べてみたけど長州藩ぐらいの大藩(中藩かな?)でも100石で名門中級武士
なんだな。
100石だと10町歩だろ?苗字帯刀を許された庄屋のやや規模の大きいほうがいいかもな。
大身旗本や交代寄合ぐらいなら武士の方がよさげだが中下級武士になるぐらいなら帰農して
庄屋をえらぶかもな。
戦国時代と領主が変わってる地域なら庄屋=元大名家や領主の分家 中下級武士=その元大名家の元家臣。
で元家臣が城下町と農村領主(庄屋)のつなぎ役をやる所が多かった。 きっと嫌いなヤツかカタキが庄屋子孫で強い怨みがあるんだろ
庄屋が名家の子孫だと腹が立つからこうして基地外呼ばわりしてる 庄屋は名家の子孫じゃないよ
先祖が落ちぶれた武士の奴もいるけど、そんなの名家じゃないし 足軽や小作人の話してもつまらんから上級武士や土豪(庄屋)の話になるんじゃないの?
先祖が小作人や足軽じゃ自慢にならんだろ >>251
庄屋って元足軽(地侍)の家系だと思ってたんだが違うのか? >>252
東北では庄屋のこと肝煎っていうんだけど、俺の村の肝煎は士族だったよ。
その人は伊達家の家臣だったが、政宗の指示でうちの村にやってきた。
ちなみに俺の家は完全な農民だが、昔その肝煎の家から嫁をもらったことがあるそうなので、俺の先祖は士族ということでいいよね。 >>252
たいていの庄屋は戦国時代頃の祖先が足軽より高位
なかには富農あがりの庶民出の庄屋もいるが
ところでな。
一般的には、前近代には一般庶民の家は絶家断絶する頻度が高く、それ以外(庄屋に相当する家も含む)は子孫が多くて分家を多く出す傾向があった
つまり、古代豪族の子孫が分家して残ってたりする可能性が高いんだよ
一般庶民でも、それらの分家の分家(略)が零落した子孫の可能性は小さくない。記録がないだけでな。
人の移動が少ない村があったとして、江戸時代はじめに一件だけあった庄屋の子孫が分家を出し続けたら、幕末頃には村の半分ぐらいの家が庄屋の分家の分家(ry になった可能性が高いわけさ
庄屋の子孫ってのは、そういう感じで多数いる。本家の子孫は少ないけどな、分家ならいくらでも。
オレとかも分家だし、ホントに掃いて捨てるほどいるんだよ。 関東、東北の庄屋肝いり初代には鎌倉末以降、坂東の源平藤流れの武家が開拓帰農で散らばってるのが多いだろ。
細切れ西日本庄屋や戦国の成りあがり侍とは比べられない。 由緒古いというなら公家、名流大名に次いで東日本の庄屋筋、で正しい。 >>252庄屋になった地侍は騎馬身分ですよ。小作人を数人足軽に従えて出陣と >>257
うちのオカンの家が正にそれ。
今川氏の地頭だった。
その後、徳川氏が所領安堵の約束を
するとのことで加担。
今もその地に住んでる。 武士:眼窩が広い 鼻が細い 顎が小さい 細い輪郭
百姓:眼窩が狭い 鼻が広い 顎が大きい 四角い輪郭
佐藤健のような顔が侍
寅さんのような顔が百姓 ほら、庄屋の話になると基地外が沸くんだよ
庄屋こそ真の武士の子孫とか言い出して、いつもの基地外だよ
過去スレ見てみ?
定期的に沸いてるから >>261まあ、系譜(真偽は不明だが)という点では一般の武士より「上」を自認する
土豪は多いだろうな。 >>254
>>なかには富農あがりの庶民出の庄屋もいるが
少し前違うスレだったかな?で話題になっていたが結論としてはあり得ない
江戸初中期に庄屋に新たに任命された家は大抵、新田開発庄屋だが新田開発
するには膨大な金と人手が必要で、それらを用意できるのは土豪だろうと
成り上がり百姓ではありえないと 庄屋基地が勝手に沸いてくるから、仲良くしようが無いな >>265
庄屋には、戦国大名の家臣だったものが多い 天領になったとこは不幸だろうが藩領なら地元に残って庄屋になるか城下町に行って
中級武士(?)になるかの判断に迫られたのでは? 庄屋の方が儲かるよ。自分の土地に住めるし。城勤めの武士は貧乏だから嫌。 庄屋が裕福であったことは全国的に間違いではないだろうね。
地方の庄屋は余り知らないけど。 地方でも神社の氏子代表は庄屋が多いのでは?
庄屋の屋敷は文化財指定されてるのが多いね。 金があったから当然と言えば当然。
金があったのでは、商人、網元なども入るな。 それを言うと、弾左衛門の方が庄屋より裕福なんだけどな アンケートやってみたかったけど男性だけか〜
残念!! >>276
D1bは中世に武士化した蝦夷が和人をバッサバッサ斬り殺してレイプしまくったから増えた
蛮族だから増えたんだよ 母親はほぼ全て渡来系弥生人だから容姿はモロチョンだけどね 現代のD1男なんて顔見りゃわかるけどフラットフェイスの弥生顔だからな
逆にエヴェンキ族や朝鮮人に多いC2なんかの方が彫りが深く従来の縄文人骨に近いよ >>274ごく一部の例外を例として出すのは議論としては建設的ではないよ >>281
O2は母数が多すぎるせいか割とパターンが多い
そもそもO2の中でめちゃくちゃサブクレードがあるから一緒くたにできんよ
O1b2は韓国人そのもの 東南アジア人を押しつぶしたようなフラットフェイス >>283
あっ、でも普通に韓国と日本のO2は見分け付かないからね(笑)
中国人は他民族と混血頻度が高いのか同じO2でもソース顔が結構いる まあD1bは良くて出川哲郎みたいな出目金男だよ
あと顎なしが異様に多い 関東て、豪農庄屋層のがへたな武士より由緒凄いよな
大概鎌倉や室町まで遡れる旧武家だらけだし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています