三流「研究者」(万年非常勤講師)による百田批判が無意味なのは、研究者ではなく作家の百田本を
「お勉強」の知識によって批判した気になっていることだ。
論じなければならないのは、百田本が大多数の歴史研究書、歴史教養書、歴史小説を凌駕して
書店やネットサイトを席巻している社会現象だ。
この社会現象を論じることができず、「お勉強」によって批判したとしても、考察として
意味を持たない。
低次元の「お勉強」しかできないから、Fラン大の非常勤講師なのだろう。