「日本国記」とは直接関係ないかもしれないが、
先日100周年になった三・一運動について、これは独立を目指した動乱では
なくて、あくまで単なる騒擾事件であると、百田尚樹氏は主張していた。

それを証左することとして、民族代表33人を含むこの運動に関わった多くの
人が逮捕されたが、あくまで騒擾罪などで処罰され量刑も大きくて3年半く
らいまでの懲役刑である。
もし独立を目的とした動乱だったら、内乱罪などが適用され死刑・無期懲役
で処罰される者が出てくるはずである。

忠清南道で独立運動を行ったとされる柳寛順の逮捕後の消息状況には諸説
あり、一説には獄死したとも言われるが、その通りだとすると上記の百田氏
の言説と矛盾することになる。